このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
「御食国」(みけつくに)とは、古来、朝廷に「御贄(みにえ)」(「御食」:天皇の御食料を指す)を納めた国のことです。 万葉集においては、伊勢・志摩・淡路などが御食国として詠われるとともに、若狭については、平安時代に編集された「延喜式」に、天皇の御食料である「御贄(みにえ)」を納める国として、志摩なとどと共に記されています。
また、奈良時代の平城京跡から出土した木簡の中に「御贄(みにえ)」を送る際につけた荷札が発見されていることなどからも、御食国であったことがうかがい知られます。
若狭は、古くから塩や海産物等を納める「御食国」として、歴史的に重要な役割を果たしてきました。
暖流と寒流が入り込む若狭湾。そこで捕れるカレイの味は格別です。底引き網漁解禁とともに市場に出回り、産卵が終わる2月半ばまで続けられます。
カレイには35種におよぶ仲間がいますが、若狭湾で捕れるカレイも多種多様。そのうちアマガレイが「若狭かれい」と呼ばれています。
淡泊で水分の多いカレイなので、塩をして天日に干すことで身が締まっておいしさが増します。生乾きで柔らかいのが美味。軽くあぶって食べます。地元では一夜干しガレイとも呼び、食べ易さと身の甘さが格別です。
若狭かれいは、京都でも珍重される高級品です。いまや福井県の皇室献上品となっています。
若狭ふぐ
若狭の冬の味覚といえば「若狭ふぐ」。
「若狭ふぐ」とは、日本で最北のとらふぐ養殖生産地、若狭湾で育ったとらふぐのことです。
冬の冷たい海で育てられるため、身質が天然にも劣らないと定評があります。
高タンパクでありながら脂肪はほとんどゼロで低カロリー。しかも血圧を下げる効果のあるカリウムが豊富に含まれています。
※ 若狭ふぐ料理は、市内の飲食店、ホテル、旅館、民宿等で提供されておりますが、調理に時間を要しますので、事前 に各店舗にご予約ください。
ふぐの食べ方ですが、鋭い歯を持つアゴの部分はぶつ切りにして鍋物に、白身の部分は刺身などに、皮は表のトゲの立っているところだけ包丁でそぎ落として鍋物や酢の物に、ひれは良く乾かし火にあぶりひれ酒に、白子は天ぷらや雑炊にして味わいます。この美味さは絶品です。
<刺身・ふぐ皮> 刺身、ふぐ皮の湯引きを盛りつけます。 ポン酢を小皿に注ぎ、刻みワケギ、紅葉おろしを加えたタレを作り、刺身、ふぐ皮をタレで召し上がります。
<ふぐちり> (材料:白菜・木綿豆腐・白ネギ・生椎茸・餅など) 土鍋に適量の水とダシ昆布を入れ、沸騰したらふぐを入れ4~5分煮ます。ふぐの色が白くなったら豆腐、野菜類の順に入れて、再び沸騰させます。 刺身と同じくポン酢と薬味のタレにつけて召し上がります。
<雑炊> 鍋の中に残ったものを取り出します。 ご飯を入れ、煮立ってからときほぐした卵を全体にまわし入れ、刻みワケギを散らします。 フタをして火を止め、少し蒸らしてからお召し上がり下さい。刻み海苔・ポン酢などで風味を付けるも可。
<ひれ> ふぐのひれを弱火で少し焦げ目がつくくらいまであぶります。 コップか湯飲みにあぶったひれを入れて、70度前後に温めた日本酒をそそぎ入れ、1分ほどおいてから、ひれを取り出してお呑み下さい。
世間噺
最近は、生態系の変化か?北海道、東北の海でふぐが獲れるようになってきているという。
ふぐを調理する資格取得について、これまで西日本では厳しくしているが、今までふぐがほとんど獲れたことのない地域では、講習で資格を与えているいうことで、西日本の料理人の皆さんがお客様のためにも大変心配して、全国統一の資格を望む声が大きくなっているように聞いています。
カニ
若狭おばまでは、冬になると「フグ」に並ぶ逸品、ズワイガニが味わえます。
このズワイガニは、福井県三国海岸沖の「越前ガニ」、鳥取県沖の「松葉ガニ」の名前で知られる冬の味覚の代表のひとつです。
メスは「セイコ」、オスは大きい方から「大ガニ」「中ガニ」「山ガニ」と呼ばれ、脱皮直後の甲羅が柔らかく肉も水っぽいのが「水ガニ」と呼ばれています。
ズワイガニの語源は、その足の形状に由来するといわれています。昔の言葉で「すわえ(楚)」=「若い枝が細くまっすぐなもの」という言葉がありそれが訛って「ズワイ」に転じたと推定されます。甲羅の大きさよりも足はずんずん伸びる若い枝のように長い、という感覚から来たといわれています。
鳥取と越前に挟まれたカニの漁場の中心地・暖流と寒流がぶつかる若狭湾沖、おいしくて当然です。
食べ方は、「ゆでガニ」が一般的ですが、「焼きガニ」「カニすきなべ」「刺身」など、たくさんの味が楽しめます。また、カニなべの後の雑炊も格別です。
なれさば
馴鮨(なれずし)
年の瀬の伝承料理で、内外海地区や田烏地区の正月には欠かせない「なれさば(なれずし)」は、古代ずしとも言われ、各地の寿司のルーツとされています。
若狭名物、さばの「へしこ」を水洗いし、丸一日水につけて塩出しをし、皮を剥いで、腹を開き、ご飯とこうじを混ぜ合わせて詰め込みます。これを樽の中につけ込んだのが、「さばのなれずし」です。
風味は高級なチーズの香り、身がひきしまって甘みと旨みのある味になります。見かけはちょっと、と思われる人も一度食べるとクセになる味。見かけと味のギャップに思わぬ感動もあふれます。
<なれずしの作り方>
1.一晩流水で塩ぬきをした「へしこ」の薄皮をむく。
2. 炊いた米とこうじを混ぜたこうじ飯を背開きしたさばの腹に詰める。
3. これを背が少し下になるよう樽に詰め、1段ごとにこうじ飯を振り入れる。
4. 樽がいっぱいになったらラップで覆い(水を抜く切り目を数ヶ所あけておく)、一昼夜は軽めの重石をする。
5. 次に、中の分量と同じか少し重い重石に替えて10日ほど、厳寒の時は20日ほど置くとできあがる。
小浜鯖(お刺身)
小浜鯖は、小浜市田烏釣姫漁港で、巾着網漁に従事した漁師たちが愛情たっぷりに育てあげた養殖鯖です。
水揚げしてすぐの新鮮な鯖だからこそ味わえる「お刺身」は、青魚独特の臭みがありません。少し歯ごたえのある、脂が程よく乗った身は、繊細で甘みのある青魚の頂点の味です。
この贅沢な鯖のお刺身は、田烏の民宿で味わえます。
小鯛のささ漬け
小鯛のささ漬けは、小浜を代表する珍味。
7~8センチの小鯛を3枚におろし、うす塩と酢に漬け、ささの葉を添えて、杉の木の香りが漂う小さな樽に詰めて作られます。
製造業者によって味が異なり、素材の持ち味を生かしながら、昆布で独自の味付けをするなどの工夫を凝らします。
ささ漬けに使われる小鯛は、「レンコダイ」とも「ハナオレダイ」ともいわれ、日本海の荒海で育った身の引き締まった小鯛です。 食べごろは樽に詰めて1~2日後、食べ方はいろいろ。そのまま生で、わさび醤油でお刺身に、寿司のネタに、三杯酢で酢の物に、吸い物にも最適です。また、フライや天ぷらでもおいしくいただけます。
平成27年5月、フジテレビ「発見!なるほどレストラン」の特集(卵博士が選ぶ最強18選)にて、卵かけご飯と混ぜても絶品と紹介されました。
浜焼き鯖
焼き鯖すし(美味しそう~鯖好きにはたまらない!)
傷みやすい鯖は数を数えている間にも腐るといわれるほどで、「サバを読む」のことばの語源ともいわれます。
傷みやすい鯖を新鮮かつ旨味を引き出すために考え出されたのが、鯖街道の起点ならではのグルメ、浜焼き鯖。鯖を開いて串にさして焼きあげます。
獲れたての新鮮な鯖は脂分や水分が多く、焼いている途中で身がはじけてしまう傾向があり、このため、焼き加減には高度なテクニックを要します。開き方やはじけるのを防ぐために、身に沿って入れる包丁に“技”があります。
京都祇園祭りでは、赤飯(「おこわ」ともいう。)と一緒に必ず食卓に上るほどの重要なメニューとなっています。火を通して、生姜醤油をかけて食べます。
へしこ
へしこ樽
昔から、冬場の保存食として若狭の各家庭で作られてきた「へしこ」。若狭ならではの味です。
冬の積雪、また日本海の荒波に、昔の小型漁船では漁場に出られない日も多かったと思われます。そんなときの貴重な動物性タンパク質だったのでしょう。
一塩した「さば」を、ぬか漬けにした郷土品。その通り「さばのお漬け物」です。
塩辛さの中にも独特の旨みがあり、一度食べたら忘れられない味。お酒にはもってこいのおすすめ品。白ご飯やお茶漬けにも最適です。
おばま醤油干
「おばま醤油干」は、若狭おばま地域に古くから伝わるものです。
少なくとも昭和20年代以降から、市民に広く愛され、毎日のように家庭で食べられています。一説には江戸時代には京都に出荷されていたとも言われている若狭おばま独特の食文化です。
若狭湾でとれる新鮮な魚(さば・あじ・レンコ鯛など)を醤油にさっとくぐらせてから軽く干し上げます。
みりん干しのような甘みはなく、塩干しと比べて、グルタミン酸やアミノ酸等の旨味成分が豊富で、焼けば食欲をそそる醤油の香ばしい香りがします。
若狭カキ
「若狭かき」は、凝縮された甘みとぷりぷりとした食感が特徴で、冬の味覚として人気です。
昭和5年頃から養殖が始まり、現在では、小浜湾で20軒ほどが養殖しています。
初夏の頃より、養殖いかだに本吊りして育てますが、冬の日本海でも特別波静かな小浜湾でこそ営むことができます。 潮の香りを漂わせる乳白色の身は、料理法が多く栄養満点なことから、「海のミルク」とも呼ばれます。
なべ、フライ、酒蒸しなど様々な調理法があります。冬になると美味しくなる名産品。小浜湾内で育った、ぷりぷりの「カキ」です。
小浜の歴史
若狭小浜は、日本海側、列島の中央に位置し、大陸や朝鮮半島、そして京の都と深くつながる文化都市でした。現在にも130もの寺院を残し、数多くの祭礼や芸能を伝承している小浜市は、平成27年4月14日、文化庁が創設した日本遺産第1号として「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国(みけつくに)若狭と鯖街道~」の認定を受けました。(小浜市・若狭町の2市町で認定。)
奈良時代以前から、若狭湾に面し、海の幸に恵まれた若狭一帯は、天皇家の食料である「御贄(みにえ)」を送る「御食国」として、都の食文化(≒和食文化)を支えてきました。
平安時代に入ると海上交通の要地となり、海を隔てて向き合う大陸や朝鮮半島をはじめ、日本各地から多くの文化や品物、人が流入してきました。
近年、“鯖街道”(鯖街道資料館)と呼ばれる幾筋もの道によって都に新鮮な海産物が送られ、京都からは最新の文化が伝わり、若狭小浜に繁栄をもたらしました。
明通寺三重塔
「文化財の宝庫」とも呼ばれる小浜市を含む都につながる街道沿いには、平安時代の仏像や鎌倉時代に創建された寺院が数多く残っています。平安貴族が深く帰依した天台宗、真言宗という密教的な信仰との関係を示している「十一面観音像」という仏像が数多く残されていることからも、都との深いつながりがうかがえます。 また、小浜にある明通寺の伽藍は鎌倉時代に建てられたもので、本堂と三重塔は国宝に指定されています。
初めて象が来た港図
室町時代初期の1408年、将軍足利義満への贈り物として象やダチョウなど、当時珍しい動物を積んだ“南蛮船”が交易基地として発展を続けていた小浜に入港しましており初めて「象」が日本に上陸したまちとなりました。
戦国時代から江戸時代にかけ、小浜の領主はたびたび変わりましたが、徳川三代将軍家光の時代、幕府老中酒井忠勝が小浜藩主となり以来幕末まで酒井家のもと、城下町小浜は若狭中心都市として栄えました。当時の廣峰神社の祭礼“小浜祇園大祭”からも小浜の繁栄状況がうかがえます。
羽賀寺 十一面観音菩薩立像
大陸や都との交流でもたらされた寺院や神社・仏像・お祭りなどの伝統行事、往来の歴史のなかで育まれた独自の食文化など、すばらしく多彩で密度の濃い往来文化遺産群が今も大切に伝えられている”御食国 若狭おばま”は、1500年ものさまざまな歴史と文化に彩られ、今なお時を超えて人々を魅了してやみません。
御食国(みけつくに)若狭と鯖街道
若狭は、古代から「御食国」として塩や海産物など豊富な食材を都に運び、都の食文化を支えてきた地であります。
また、大陸からつながる海の道と都へとつながる陸の道が結節する最大の拠点とな
った地であり、古代から続く往来の歴史の中で、街道沿いには港、城下町、宿場町が
栄え、また往来によりもたらされた祭礼、芸能、仏教文化が街道沿いから農漁村にまで広く伝播し、独自の発展を遂げた。
近年「鯖街道」と呼ばれるこの街道群沿いには、往時の賑わいを伝える町並みとともに、豊かな自然や、受け継がれてきた食や祭礼など様々な文化が今も息づいています。
海の幸を都に運んだ鯖街道
鯖街道を馬車で京へ
御食国としての若狭小浜の名を一躍有名にしたのは、若狭と京を結ぶいくつかの若狭街道、通称“鯖街道”(鯖街道資料館)であります。
鯖街道のルーツは先にも紹介したように遠く奈良時代にさかのぼります。
若狭小浜で獲れた鯖が若狭街道に沿って朽木谷を抜け、花折峠を越え、大原の三千院あたりから京に入る道に運ばれた記録が残っています。
その道が、小浜から出発する鯖街道であった。
現在の距離にして約80キロぐらいだろうか。今なら車で1時間余りだが、当時は人が背負いかごを担いで深い山間の道を歩いたのだからさぞかし大変だったに違いない。
一説には、ちょうどその距離を、小浜の海辺で獲れた鯖にひと塩し、夜を徹して京都に運ぶと着いたころには最も良い味になることから、鯖街道と名づけられたともいわれている。 鯖街道は、若狭から京都へ魚介類を運ぶ生活の道であった。
そして、この道を通って、鯖だけでなく若狭小浜で水揚げされた数々の海の幸が京都に運ばれたことは想像に難くない。
鯖街道は、今日の食文化に繋がる通り道だったのです。
全国に知られる特産物の数々
歴史をたどると、海の幸の拠点だった若狭小浜の姿が改めてクローズアップされるのだが、そもそも小浜がそうなり得たのは、暖流と寒流が交差する若狭湾が、昔から魚介類の宝庫とされてきたからです。
朝、市場に水揚げされる魚介類は日本海の荒波にたっぷりもまれ、活きのいいまま食卓に並べられます。豊饒な海がもたらす新鮮な恵みは、小浜の魅力を一層ひきたたせる味覚の代表であることは間違いない。 そんな小浜の特産物を少しばかり旅してみよう。
小浜では、魚は昔から生魚か、塩魚の中間である四十物(あいもの)(塩干物)で取引されてきた。 四十物は、若狭湾だけでなく、北海道や隠岐、丹後からも運ばれ、中でも若狭甘鯛や若狭カレイは、江戸時代の初めから若狭の特産物としてその名が知られるようになったといいます。
おそらく、鯖街道を通って京都にも運ばれたであろう。
京都の祭りには今でも「鯖ずし」が欠かせない。 江戸時代の初めといえば、ゆうに300年以上の歴史がある。 若狭カレイは今でも皇室に献上されており、昔も今も小浜の代表的な海産物だ。
もちろん、若狭ガレイだけではない。 地元で水揚げされたばかりのレンコダイを使った小鯛のささ漬けも、全国的に知られる小浜の特産品だ。
レンコダイを使った小鯛のささ漬け
そしてもう一つ、若狭湾といえば、冬の味覚の代名詞、若狭フグも欠かせない。 てっさ、てっちり、ひれ酒、ふぐぞうすいなどさまざまな味わい方が楽しめます。
食を知りつくした人は、シーズンを迎えるとその土地の旬の味覚を必ず訪ねるものだという。
たとえば、冬のズワイガニや若狭カキといった海産物もそのひとつ。 日本海の暖流と寒流にもまれ、身が引き締まった魚介類をたっぷり味わえるのも小浜ならではの魅力です。
良い味覚が特産物を育む
自然の恵みに育まれた小浜の人々は、一方でその土地の味を育てています。 良い素材が多いところには、良い味が育つ。それは魚介類だけに限るものではない。
味覚に精通した小浜の人は、たとえ和菓子であってもその土地ならではの味わいをもったものを好む。 そんな意識が、独特の逸品を育てているといえます。
そのひとつが夏の和菓子・くずまんじゅう。
初夏の味覚。くずは昔から胃腸に効く漢方薬とされ、夏場の弱った体に最適な食品です。
江戸時代の儒者、頼山陽が「吉野のくずに引けを取らない品質」と絶賛した上中町の熊川くずでこしあんを包んだ、涼味あふれる夏の和菓子。
練って透明になったクズを杯に入れて、あんを包んで冷やします。そのプルルンとしたのどごしと、ほのかな甘みを楽しんでください。
若狭のくずは「日本三大くず」のひとつに数えられ、くずまんじゅうは、そのくずを使い、豊かな水と自然の素材を生かした小浜の代表的な名物。
良質の水と素朴な材料でつくられるだけに、掘り抜き井戸の水で冷やすと、ひときわ自然の味が引き立っておいしい。 冬の和菓子・でっちようかんも、甘さを抑えた風味が人気の名物です。
天然の恵み、自然のもてなし。
それは今も昔も変わらない若狭小浜のありのままの姿に違いありません。
でっちようかん
控えめで上品な甘味。「水ようかん」は夏の和菓子の代名詞ですが、若狭の「でっちようかん」は冬の和菓子です。
「水ようかん」との違いは、甘みや寒天の量を抑えているところ。保存料は使用しないためいたみやすく、夏場には作らないのが普通です。
名前の由来は、いろいろな説があります。みずようかんに比べると煮詰めが足りず、ようかんとしては「半人前」という意味で「でっち」と名付けられた説。見習い職人でも作れるからという説。また、ふるさとの若狭を離れて丁稚奉公する子どもに、若狭の土産として持たせたようかんであることからついた説などがあります。
滋賀県や京都府の一部にもこの名前がありますが、あちらは竹皮などに包んで水分を飛ばしていますので食感が違います。口当たりの美味さは格別の郷土の和菓子です。
烏のたわ言 〜ああオバマ〜
あの鯖街道の地図を見ていると、50年位前に小生が度々車で往復した道のような気がする。
こんな重要な道だったのか?今更人生、実に半端に過ごしたもんだと述懐するが、もう手遅れか・・・(自嘲)
そういえば、当時近江高島から西に入った朽木村の林業に携わる人たちが困っていたのは、日本三大美林はじめ何処の「杉」を植えても、大きくなり製材すると、心材(赤い部分)が真っ黒く、使い物にならないということだったがその後改善されたのだろうか?「土壌が問題なのでは」と話したことを思い出す。
この時代は名古屋でも材木を運ぶのは馬車だった。誰が流した噂か?その昔、子供たちの間で白馬に歯を見せると「天罰が下る」…他愛もない噂に子供たちは信じて、白馬を見た途端、皆一様に緊張の面持ちで口を真一文字に結んだものだった。しかし、お互いに顔を見合わせ仲間を笑わせようと即席変顔大会と化すのだった。そのせいか、今でも小生は、白馬を見ると口を閉じてしまう。(笑)
先日、久しぶりに友人と昔話をした時のこと、「おみゃ~さんはよ~、本当~に昔のことよう覚えとらっせるわ。ワシよりぜってゃ~長生きさっせるわ~せいぜい長生きしてチョーでゃ~せ」と河村名古屋市長のような名古屋弁でからかわれてしまった。(注釈:この友人、そんな太古の記憶を昨日の如くイキイキと語る小生に呆れたのか…) 昔は今のように引き籠る部屋などないガキ達は表こそ大事な社交場だ。いつだって何かが起きる期待にワクワクしながら飛び出したもんだった〜一旦外に出たら孤独を楽しもうにも、さざれ石の如く群れる仲間たち。遊び相手が居ないなんて皆無であった。
最近はガキ(失礼!)お子様達はみんなどこに消えてしまったんだ〜
無舗装の通りに雨が降るとあちらこちらから、小ちっちゃな無数の穴から泉が湧き出した。雨上がりにそれをいち早く発見した子供は肩を聳やかしてたっけ…
小生のまるで幼稚な感傷なんて今頃の頭でっかちなお子様たちは、きっとこう言うんだろうな。
「何言ってんのオジサン。最近は地球のかけがえのない水資源なので舗装も地中に浸透する『浸水性・保水性舗装』のものに変わってきているから心配いらないよ〜」
・・・えぇっ!うんうんそうだよね〜・・・
追記
投稿時間を4時間以上オーバーして丑三つ時を過ぎてしまいました。本日はこれにて終了いたします。
あ、そうそう…
先日の台風以降行方不明となっていた、我が家の守り神のヤモリが、嬉しいことにやっと帰ってきました。
指定席の玄関扉の欄間のガラスに四本足の吸盤をしっかりと吸い付かせ、以前と変わらぬ元気な姿で害虫の駆除をしてくれています。
また、大型台風がやってくるので小さい体で持ちこたえることができるか、ちょっと心配だ…
読者の皆さんもどうぞお気を付けください。
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力
小浜市役所 〒917-0078 福井県小浜市大手町6−3電話: 0770-53-1111(商工観光課)
若狭おばま観光協会 〒917-8585 福井県小浜市大手町6-3TEL 0770-53-1111
文化庁〒100-8959東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号 03(5253)4111
参考
御食国 淡路の食文化
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3123000
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
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