このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
歌川広重 画 「中山道47宿-大久手宿」
『木曽街道六拾九次』は、江戸時代の五街道の一つ、江戸~京都を結ぶ「木曽街道」の宿場を描いた全71図の連作です。71図のうち、渓斎英泉が24図、歌川広重47図を描き完成されました。
木曽路の名をとって、別名「木曽街道(海道)」と呼ばれていました。
歌川広重が大久手(大湫)宿を描いた場所
中山道 大湫宿(おおくてじゅく)
大湫(おおくて)宿は、「大久手宿」とも書かれ、中山道47番目の宿である。
慶長9年(1604年)、中山道の新宿として大久手宿が設置された。標高510m、宿高109石8斗2升。尾州藩領で同藩木曽衆の千村・山村両宗家の折半知行地であった。
江戸へ90里半(約355㎞)、京へ43里半(約171㎞)、東の大井宿へ3里半(約14㎞)、西の細久手宿へ1里半(約6km)。
46宿 木曾海道六拾九次之内 大井 歌川広重 画
48宿 木曾海道六拾九次之内 細久手 歌川広重 画
また助郷村は、旧土岐郡下の寺河戸・小田・山田・土岐・猿子・小里・萩原・須之宮・羽広・釜戸・半原(以上瑞浪市)・駄知(土岐市)と旧恵那郡下の藤・久須見・竹折・野井・佐々良木・椋実(以上恵那市)の18ヶ村、1万97石の村々であった。
49宿 木曾海道六拾九次之内 御嶽 歌川広重 画
歴史満喫!知れば知るほど魅力発見!
伝統的な情緒に包まれる懐かしいまち並みに
タイムスリップしたような気分になる日本文化の見どころをご案内します。
中山道の宿場町 大湫宿のまち並み
旅籠について
枡形は北町につくられ、本陣は白山町の北側、問屋場と脇本陣は中町の北側にあり、往還に沿ってつくられた細長い町並みです。
また家々の地割は6間半平均に正しく区割りされ、家々の境界にはすべて石積みの側溝が施されていて、新宿設置の様子がうかがわれます。
往時の面影残す中山道の石畳 琵琶峠
琵琶峠
日本一長い石畳 (約1,000m)
この峠は、昭和45年に発見され、日本で一番長い石畳と言われています。
琵琶峠の石畳 (びわとうげのいしだたみ)
瑞浪市の北部丘陵地帯である日吉町・大湫町・釜戸町には、江戸時代の五街道のひとつである中山道が通じています。瑞浪市内の中山道の延長は約14.3kmに及び、そのうち約5.2kmの区間はアスファルト舗装がなされることもなく往時の面影を残しているのです。
琵琶峠は瑞浪市内に設置された大湫宿と細久手宿の間(日吉町と大湫町の町境)に位置する峠で、標高約557mと美濃国内を通る中山道の最高地点としても知られており、「木曽路名所図会」「濃州徇行記」「壬戌紀行」「新撰美濃志」など多くの古記録に名所・難所として記され、また歌にも詠まれています。
琵琶峠を通る中山道(約1km)には、石仏、矢穴(石を割る際の道具跡)が残る岩、また岐阜県の史跡に指定されている八瀬沢一里塚がみられるなど、岐阜県下の中山道の中でも往時の面影をよく残しているといわれています。また、昭和45年には石畳が良好な状態で発見されるなどし、約700mの範囲が岐阜県の史跡に指定されています。
八瀬沢一里塚 北塚・南塚
塚は、お墓のイメージがあるが、一里塚は、1里(約4km)ごとの距離をあらわす標識で江戸から京都まで約135里(約534km)、129塚にもなります。岐蘇路安見絵図では、107塚存在(片方のみ95塚)します。現在も2つそろって残っているのは珍しく、瑞浪市には、西から鴨の巣一里塚、奥之田一里塚、八瀬沢一里塚、樫ノ木坂一里塚(権現山一里塚)の4塚が残っています。
昔話をひとつ...
遠い昔、この峠で休んでいる若者がいました。都へ琵琶の勉強に行きましたが、あきらめて奥州へ帰るところでした。するとふしぎな音楽が聞こえてきて、若者はうっとりと聞き惚れていました。それは坂の上の松が風に鳴っている音でした。「風でさえもこんなに美しい音楽がかなでられるんだ。もう一度やりなおそう。」と、都へもどる決心をし、やがてりっぱな琵琶師になりましたとさ。今もこの峠を琵琶峠と呼んでいます。 「ふるさと瑞浪」より。
歴史息づく宿内のまち並み
大湫宿内は、東の寺坂下から西の高札場まで宿長3町6間(約340m)、戸数は70~80戸で、うち旅籠屋は35軒内外であった。 宿内往還は平均巾2間半(約5m)。宿内50軒の家々は、概ね間口6間半(約12m)に地割りされ、定人馬役としての宿役のほか旅籠屋を兼ねて往還の左右に造られていた。
宿内は東方から北・白山・中・神明・西町に5区分され、桝形(鍵の手)は北町に弓形(曲り)は、神明町に造られ、家々は屋号で呼ばれていた。また、宿内には東方から天王様・神明様・西ノ下・山之神・清水と呼ばれる清水井戸(池)も設けられ、宿民・旅籠屋の生活用水・旅人・人馬の飲用・防火用水池になっていた。
旧家 面高屋(おもだかや)
大湫宿散策で疲れたら、ここで休憩を・・・
大湫町では、この歴史的な旧家(屋号:面高屋)を、大湫宿を訪れる方々との交流施設として提供。通りに面した和室6帖・8帖の2間と土間を開放し、訪問客を接遇しています。
改修前の通りに面した「面高屋」の塀は、ブロック造りであったため、宿場町に馴染んでいなかった。そこで、“平成23年度瑞浪市夢づくり地域交付金”を活用し、「大湫宿町並み保全事業」の一環として、板塀に改修しています。
主要な建築工事は地元の大工さんに依頼し、既設ブロック塀の撤去や改修後の木製板塀の防腐防虫塗料塗り作業は、町民ボランティアを募っておこな行っていました。
現在では宿場町にマッチした、趣のある外観となっています。
面高屋の見学のご希望者は、後程詳しくご紹介予定のすぐ近くにある国有形登録文化財「丸森邸」にお問い合わせください。
丸森邸 電話番号は0572-63-2455になります。
特産品・出版物情報
大湫コミュニティーセンターでお買い求めいただけます。
竹炭・竹酢液・木酢液
竹炭は、水質浄化作用があり、水道水で気になるカルキ臭・塩素を吸着することが知られています。飲料水・炊飯に使用することで、おいしい水・おいしいご飯となります。また、脱臭に優れており冷蔵庫などにいれてご利用いただけます。使用後の炭は、土壌改良にも。
竹・木酢液は猫やモグラ等の忌避剤としても利用できます。
詳しいお問い合わせ
製造者:大湫炭焼乃会 (大湫町コミュニティ事務所内) ☏:0572-63-2360
〒509-6471 岐阜県瑞浪市大湫町422-1
瑞浪市注目のオリジナル出版物
瑞浪市の中山道ガイドブック
「深萱・大久後立場から大湫・細久手両宿そして津橋立場まで」
ふるさと大湫百話
「開宿390年広報100号記念中山道大湫宿史」
中山道とは
江戸時代の五街道の一つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ街道
中山道は、江戸から京都まで69宿(東海道の草津・大津両宿を含む)あり、全長約135里、東山道・木曽街道などとも呼ばれ、江戸と京都を結ぶ大切な超一級国道であった。
日本橋 雪
関ヶ原の戦い後、江戸幕府によって、それまでの御嵩~柄石峠~日吉本郷~半原~釜戸経由で大井宿へ通じていた中世以来の旧中山道のコースが改められ新しく御嵩~大井間を最短距離で結ぶ新中山道が日吉丘陵上に開かれた。(正徳6年・1716年から中仙道の仙の字が山に改められている)
十三峠
中山道大湫宿と大井宿の間の十三峠は、その名のとおりアップダウンが多く、難所とされていました。この区間には、三十三所観音、権現山一里塚、尻冷やし地蔵、樫ノ木坂の石畳など多くの史跡が残っています。
●所在地 瑞浪市大湫町
また、江戸時代(近世)の日本五街道(中山・東海・奥州・甲州・日光街道)の一つで、道巾平均2間~2間半(4~5m)、本陣・脇本陣・問屋場などの宿施設も整えられていて、幕府役人らの通行や公用荷物の輸送の便が図られた。
やがて、参勤交代制による大名らの通行量増による助郷制度の実施や、一般庶民の旅の増加などから旅籠屋も営まれるようになっていったのでした。 こうして中山道は、公用継・大名継などのための道としてだけでなく、次第に庶民の道としても賑わいを見せ、日本の大動脈として江戸時代を支えてきました。
中山(仙)道大湫宿御本陣絵図
中山(仙)道大湫宿脇本陣絵図
中山道六十九次・美濃十六宿駅名表
参考文献
文献史料から見る中山道の歴史
壬戌紀行(木曽の麻衣) 大田南畝(蜀山人)著 享和2年(1802)
金草鞋木曽路の巻 十返舎一九著 文化10年(1813)
続膝栗毛木曽街道 十返舎一九著 文化13年(1816)
木曽路名所図会 秋里籬島著 文化2年(1805)
岐蘇路記 貝原益軒(儒学者)記 貞享3年(1685)
打出浜記(丙寅紀行) 烏丸光栄(公家・内大臣)著 延享3年(1746)
癸丑遊暦日録 吉田松陰(長州・志士)記 嘉永6年(1853)
新撰美濃志岡田文園(尾張藩士)著 天保元年~万延元年(~1860)
濃州徇行記 樋口好古(尾張藩士)著 寛政年間(~1800)
古文書史料から見る大湫宿(町)の歴史
大湫村開基保々市左衛門宗昌家由緒文写 宗昌寺過去帳
大湫宿産土神 神明・白山両神社棟札写文化元年 写し
大湫宿(松葉垣外) 観音堂縁起と真影札写 弘化4年(渡辺収集品)
皇女和宮降嫁大湫宿々割表および仮建書上表 文久元年(渡辺調査表)
中山道街道絵図(街道絵図その二 大湫宿より八瀬沢まで) (渡辺書画)
中山道大湫宿町絵図 (渡辺書画)
中山道大湫宿屋号変遷書上表 (渡辺調査表)
中山道大湫宿屋号変遷書上表 (渡辺調査表)
中山道六十九次・美濃十六宿駅名表
中山道下向の宮姫たちの大継立(大湫宿)表 (渡辺調査表)
中山道大湫宿の大継立と主な通行者たち表 (渡辺調査表)
中山道大湫・細久手両宿略史・皇女和宮の降嫁と大湫宿 (パンフレット)
2008年2月大湫宿新春特別歴史学習会テキスト集より 講師:渡辺 俊典氏(郷土史家)
続く・・・
もうそろそろ山から烏が下りてくる時間となりました。中山道には思い出がいっぱい詰まっていますが、瑞浪・大湫町シリーズ、何となく長くなりそうな予感がしますので、第二話以降にぼちぼちと紹介します。
小生だけの独りよがりな思いですが、これまで多治見、恵那、中津川、付知、坂下そして木曾~信州へというのが定番で、つい多治見と恵那の間にある瑞浪をいつも通り過ぎてしまい、今回の取材にあたり瑞浪・大湫町のことを知れば知るほど今は大変に反省しております・・・
次回は第二話となります。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
大湫町コミュニティ推進協議会 大湫コミュニティーセンター内
〒509-6471 岐阜県瑞浪市大湫町422-1 TEL:0572-63-2360
瑞浪市観光協会 〒509-6121 岐阜県 瑞浪市寺河戸町1043−2
瑞浪商工会議所内電話: 0572-67-2222
紅山子( こうざんし ) 日原もとこ 東北芸術工科大学 名誉教授 /風土・色彩文化研究所 主宰
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話(代表)03(5253)4111
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