このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
魅力あふれる史跡、文化財の残るここ大湫宿を巡り、過去に思いをはせてみませんか?
大久手宿の助郷18ヶ村、加宿村5ヶ村、幕府の2年間の費用 約900万両とも言われている
京都御所建礼門
中山道は紅葉が美しかったでしょうね~和宮様も楽しまれたのかな?写真は明治時代の和宮
江戸始図
虎ノ門 廣重画
大湫宿と皇女和宮御降嫁
大湫宿史の中で一番の大事件に挙げられるのが、文久元年(1861年)10月の『皇女和宮御降嫁』であります。 相次ぐ外国船の来朝による鎖国か開港かの国難を乗り切るために考えられた『公武合体論』によって、「国のためになるのなら…」と、仁孝天皇第8皇女であった和宮は、14代将軍徳川家茂のもとへ降嫁されることになった。和宮、この時16歳・・・・(家茂 16歳)
10月20日に京を発ち、9日目の同月28日に大湫宿に1泊、江戸へ向かった。
御降嫁の行列は、朝廷から差副えの宰相典侍局(さいしょうてんじのつぼね)や生母観行院(かんぎょういん)などのお局・女官、中山・橋本・菊亭・坊城・千種・北小路・岩倉などの供奉公卿、それに若年寄加納遠江守以下の幕府のお迎役ほかの供奉諸家らで総勢約5,000人。
その行列の継立のために大湫宿に招集された人馬は、何と2万8千人と馬820頭。
行列は、前後4日間に分けて連日行われ、合計3万3千人余の人々が、宿泊・食事・行列をしたと文献に残されています。
さて、その和宮は文久元年10月28日、大湫宿の本陣(旧大湫小学校校庭)に宿泊し、翌日、大井宿(恵那市)を経て、中津川宿に1泊し、さらに三留野・上松・薮原・本山・和田宿泊りといった道中で、11月15日無事江戸到着。25日間、その間の継立は、人足約70万人・馬1万5千疋という大継立てが終わったもので、古今・東西未曾有の大嫁入りの行列であった。
和宮の歌碑
「落ちて行く 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」
宿場(大久手宿・大湫宿)について
駅伝の制度(人や荷物を引き継いで送る仕組み)により、中継基地として宿(駅)が設けられた。これは、一般の旅人の利用を考えているのではなく、幕府公用による宿泊と官公物資の輸送のためのものであった。慶長9年(1604)、中山道の新宿として大久手宿が、その後、1615年に細久手宿ができた。宿場では、役所の「問屋場」が設けられ、輸送・宿泊・宿内の取り締まりの仕事をしていた。村としては以前からの大湫(宿)が、幕府関係では、大久手(宿)が使われた。
本陣跡
本陣は公卿や大名、高級武士たちのための宿舎でした
現在、本陣は無く、旧大湫小学校の校庭にあった。
本陣は、保々市郎兵衛(中西家)が世襲し、領主 千村方の庄屋・問屋を兼任していた。
本陣の造りは間口22間(約40m)、奥行き15間(約27m)、部屋数23、畳数212畳、別棟添屋という広大な建物で公卿や大名、高級武士たちのための宿舎。また数々の宮姫のほか皇女和宮が14代将軍徳川家茂へ御降嫁のため文久元年(1861年)10月28日に宿泊されている。
和宮様が御泊りになった部屋全部は、土岐市の鈴木さん方へ移築されている。
住所 瑞浪市大湫町416-1
脇本陣
保々家が勤めた脇本陣
(一般公開はしていません)
当初は2つの本陣であったが、享保10年(1727)に脇本陣となった。当主は、保々長左衛門(南家)が世襲し、領主山村方の庄屋・問屋を兼任していた。
屋敷も本陣に次ぐ格式を持ち、高級武士や公家など身分が高い人物が利用した為、式台付の玄関や、上段の間、下段の間、門構えなどが備えられていた。現在の建物は江戸時代中期に建てられたもので木造平屋建、切妻、桟瓦葺、平入、外壁は塗屋造、白漆喰仕上げ、正面上部の窓は虫子窓や桔梗紋の漆喰飾など意匠に富んだ造りとなっている。
建坪は開口16間余、奥行き6~12間の98坪。 部屋数19、畳数121畳。別棟4。門構え・玄関付きで一部改修・縮小されているが、概ね往時のままの姿をとどめている。
住所 瑞浪市大湫町
国登録有形文化財 旧森川訓行家住宅(通称:丸森)
江戸末期。国の登録有形文化財。中山道大湫宿にある旅籠や問屋を兼ねた住宅。正面の格子、両妻の漆喰袖壁などが宿場の景観をよく伝えています。
国登録有形文化財「旧森川訓行家住宅(丸森)」は、中山道大湫宿の北部にあり、宿内の一族のなかでおのおのを区別するために「丸森」と呼ばれました。旅籠屋を営んだほか、尾州藩の許可を得て塩の専売も行い繁盛を極めたと伝えられています。
平成28年12月に、瑞浪市中山道観光案内所として公開し、見学も可能となりました。
建物(家)を見るときのポイント
建物(家)を見るときのポイント
切子(きりこ)格子とは
京都の町家の格子の種類の一つで、親子格子、あるいは子持格子などと呼ばれる格子です。
切子の数で、職業がわかるようになっています。
親1本子4本(切子4本)が、織屋格子
親1本子3本(切子3本)が、糸屋格子(紐屋格子)
親1本子2本(切子2本)が、呉服屋格子
無双窓(むそうまど)とは
窓の形式のひとつで、小幅の竪板をその竪板の幅だけ間隔をあけながら打ちつけた同形の連子を前後に二つ並べ、外側の連子を固定し、内側に連子を引戸として付け、この連子を左右に動かすことで開けたり閉めたりするようにした窓のことです。
無双窓は、「無双連子窓」といい「夢想窓」とも書かれ、単に「無双」ともいいます。
無双とは、表裏が同じもののことを指して言います。
修繕前の旧森川訓行家住宅(丸森)
修繕前の旧森川訓行家住宅(丸森)
旧中山道大湫宿の旅宿や問屋を兼ねた住宅。街道に北面して建ち,木造2階建,切妻造,桟瓦葺,平入で,正面と両側に下屋を廻す。1階は3室2列の居室と土間,2階は6室に間仕切る。たちの高いつくりは近代の傾向を示すが,旧街道の町並み景観をよく残す。
『丸森』修復工事ダイジェスト
旧森川訓行邸(丸森)が生まれ変わりました。
旧森川訓行家住宅は、中山道大湫宿の北部に位置し、一族の中でも各々を区別するために「丸森」と呼ばれ、旅屋の他に尾州藩の許可を得て塩の専売も行い、繁盛を極めたとされています。
建物は江戸時代末期の建築と推察され、江戸の町屋形式をそのまま有し、当時の旅籠商家の雰囲気をよく残しています
昭和20年代まで住居として使用され、一部は現代様に改修されているものの、建物は建具類を含めてよく保存されています。
平成18年には国登録有形文化財に登録されました。平成26年に所有者から寄贈を受けたことから、大湫宿の観光の拠点となる施設へ整備しました。
木造2階建、瓦葺、切妻造
延床面積226.07㎡
敷地面積421.70㎡
続く・・・
次回の第三話では
「丸森」の生まれ変わるまでの修復作業の様子をご紹介します!
忘却の彼方に…
前号で中山道の想いでは沢山あると申しましたが、本日はその一つ、木枯紋次郎の作者「笹沢左保氏」のお話です。
昔、笹沢佐保氏の小説をよく読んでいたものです。中でもアウトローを描いた時代小説「木枯紋次郎」シリーズにのめり込み、長い楊枝をくわえた木枯紋次郎の決め台詞「あっしには関わり合いのねえことでござんす」当時流行語大賞があったならば大賞間違いなし!でした。
その後、小生の予言は見事的中!中村敦夫主演でテレビドラマ化されると猫も杓子も何かにつけて、「あっしには、関わり合いのねえことでござんす」…は巷に氾濫していましたっけ。終いにはご近所の鼻タレ小僧までが爪楊枝咥えて、生意気に「あっしには、関わり合いのねえことでござんす」なんてほざく場面もあったりして…(笑)
ところで、編集中に地名照合の為、書棚から久し振りに「中山道シリーズ・木枯し紋次郎中山道を往く〈3〉大井~今須 笹沢 左保 (著)」を取り出すと、実はその中にうろ覚えの地理と地名の謎が解けて、改めて勉強し直しです。
琵琶峠、細久手宿、そして大久手宿も登場していました。うかつにも、すっかり忘却の彼方…
ましてや、佐賀県の富士町(佐賀市のバスセンターから45分、秦の始皇帝の命で日本にたどり着いた徐福が発見したという山里の温泉地)にある笹沢佐保氏のご邸宅(人間ほどもあるデカイシェパードが2匹庭を警備)がありました。なにを隠そう、若き日の鎹八咫烏は、そこ迄押しかける程の笹沢ファン…でありながら、この大久手宿(大湫宿)とは仕事で長い付き合いだったのに、紋次郎ゆかりの地である事に全く失念していたのです。何という無様な半生を過ごしたことであろう!
「呼び方は同じでも漢字が違っていたから~」とつまらない言い訳は通ぜぬか〜
嗚呼〜笹沢佐保先生・・・合掌
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
大湫町コミュニティ推進協議会 大湫コミュニティーセンター内
〒509-6471 岐阜県瑞浪市大湫町422-1 TEL:0572-63-2360
森川訓行家住宅(丸森) 〒509-6471 岐阜県瑞浪市大湫町電話:0572-63-2455
瑞浪市観光協会 〒509-6121 岐阜県 瑞浪市寺河戸町1043−2
瑞浪商工会議所内電話: 0572-67-2222
徳川美術館〒461-0023 愛知県名古屋市東区徳川町1017 電話: 052-935-6262
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話(代表)03(5253)4111
宮内庁 〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1 電話:03-3213-1111(代表)
皇后陛下は10月20日にお誕生日をお迎えになりました。いつまでもお元気でいて下さい。
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