このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
平成30年(2018年)は明治元年(1868年)から満150年の年に当たります
明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、明治期において多岐にわたる近代化への取組を行い、国の基本的な形を築き上げていきました。
内閣制度の導入、大日本帝国憲法の制定、立憲政治・議会政治の導入、鉄道の開業や郵便制度の施行など技術革新と産業化の推進、義務教育の導入や女子師範学校の設立といった教育の充実を始めとして、多くの取組が進められました。
また、若者や女性等が海外に留学して知識を吸収し、外国人から学んだ知識を活かしつつ、単なる西洋の真似ではない、日本の良さや伝統を活かした技術や文化も生み出されました。
政府では、「明治150 年」を迎える平成30 年(2018 年)を節目として、改めて明治期を振り返り、将来につなげていくために、地方公共団体や民間企業とも一緒になって様々な取組をしています。(内閣官房)
函館西部地区のランドマーク的存在の相馬株式会社の本社社屋です。
函館基坂の下に大正初期に竣工した木造洋館。モスグリーンに塗られた外観は美しく、貫禄十分。外観の意匠はルネサンス様式とされるが、屋根に付けられているぺディメント(破風)や屋根の造りは和風に近く、明治期から大正初期にかけての日本の洋館の特徴をよく示しています。
伝統的建造物の相馬株式会社の前で。
函館ハイカラ號は、1910年(明治43年)12月から千葉県成田市で運行していましたが、
1918年(大正7年)函館へ移り、1936年(昭和11年)まで大勢の函館市民の足として活躍していました。1992年(平成4年)函館市制70周年記念事業のひとつとして、現役復帰を果たし、今や函館の古い街並みにとってなくてはならない存在となっています。
路線図
歴史建造物に別邸『開港庵』開設
新撰組屯所跡地に建つ「函館元町ホテル」
函館元町ホテル前に「 新撰組屯所跡地 」と史跡案内板が設置されました。
この周辺は明治12年の大火までは称名寺という浄土宗のお寺がありました。
幕末には英国・仏国の領事館、箱館戦争時は「土方歳三」の箱館市中取締就任にともない箱館警備の任に就いた「新選組の屯所」となりました。
土方歳三が戦死した場所は一本木関門、鶴岡町、栄国橋(異国橋/現在の十字街付近)など諸説ありますが、
日野高幡不動尊金剛寺の過去帳に、「箱館称名寺に鴻池手代大和屋友次郎建立の土方歳三供養費が
ある」と記されています。
当時に旧幕府・箱館政府には財源がなく、地元民から運上金や通行税を徴収しました。戦況が逼迫してくると
軍資金は底をつき榎本武揚らは富裕な商家から金品をを徴収する事を計画したのでした。
このとき土方が猛反対し、徴収は中止された。
これを知った大和屋友次郎はじめ箱館の商家の人々は、土方の死を悼んで称名寺に供養碑を建てたという。
称名寺は明治期に3度の大火に見舞われ、その碑は現存していません。現在ある称名寺の供養碑は、昭和47年
有志により建立されたものです。
明治8年の函館元町ホテル周辺地図になります。
赤い所が現在の函館元町ホテル/黄緑斜線が当時の称名寺/右~實行寺/左~能量寺(浄玄寺)
青いマーカー線は現在の道路
歴史建造物に別邸『開港庵』
場所は、嘉永7年(1854)ペリー艦隊が来航上陸した開港地のココ 函館の大町。
函館山の裾野に広がる教会群や旧領事館など歴史的建造物が連なる西部地区、赤レンガ倉庫群も徒歩5分程度、函館の人気観光エリアに立地しています。
「別邸 開港庵」の玄関に飾られたペルー来港当時の絵
建物はここ数年、空き家状態が続き今後が心配された「函館市景観形成指定建造物」に指定された歴史建造物。昨今、西部地区において次々と「函館の宝」ともいえる建物が壊され更地になっていく風景を見ていた同地区の函館元町ホテルの宿主人が縁があり取得され改修工事を完了して「別邸 開港庵」と命名しオープンしたものです。
並びには同じ明治時代に建てられた素敵な歴史的建造物が地域の雰囲気を形成しています。
建物は、函館市に多くみられる1階が和風、2階が洋風の一般的な「和洋折衷」とは少し違い、正面が和風、後方奥が洋風のイギリス式下見板張り上げ式のギロチン窓が付く珍しい和洋折衷建築物。
建物のルーツは、明治42年に『海産商の森卯兵衛商店』(現 株式会社ニュートーキョー)が海産商店舗兼住居として建てたのが始まりだそうだ。
その後、『日魯漁業会社』( 現マルハニチロ(株) )が買い取り、同社の診療所として長年使われ戦後は海運業や数年前までは宿泊施設として利用され廃業後の数年前からは空き家の建物だった。
内部は天井が高く柱も太く立派な建物で、釘を使わない構造の所謂「伝統工法」です。
明治42年建築の建造物のホテルは、おそらく北海道内としては、最古のホテルではないでしょうか・・・。
金森赤レンガ倉庫
金森赤レンガ倉庫の生い立ち
金森倉庫の創業者、初代渡邉熊四郎氏
金森赤レンガ倉庫の歴史は、金森倉庫の創業者、初代渡邉熊四郎が最初の事業、金森洋物店を開業したところから始まります。明治2(1869)年、榎本武揚ら旧幕府軍が降伏し、開拓使出張所が函館に置かれた年、まさに新しい時代の幕開けでした…。24歳の時に長崎から函館にやってきた熊四郎は、旧金森洋物店(現市立郷土資料館)・旧金森船具店で輸入雑貨や船具の販売等、数々の事業を営むかたわら函館四天王の一人として創設期の函館に数々の業績を残しました。特に社会、文化事業に果たした役割は大きく、学校や病院の建設、公園や水道施設の整備等、多くの公共事業に私財を投じました。
明治20年〜函館倉庫事業始め
明治17年(1884年)頃から倉庫の必要性を感じていた初代は、明治20年(1887年)に営業倉庫業に乗り出します。三菱会社との合併により日本郵船会社となったため不要になった共同運輸会社の倉庫建物、地所を買い取り倉庫業を始めました。創業当時は預かり荷物が不足していましたが、明治23年(1890年)頃には海運隆盛の動きに比例して預かり貨物量が増大し、倉庫が不足するほどになりました。
明治24年(1891年)7月12日の函館新聞によると「末広町渡邉熊四郎氏が船場町所有地内に建築の煉瓦造荷物倉庫は梁八間行間二十間高さ十八尺之は平製造所の煉瓦を用ひ屋根は金子製造所の瓦を用ひ然して庫内地上コンクレートにて固め其上に厚板を敷く由にて在来地に上砂三尺余を盛り地伏は既に落成せり此棟梁鈴木歌吉工事費予定八千円八月中落成の見込」となっています。
●年を追うごとに増す預かり荷物に対応するため次々と近隣の土地を確保し、倉庫を増築し、営業規模を拡張していきました。
明治後期〜明治40年大火からの復興
明治40年(1907年)8月、東川町より出火した火災は街の3分の2弱にあたる12,390戸を焼失する惨事となりました。この大火により金森倉庫は6棟を類焼し、言語の絶する大損害を蒙りますが直ちに不燃質倉庫の再建を指示、明治42年(1909年)5月に完成しました。
●未曾有の大火から数年、驚くほどの速さで復興を遂げ、明治43年(1910年)には利益をあげるまでに回復。収益では金森倉庫と弁天倉庫が他の倉庫を抜き放すようになりました。
昭和後期〜夢倉庫として新たなる出発
昭和後期に入ると輸送形態の変化や北洋漁業縮小などの諸事情によって倉庫業はかつての勢いを失っていきます。
その一方で建造物としての金森倉庫が注目されるようになり風格のある姿が映画やテレビ、CMなどに写し出され市民のみならず観光客にも知名度が高まっていきました。
当時の金森倉庫幹部たちは、倉庫業の危機的状況を回避すべく、会社に余力があるうちに新たな事業への転換をと考えるようになりました。
昭和63年4月 金森赤レンガ倉庫へ
金森赤レンガ倉庫は、8月19日(日)より通常営業(~午後7時)となります。
昭和63年(1988年)4月、「金森赤煉瓦倉庫」は「金森赤レンガ倉庫」へと生まれ変わりました。今もなお、海運業盛んな頃の面影を色濃く残す函館ベイエリアの象徴の一つとして、訪れた人に、忘れられない素敵な時間を残せる場所であり続けられるように、金森赤レンガ倉庫はいつまでも函館の歴史を見守り続けています。
ベイはこだて(懐かしい風景です!)
函館ヒストリープラザ
ベイ はこだて
明治15年頃に築造されたライトアップも美しい運河を囲むように、チャペルやクルージング、カフェなどが配置されています。 運河からの心地よい風を感じながら、まるで異国にいるかのような時間をゆっくりと過ごすことができますよ~。
金森洋物館
建物の名称は金森倉庫の創業者 初代 渡邉熊四郎が150余年前に開業した“異国の夢を売る店”「金森洋品店」に由来します。 2棟の倉庫を利用した広大な館内に、カフェ、生活雑貨など20を超える店舗が勢揃いしています。
函館ヒストリープラザ
金森倉庫の特徴である高い天井とヒノキ柱を明治42年の建築当時のままの姿で見られる建物です。 開放的な空間で、ここでは工場直送の生ビールやショッピングを楽しんでください。
金森ホール
函館文化のさらなる発展を願って開かれたのが、多目的ホール「金森ホール」。ホールは広さ約440平方メートル、約200名収容でき、照明、音響などの設備を備え、コンサートや、演劇、講演会、映画鑑賞などのほか、各種展示会、コンベンション、披露宴やパーティーにも利用されています。
函館市元町末広町(煉瓦造の倉庫群)
北の海の玄関口の一つである函館は、幕末期から開港場として発展しました。函館山の麓には、異国情緒が漂う町並が広がり、その中心部分が保存地区となっています。重要文化財の旧函館区公会堂(明治43年)や函館ハリストス正教会復活聖堂(大正5年)が高台に聳え、港沿いには煉瓦造の倉庫群がひろがり、その間に和洋折衷の独特な形態を持った住宅が点在して残っています。
旧函館区公民館
100年以上前に建てられた西洋風木造建築。国指定重要文化財。冬には、建物の鮮やかな黄色(マリア・テレジア・イエロー?)が白い雪に映える。
ハイカラ衣裳館
旧函館区公会堂で提供される、レンタルドレスとヘアメイクの有料サービス。港を見渡すバルコニーで、プリンセス気分で記念写真を撮ることができる。
旧開拓使函館支庁書籍庫
明治40年(1907)の大火で類焼を免れたもので、鉄の防火扉と小さな窓をそなえた一見土蔵風の建物です。煉瓦の一部に「明治七年函館製造」などの刻印があって、開拓使が明治5年に創設た茂辺地煉瓦石製造所の製品を使用していることがわかります。
書籍庫の建築は明治13年と推定されていますが、同じ茂辺地煉瓦を用いた建築としては、函館常備倉(現存しない)や金森洋物店などが著名です。
設計・施工共に不明であるが、技術・意匠などにより、金森洋物店の設計者として知られている池田直二であるという見方もなされています。
各窓に防火の鉄扉と鉄柵を設け、煉瓦の積み方にフランス積みを取り入れるなど意匠や技法に特徴があります。外部四隅には隅石が組まれ、石造りの鉢巻が廻っています。小屋組は、杵束式木造トラスです。
わが国の煉瓦造りの歴史を伝える、貴重な建築物です。
旧函館博物館1号
明治4年(1871)、開拓使の御雇教師頭取兼開拓顧問ホーレス・ケプロンは、大学、博物館、図書館の必要性を建言し、これを受けて開拓使は、明治12年5月25日・函館公園内に開拓使函館仮博物場を開場しました。これは、明治8年の東京博物館、開拓使北海道物産縦覧所の開設、明治10年の札幌の偕楽園博物場開場とともに日本における地方博物館誕生の先駆けです。
開拓使函館仮博物場は、函館裁判所などを手がけた新潟出身田中善蔵の工事請負により、明治11年5月に着工、同年7月に完成をみました。建物は、博物場本体と管理人室、研究室が廊下で結ばれ中庭が設けられていましたが、現在は博物場本体のみが残り、日本で現存する最古の洋風木造建築の博物館として知られています。
建物は、平屋建寄棟造の瓦葺で、外壁は白色のペンキが塗られています。正面入口上部に開拓使印である「北辰」(北極星)が刻まれ、縦長に配列している窓は上下スライドの開閉式となっています。
開拓使函館仮博物場は、明治15年に函館県博物場(第一館)、明治25年に庁立函館商業学校附属商品陳列場、明治28年に函館水産陳列場(第一館)と改称を重ね、昭和7年(1932)8月には水産館の看板が掲げられ、昭和41年の市立函館博物館本館開館まで使用されました。
旧函館博物館2號
明治15年(1882)、開拓使の廃止に伴い、北海道が札幌、函館、根室の3県に分かれると開拓使函館仮博物場は函館県博物場となりました。明治14年の開拓使東京仮博物場の廃止により、多くの資料が東京から移管され展示室が狭くなったことから、明治16年7月に新たな博物場建設が開始され翌月に完成し、展示等の準備を経て明治17年8月11日に函館県博物場第二博物場が開場されました。
建物は、洋風の平屋建で当初屋根は杉の柾葺だったが後に亜鉛葺となりました。玄関は、コリント様式風の装飾柱と半円形のアーチが設けられ、上部半円形縦長の窓は分銅による上下スライドの開閉式となっていました。当時は外壁全体は白色、正面玄関の柱、アーチは青色、窓枠は黄色、屋根棟飾りは白色のペンキが塗られ色彩豊かな建物でした。
函館県博物場第二博物場は、明治24・25年にかけて庁立函館商業学校附属商品陳列場、明治28年に函館水産陳列場(第二館)と相次いで改称されましたが、昭和7年(1932)8月より先住民族館の看板が掲げられ、昭和41年の市立函館博物館本館開館まで使用されました。
函館ハリストス正教会復活聖堂
日本ハリストス正教会発祥の地に建つ教会堂です。小規模ながら正教会聖堂の標準的な構成になる数少ない煉瓦造の本格建築であり、ロシア、ビザンチン様式を基本とした変化に富む外観は意匠的にも優れています。正教会輔祭で各地の教会堂を手がけた河村伊蔵の設計で、正教会聖堂の代表的建築として価値が高い。
約100年前に建てられたハリストス正教の教会。国指定重要文化財。海を見おろす高台に建ち、函館山の麓一帯に、特徴的な鐘の音が鳴り響く。
トラピスチヌ修道院
日本で最初に建てられた女子観想修道院。レンガ造りの建物は、ミサの行われる聖堂と修道女が生活するところ。前庭まで見学できます。
函館聖ヨハネ教会
3つの教会が建ち並ぶ「元町」地区の、イギリス聖公会の教会。建物を上から見ると、大きな十字架になっています。
カトリック元町教会
教会が建ち並ぶ「元町」地区にある、ローマカトリックの教会。夜にはライトアップされて、特に雪景色は神聖な雰囲気。
はこだて開港ペリーロード
安政元年(1854)幕府はアメリカとの間に和親条約を終結し下田と箱館を開港(箱館に於ける小開港)することになりました。
条約上、箱館の開港は翌年3月であったが、4月15日ペリー艦隊の船3艘が箱館に来航し港内の測量を始めた。更に同月21日には2艘(ポーハタン号、ミシシッピー号)が入港した。ポーハタン号に乗船していたのがペルリ(ペルリとはオランダ発音)こと東インド艦隊司令長官マシュー・カルブレイズ・ペリーである。その時の様子は「亜墨利加一条写」に記されており士官たちが箱館に上陸後散策したルートがペリーロードの由来です。
一行は上陸地である沖之口番所の浜辺で開かれた特設市場で競って箱館土産を購入したという。また、外国人墓地はペリー艦隊の水兵2名が滞在中に死亡し埋葬されたのが始まりである。安政五年6月には、修好通商条約が終結され箱館と新潟、横浜、神戸、長崎を貿易港として開港することになりました。
箱館の開港は翌年6月2日(新暦7月1日、箱館に於ける大開港)で、この日が後に開港記念日とされました。
※絵図及びスケッチ画、肖像写真は函館中央図書館蔵 協力:はこだて外国人居留地研究会
■函館の各国領事・領事館
アメリカ※ ・・・ 1857~1882、1904~1919
ロシア※ ・・・ 1858~1904、1906~1938、1939~1944
イギリス ・・・ 1859~1934
フランス ・・・ 1859~1874
ポルトガル ・・・ 1861~1888
オランダ ・・・ 1863~1875
スイス ・・・ 1865~1875
ドイツ ・・・ 1865~1876
デンマーク ・・・ 1867~1889
オーストリア ・・・ 1869~1911
イタリア ・・・ 1869~1875
ノルウェー
スウェーデン ・・・ 1871~1921
中国 ・・・ 1886~1938
※アメリカ・・・1882年(明治15年)9月、函館在留のデビソン領事が任期を終え帰国、アメリカ人宣教師が事務を取り扱った。1904年(明治37年)キング代弁領事が就任し事務を開始した。1919(大正8年)7月キング氏の死去により閉鎖。
※ロシア・・・1904年2月日露戦争により日本国内の領事が引き揚げる。1906年5月領事が着任し現在の旧ロシア領事館の地で領事館を開いた。1944年(昭和19年)10月ソ連領事館閉鎖。
資料/市立函館博物館所蔵各国領事領事館・函館市史年表
■はこだて一番物語
●コーヒー飲みはじめ
安政四年(1857)病気予防などの目的で箱館奉行から配られたのが北海道で最初の出来事。
●西洋帆船建造
船大工の続豊治が函館に入港する外国船をもとに設計し安政四年に完成した箱館丸が日本人だけで初めて造られた西洋帆船で、日本初の実習船。
●西洋料理店
外国人向けに安政六年に開業した料理店が日本最古のレストラン。
●赤十字活動
明治元年(1868)の箱館戦争で負傷兵を分け隔てなく治療した箱館病院長、高松凌雲こそ日本で最初に赤十字精神を実践した人。
●気象観測所
函館出張開拓支庁は明治五年7月開拓使の福士成豊(父は続豊治)の自宅に観測所設置を認め1日3回の観測を始めた。これが国の機関として日本で最初の観測所。
●海水浴場
明治十二年に現在の水産物卸売市場付近で皮膚病などの治療目的で日本で最初の海水浴場が設置された。
●上水道
明治二十二年、日本人設計監督による日本で最初の上水道が造られた。(函館公園には、その記念に寄贈された噴水のレプリカがある)日本で最初の上水道は2年前に造られた横浜。
●世界初!?有料自動車道
大正七年(1918)湯の川から宇賀浦町の間の道を整備し湯の川温泉への乗合いバス事業を始めた会社があったが、他の車が利用する際は料金を徴収していたそうだ。
これが函館~ペリーロード~
ぜひ歩いてみてくださいね!
編集後記
北海道・函館編、今回が最終話となります。昔、金森赤レンガ倉庫さんのベイエリアのビヤホール・レストランのオープンにお招きいただいてからかれこれ30年になります。まるで昨日の出来事のようです。あの時のことは鮮明に覚えています。1日目の夜は函館に住む知人の案内で、函館山から素晴らしい夜景を眺め、函館に来たら是非、食べさせたいものがあると言っていたイカ刺しをご馳走になりました。北陸の富山、石川、福井を歩いた折に食べたイカ刺しも美味しかったが、ご馳走になった分だけ函館のイカ刺しのほうが美味しく感じたように記憶しています(ゲンキンなものです)。
次の日は朝早く迎えに来てくれ、日本で一番美味しいソーセージをご馳走するからと、ドイツ人レイモンさんのそんなに大きくないけれど素敵なインテリアのお店に連れて行ってくれました。お店のショーケースには見たこともないくらい沢山の種類のハム・ソーセージが並んでいたのにはビックリでした。数年後ドイツで食べたソーセージよりも美味しかった。(これはご馳走にあずかったからばかりではありません!)きっと、日本人の好む味に工夫されていたのかも?
五稜郭に着いた頃は昼で、お土産のソーセージを待ちきれず、たいらげてしまいました。
夕方には、味噌ラーメンが好みなのに、ここのラーメンは名古屋では食べれないと言われて嫌々食べた塩ラーメン、確かに美味い!試しに名古屋でも食べてみたけれど、その土地で食する味にはかなわないようです。その後、どうやって名古屋にたどり着いたのか、さっぱり思い出せない・・・
食べ物の力は大きい、そこだけは30年前のことを確り覚えている。
つくづく実感しました~おもてなしの心は食の心~と!(小生だけかも)
この度、当Webサイトにて「函館」をご紹介するにあたり、函館の大勢の皆様にお世話になりました。
末筆ですが、衷心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
もう一度函館に帰りたいと思っています。出来ることなら青函連絡船で・・・
だけど…北海道新幹線は、快適で早そうですね~
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
函館ホテル旅館協同組合・北海道ホテル旅館生活衛生同業組合 函館支部
〒040-0036 北海道函館市東雲町15-15 TEL/0138-22-2942
金森赤レンガ倉庫 〒040-0053北海道函館市末広町14番12号 TEL0138-27-5530
五稜郭タワー株式会社 〒040-0001北海道函館市五稜郭町43番9号 TEL 0138-51-4785
相馬株式会社〒040-0052 北海道函館市大町9−1電話: 0138-23-8351
旧相馬邸 函館市元町33-2 電話番号 0138-26-1560
函館山ロープウェイ㈱ 〒040-0054 北海道函館市元町19-7 0138-23-3105(総合案内)
函館元町ホテル〒040-0052 北海道函館市大町4-6 TEL 0138-24-1555
函館市役所 〒040-8666 北海道函館市東雲町4番13号 TEL:0138-21-3111(代)
文化庁 〒100-8959東京都千代田区霞が関3丁目2番2号電話番号(代表)03(5253)4111
内閣官房〒100-8968 東京都千代田区永田町1-6-1TEL.03-5253-2111(代表)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
参考資料(宿泊)
駅前・大門地区のホテル
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西部・元町地区のホテル・旅館
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函館ペリーハウス 大町3-2 JR函館駅~市電大町下車徒歩3分 0138-83-1457
HakoBA 函館THE SHARE HOTELS 末広町23-9 JR函館駅~車で10分
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