このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
370年余の伝統が、今も魂に宿り肉体を鼓舞させる。
北海道を代表する最古の祭り
毎年8月9日~11日【3日間】豪華な13台の山車が町中を練り歩きます。
江差・姥神大神宮渡御祭
(えさし・うばがみだいじんぐうとぎょさい)
その起源はおよそ370有余年前にもさかのぼる、蝦夷地最古の祭りと知られた姥神大神宮渡御祭。その年のニシン漁を終え、蝦夷地きっての景気にわきかえる夏の江差で、豊漁に感謝を込めてにぎにぎしく行われるお祭りでした。
江差では御輿に供奉する曳き山を「ヤマ」と呼び、屋台に高く青木(トドマツ)を立てて神の依代とすることを「ヤマを立てる」といい表します。
宝暦年間(1751~1764年)に作られた神功山をはじめとする、武者人形、能楽人形、文楽人形、歌舞伎人形などを配した豪華な13台のヤマが、吹き流しや錦の御旗をひるがえし、流暢な祇園囃子の調べにのって町内を練り歩きます。
はるか遠い江差のニシン景気を現代に伝える夏の大祭です。
姥神大神宮渡御祭
8月 9日 宵宮祭
8月10日 本祭 下町巡行
8月11日 本祭 上町巡行
祭りには帰ってこいよ・・・
祭りへの思いは一つ。きっと「祭りで逢える」
年代それぞれ、江差に現在住んでいようがいまいが、江差人の祭りへ寄せる思いは熱い。それが祭り期間、人口1万人の江差が5万人に膨れ上がる要因と言えるのかも知れない。
故郷
江差を離れて生活している方と合うと、決まり文句のように「姥神さんのお祭りには帰ります。」「お祭りに遊びにいらしてください。」と言い交わす。
出身者同士では、「お、元気か、久しぶりだな。最近田舎に帰ったか?お祭りに一緒に帰ろうか。」「そうだな、一緒に帰るか。」お祭りを仲立ちに挨拶がかわされる。これが何より心のこもった挨拶と言える。
「お久しぶりです」「おぉ~元気にしてたか」と、先輩が後輩の肩に優しく手を廻す。
いい光景ですね~これが「江差・姥神大神宮渡御祭」他にも出会いがいっぱいです!
帰郷
8月7日頃から江差の人口が増加しはじめ、10日、11日の両日には、各家庭は数倍にも膨れあがり、久しぶりに若者が目立つようになる。近隣の町まで含め、旅館という旅館も満員となる。こうして13日のお墓参りを済ますと、ふだんの江差に帰っていく。
そのころから風は秋を感じさせる。
江差の母さん(1)
この祭りを陰で支えているのは、女性(母さん)の方々。
この祭りばかりは、正月にひけをとらない御馳走がテーブルを埋める。
赤飯、ウニ、アワビ、ツブ、煮しめ、ソーメン、刺し身、オードブルといった料理を用意するのは母さんの仕事。ニシンそばうまそ~
写真の料理は当Webサイト編集局にて江差町の名物から選んだイメージです。
何日も前から、献立を考えたり、仕込みをしたりと祭りでわが家に訪れるお客さんに充分なもてなしを出来るよう母さんたちは孤軍奮闘。もちろん、これだけの御馳走を用意するのだから出費もかさむ。
そこは、1年に1回の祭りに恥ずかしいものは出せないと、江差の母さんも太っ腹になる。
祭り当日、「結構なお祭りでーす」と友人、知り合い、知り合いのまた知り合いといった具合に、ぞくぞく家に上がってくる。そこには、見たこともない人たちもたくさんいるが母さんたちは、ビール瓶を両手に抱え、「いらっしゃい、遠慮しないで何でも食べて飲んでいって」と気軽に声をかける。
「母さん、ビール、母さん、ソーメン」のんきにコップを持つ男たちとは対象に、母さんたちは家中を駆けめぐる。(ビール、ジュースなどは、冷蔵庫に入りきらないので、風呂の浴槽に大きな氷を入れ、何ケースも冷やしておく家もかなりある)この出入りが入れ代わりたち代わり続く。
母さんたちはもうくたくたになるが、「母さんおいしかったよ。御馳走さん、また、来年も寄るよ」の言葉に、満足感を覚える。
江差の母さん(2)
山車が1日の巡行を終わり、それぞれの宿に戻ってくる頃、地域の母さんたちが、ごちそうを作って子供たちや男たちを迎える。
「ご苦労さん、疲れたでしょ、一杯飲んでゆっくり休んで」の声に男たちは安らぎを感る。まだまだ、母さんたちの仕事は終らない。
江差に新たな特産品をつくろうと、江差経済同友会が主体となって取り組み、180年前まで江差でよく飲まれていた“わくいずみ”という伝説の地酒の粋と、現代を融合させ復活。
ついに完成したのがこの純米吟醸酒「蝦夷山海」です。180年間眠っていた酒とは、一体どんな味がするんだろうか?興味深い。
夜中の12時を回ってから洗濯機を回す。汗でびっしょりぬれた半纏、汚れた足袋、豆絞り。
朝、1番に起きて、半纏、浴衣のアイロンがけ、子供たちや男たちが祭りにでかけるまでの準備いっさいを手掛ける。
みんなが、出ていったあと、母さんたちも一緒に山車につく。子供たちへのおやつ配りなどの手伝いなども母さんたちの仕事。
夜になり、祭りは一気に盛り上がり引手のボルテージも最高潮にたっすると、母さんたちの心配も増える。子供たちは怪我をしないか、お父さんは飲みすぎグロッキーしないか、けんかをしないか、母さんたちの心配はつきない。
無事3日間のお祭りが終わると、1年の大きな仕事を終えたという充実感を感じるという。
こんな江差の母さんたちに支えられて、江差のお祭りが成り立っている。
江差の母さん(3)
山車の行列が通っている家の前で、外に電話の受話器を向けている婦人をよく見かける。
何かの都合で祭りに帰郷できなかった息子や娘、孫たちに、祭り囃子を、祭りの雰囲気を電話で送っているのである。
神、天降り、ここに宿り給う
江差の人間にとって8月は、一年中で、最も待ち焦がれる特別の月です。
ここでは一年の中心は、盆でも正月でもなく8月9日、10日、11日の“江差姥神大神宮渡御祭”なのです。
それは、江差を離れ、他都市で暮らしている人々にとっても同じです。「今年の姥神さんの祭りには帰るのかい?」といった会話が、日本各地の江差出身者の間で交わされるのです。
北海道最古といわれる歴史を今に伝える熱狂の3日間です。
躍動
渡御は本祭の10日、11日それぞれ午後1時と正午から始まります。
猿田彦の行列が先導して、3基の神輿と鳳輦(ほうれん)が続き、その後に華やかな町内13台の山車(ヤマ)がにぎやかに従います。
行列が通る時、もし家の洗濯物が見えたり、二階の窓から一行を見下ろしたりすると猿田彦はその場に座り込んで動かなくなってしまいます。行列は猿田彦の意のままに止まったり進んだりして、町内を巡ります。
華麗
祭りを盛り上げるのは山車の役目です。
各町保存会の人々は、この日のために山車を守り続けています。
13台の山車の中には宝暦年間につくられ、道文化財にもなっている神功山や同じく弘化2年につくられ、道文化財に指定されている松寶丸など、ただ高価なだけではなく、歴史的にも貴重なものなのです。
でもそれが博物館に飾られるのではなく、生きた歴史として、今もなお祭りの主役として活躍しているところに、江差の祭りに対する熱い思いがうかがえます。
童子
祭りの昼の主人公は子供たちです。江差の子供たちは幼児のうちから山車に魅せられ、ながい町内巡行に引き回され、いつしか「祭り」をその魂に染込ませていきます。
そして小中学生になると「笛吹き」や「太鼓打ち」に夢中になり、やがては山車が電線に引っかからないように棒で防ぐ「線取り」などがあこがれの役目となります。
こうして江差の子供たちは、いつかは人望を集め、山車の総責任者「頭取」の役に就くことを夢見るようになるのです。
響宴
巡行中、笛や太鼓の祭り囃子がとてもにぎやかです。
この祭り囃子は京都祇園祭の流れをくんでいて、神社前や各家に停まる時は「立て山」進んでいる時は「行き山」、町内に帰る時は「帰り山」とそれぞれ異なります。
さらに同じ「立て山」「行き山」「帰り山」も各山車によって独特の調子を持っています。
毎年、「祭り囃子コンクール」が開かれ、神社前から江差町会所会館(旧役場庁舎)前までのコースはお囃子が採点されますので、その競演にもいっそう熱がこもります。
宿入れ
夜の神事のハイライトは神輿が神社に戻る「宿入れ」です。8人の白丁子がタイマツの火で、参道をはき浄めるように駆け登り、それに続いて神輿も石段を駆け登ります。
しかし一度では神意の嘉納するところとはならず一基目は7度、二基目は5度、三基目の「本宮」は3度目にようやく神殿に納まります。七・五・三の吉数を踏むわけです。
汗をとばしながらの往っては帰し、帰しては往くその力技に、見る者、担ぐ者の熱気が一体となってほと走ります。
歓喜
この祭りの最大のクライマックスは、なんと言っても11日の本祭り最後の夜です。
とっぷり暮れた夜空の下、神輿が神社に帰り宿入れを終わるころ、ホテルニューえさし前の十字路には次々と光り輝く各山車が集合してきます。
街頭放送のスピーカーがそのつど山車の名を絶叫します。沿道は人でぎっしり。エンヤー、エンヤーの掛け声、力まかせの太鼓の響き、飛び跳ねる者など、「立て山」囃子の競演が続きます。
いつしか太鼓も火のついたような乱れ打ちとなり、人々の熱気と歓喜は、燃え盛る光と音の渦となって江差の夜空を衝き上げます。
クライマックスの締めは一転して荘重な調子の「キリ声(沖揚音頭)」。
頂点に達した興奮が静かな言祝(ことほぎ)の響きの中で、祭り独特の哀感とともに鎮められていきます。
虚脱したように沿道にしゃがみ込む人。遠くから聞こえるなごりおしな囃子の音。祭りの後のもの悲しさ。江差の人々はすでに秋の気配を感じています。
船絵馬
姥神大神宮
その昔、雨乞いには黒馬を止雨と日乞いには白馬を神に捧げた。
いつしか、生馬に「絵馬」が代わった。眼病平癒の祈願には「め」と書いた。
出港のときは航海安全を祈り 無事帰港の喜びと御礼に船絵馬を奉献した。
姥神大神宮の掲額は六隻の持ち船が誇らしい。
この絵馬の構図は、近江商人、西川伝右衛門が、近江八幡市、円満寺に奉納した北前船図と よく似ている。永遠へのあこがれと恐れとを生む海と空。
幸運に笑い、悲運に泣くとき 人びとは神や仏にぬがづく。たんなる超自然の力の崇拝ではなく、それは 父母の父母、その上の祖霊とともに暮らす、 血縁地縁のきづなを確めあうマツリとなる。
浜街道には森厳な古寺社、小さなほこらが 数多く、神の国仏の里と呼んでもよい。
「北前船 -日本海文化と江差-」より
協力
江差町役場 〒043-8560 北海道檜山郡江差町字中歌町193-1TEL:0139-52-6716
余話
そういえば、我が町青池町にもこんなに立派な祭りではないけれど、小さな祠と子供たちの祭りがあったんだ。
獅子舞を先頭に子供たちが長い縄につかまり獅子舞の後をついて町内を一周、住宅やお店を一軒一軒を廻ると五円とか十円の入ったご祝儀袋を手渡してくれる。
町内会長のお宅にはひな壇にお菓子や果物が飾られていてご祝儀袋を渡すと交換してくれる。子供たちにとって忘れられない一年に一度の大きなそしてひそやかな楽しみだった。
あれから…45年位帰っていないけれど、江差・姥神大神宮渡御祭の編集をしていたら、帰ってみたくなってきたな〜。
みんな元気だろうか・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
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