このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
放生祭(ほうぜまつり)
放生(ほうじょう)とは、捕えられた魚鳥に法を修して山野、池水に放つ慈悲行で、この放出を放生会(ほうじょうえ)といいます。
天武天皇5年(677)8月に初見されますが、養老4年(720)の宇佐八幡宮放生会として八幡神社で独自の法会として発展してきています。
小浜市の八幡神社は創建年代は不詳ですが、諸々の記録から約1000年の歴史を有するものと推定されます。
中世室町時代には、流鏑馬、管弦、江戸時代は相撲や能などが奉納されていました。
放生祭りの出し物は江戸時代、市内にある廣峰神社の祇園祭りに出されていましたが、明治以降、町名改編区制導入などにより、放生祭りとして定着するに至っています。
大太鼓5区、山車9区、獅子舞4区、神楽5区、神輿1区の24区が交互に隔年で12区ずつ出陣して、伝統の神事芸能を演舞奉納します。
山車
飛鳥区の舞台型山車を除きすべて屋根付き二階造り、一階の前部に出囃子を張り出しています。10数曲から20数曲の囃子を持ち、一階には大太鼓・小太鼓、二階には笛の囃子方が乗り込み道行きします。
神社や各区の本陣前では、出囃子で子供2人が小太鼓を打つ。江戸時代、祇園祭礼の頃の山車は、 「布袋山」・「大黒山」・「行者山」等人形を飾った山車だったそうです。
獅子
老若二匹の雄獅子と一匹の雌獅子が、笛と歌に合わせて、胸につけた締太鼓を打ちながら舞う。この三匹獅子舞は江戸時代の祇園祭礼には武家「関東組」の人々によって演じられていた。明治維新以後、一番町(雲浜獅子)と、この放生祭に奉納する4区が習い伝え伝統を守っている。
寛永11年(1634)酒井忠勝が、武州川越から小浜城主に移封されたときに、演技者を引き連れ、雲浜村竹原に住まわせたことから、地名をとって雲浜獅子と名付けられました。
演技者には、酒井家の家紋と準士族の地位を与え、城内の祝典以外での演技を禁じたという。
現在は、忠勝をまつる小浜神社の例祭で奉納されている、雄の老獅子と若獅子、雌獅子が登場し、
序、破、急の三段にわたり笛と太鼓の囃子に合わせて廻り舞います。
老若の獅子が、雌をめぐって激しく争うが、最後には仲直りして友連れの舞で納めるという、人生の教訓を踏まえた内容といわれています。小浜神社では、毎年5月2日・3日に催されます。
神楽
神楽の本屋台には獅子頭が載るが、獅子舞はなく、優雅で繊細な音律の神楽獅子を聞かせる。本屋台の大小二つの太鼓と笛の囃子で道行きし、神社や各区の本陣では、前屋台の二つの小太鼓と笛の囃子を奉納する。江戸時代の祇園祭礼の頃から中西町(現鹿島区)の「神楽太鼓」として出ており、他の4区も鹿島区から伝習したといわれている。
大太鼓
直径90cm近い大きな太鼓と5 ~ 7個の鉦による大音響の囃子に合わせて二人一組または三人一組の棒振りが勇壮に立ち回る。また、子供や青年が披露する大太鼓の曲打ちも見処 。最も歴史の古い住吉区の大太鼓は先頭に傘鉾が行く。一団で動いていく姿は京都祇園祭に出る綾傘鉾や四条傘鉾に似ている。
神輿
放生祭にでる唯一の神輿で、二年に一度、八幡神社の御神体を奉載して氏子各地を巡る。もともと八幡神社にあったものを香取区が譲り受け、巨費を投じて修理をした。
福井県の無形民俗文化財に指定されており、若狭路最大の秋祭りとして豪華絢欄、風流を極める放生祭りは、地域の誇る伝統行事として町衆の心意気によって受け継がれているのです。
時期:9月中旬の土曜日・日曜日
*平成30年度は9月15日(土)16日(日)開催
宇佐神宮「仲秋祭(放生会)」とは
宇佐神宮御本殿
八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、4万600社あまりのお社(やしろ)があります。宇佐神宮は4万社あまりある八幡さまの総本宮です。
放生会(ほうじょうえ)は、宇佐神宮における最古の祭祀儀礼です。
祭典日:10月体育の日、前日、前々日、3日間
初日の7日には、八幡大神が神輿に乗って、宇佐神宮から和間の浜に建てられた浮殿に神幸し、最終日の9日に宇佐神宮へ戻ります。
宇佐神宮から和間の浜に建てられた浮殿に神幸
明治以前まで「放生会」と呼ばれていた祭典で、伝統的なこの行事の由来は、養老4年(720)大隈・日向の隼人(はやと)が反乱を起こしたとき、朝廷の祈願により八幡神は託宣を下し、鎮定のため同5年両国に行幸、3ヵ年にわたって抵抗する隼人を平定して、同7年ご還幸になられました。
このとき、百人もの隼人の首をもち帰って葬った所が、神宮より西約1キロの所にある「凶首塚」です。また、すぐ下に「隼人の霊」を祠(まつ)る百太夫殿が、その後造立されました。現在の『百体神社』です。 さらに、神亀元年(724)「隼人の霊を慰めるため放生会をすべし」との託宣があり、天平16年(744)八幡神は和間(わま)の浜に行幸され、蜷(にな)や貝を海に放つ『放生会』の祭典がとり行われました。これが「放生会」の始まりです。
和間の浜に建てられた浮殿
八幡大神ゆかりの伝承
奈良時代のわが国は、中国の唐(とう)にならって、律令国家の建設を進めていました。しかし、東北の蝦夷(えみし)と南九州の隼人(はやと)はその中に組み込まれることに強く抵抗しました。『八幡宇佐宮御託宣集』(以後『託宣集』という)には、8世紀のはじめころに起きた隼人の反乱を制圧するため、八幡神を神輿(みこし)に乗せ、宇佐の人々も参加されたことが記しています。 八幡宇佐宮御託宣集 その歴史は、宇佐神宮の重要な祭礼(さいれい)である「放生会(ほうじょうえ)」として今日に伝えられており、隼人との戦いで殺生の罪を悔(く)いた八幡神が、仏教に救いを求めたことに起因しています。これを契機に、宇佐での神と仏が習合した先進的な思想が成立しました。
八幡神は和間(わま)の浜に行幸され、蜷(にな)や貝を海に放つ『放生会』の祭典
仏教と銅と新羅神
宇佐での神仏習合を考えるうえで注目されるのが、7世紀の末ころに建立されていた古代寺院です。『託宣集』には、隼人征討には八幡神とともに、虚空蔵寺と法鏡寺の関係者も加わっていたことが記されています。 また、放生会では、下毛郡の古要(こひょう)社(大分県中津市)と上毛郡の古表社(福岡県吉富町)が傀儡子舞(くぐつのまい)を奉納し、さらに田川郡からは、香春岳(かわらだけ)(福岡県香春町)の銅で作った鏡が奉納されていました。8世紀の『豊前風土記』には、「むかし新羅の神が渡ってきて、この河原に住んだので鹿春郷(かわらのさと)と名づけた」ことなどが記されています。つまり、田川郡には銅を産する香春岳があったので、新羅国(しらぎのくに)の神を祀る技術集団が住んでいたことが分かります。八幡神の誕生伝説に見える、「辛(韓)国の宇豆高島」や「鍛冶翁」との関係で注目されています。
八幡古表神社傀儡の舞
この芸能は、福岡県築上郡吉富町に伝承されているもので、四年に一度(八月六日か七日の夜、昭和五十年が四年目に当たる。)八幡古表【こひょう】神社の神舞殿【しんぶでん】で行われ。
往昔、宇佐八幡宮の放生会【ほうじょうえ】が和間【わま】の浜の浮殿で執行されていた時、宇佐八幡宮の末社である古表神社、古要神社(大分県)両社からそれぞれ傀儡【くぐつ】師を船に乗せ、海上から浮殿に向かって舞を奉納したという。
日本の人形芝居の源流をうかがわせる傀儡【くぐつ】系の人形戯で、素朴な神人形に単純な動きが伴い、人形戯の古態をよく伝えています。
細男舞は、神像型人形の神舞と相撲型人形の神相撲の二種に分かれます。
詳しくはこちらをご覧ください。
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2913841
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2922758
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2959802
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/4034771
編集後記
前号をご覧になられた読者の方々から放生祭と放生会について詳しく知りたいとのご要望が来ておりますので、今号では急遽、宇佐神宮様にご協力いただいた「放生会」について紹介いたしました。
続く・・・
参考
六郷満山について
国東半島に伝わる神仏習合の六郷満山文化
国東半島に点在する数多くの六郷満山の寺は、養老2年(718年)に仁聞菩薩が開基したと伝えられています。仁聞菩薩は、宇佐八幡神の化身(生まれ変わり)として宇佐・国東の地に、今をさかのぼること約1300年前に神仏習合の原点となる山岳宗教「六郷満山」を開かれました。平成30年(2018年)は仁聞菩薩によって開かれた六郷満山の1300年の節目を迎えます。
詳しくはこちらをご覧ください
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3149938
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3158332
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3159997
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
宇佐神宮庁 〒872-0102 大分県宇佐市 大字南宇佐2859 TEL:0978-37-0001
小浜市役所 〒917-0078 福井県小浜市大手町6−3電話: 0770-53-1111(商工観光課)
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