ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~江差・姥神大神宮渡御祭~(その2)「江差の こころ をたずねて ~江差追分~いにしえ街道~」

このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


エエ町、江差には
家の数だけ印があります。

古くは江戸時代から、江差に住む人たちはみな家印という独特の記号、今でいうアイコンのようなものを持っています。
屋号とも家紋ともまた違う家印は、その家の目印として各家の棟や蔵などに刻まれ、遠く海を渡ってやってくる北前船の指標にもなっていました。
家紋などのように代々受け継がれるだけでなく、家の主となるものは新たにつくることもできるという家印。

それは、一家の理念や願望が記号化された、江差の人びとにとって特別な印なのです。

こんな意味があるんですね・・・

 


江差って住みやすいんです。

沿岸を流れる対馬海流の影響で、江差は北海道の中でも温暖な地域です。豪雪地帯に指定されてはいるのですが、ここだけの話、真冬でも積雪がまったく観測されないことも少なくありません。

イタリアのローマとほぼ同じ緯度で冬は暖かく、夏季は涼しいので、観光しやすいのはもちろん、江差は暮らしやすいまちでもあるんですね。


かもめ島には、点在する見どころをめぐる快適な散策路が整備されています。ゆっくり歩いても約2時間で一周することができます。
また、島上の散策路に整備している木柵の一部は、北海道内で生産された木材を利用し、地球温暖化防止や豊かな森林の保全に貢献する取り組みも行っています。誰が名付けたか「かもめの散歩道」と呼ばれています。


瓶子岩(へいしいわ)

今から500年もの昔、様々な予言をするひとりの姥がおりました。あるとき、姥はかもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来るようになったのです。この瓶が石と化して海上に現われ、瓶子岩になったと伝えられ、姥は人々から折居様と呼ばれ神のようにうやまわれていました。


毎年7月の第一土日に開催される「かもめ島まつり」では、町内の若者たちによって全長30mにおよぶ〆縄がかけられます。


江差追分

-前 唄-

国をはなれて 蝦夷地が島へヤンサノェー 

いくよねざめの 波まくら

朝なタなに聞こゆるものはネ~

友呼ぶかもめと 波の音

-本 唄-

かもめの なく音に ふと目をさまし あれが蝦夷地の 山かいな

-後 唄-

沖でかもめの なく声聞けばネ~

船乗り稼業は やめられぬ  


~江差追分は、一度聞いて惚れ、二度聞いて酔い、三度聞いて涙する~
と言われています。


江差屏風

こうした江差の繁栄の様子を今に伝える具体的な資料として「江差屏風」があります。これは、松前藩付属画家小玉貞良が、晩年70歳に描いた屏風で、松前城下を描いた屏風と対になっており、江差屏風では春を、松前屏風では城下の秋を描いたと言われております。古の江差を知る最古の資料にもなっています。


絵を見ると鴎島を中心に前浜ではニシン漁で活気にあふれ、商取引の弁財船が帆印も鮮やかに港にあふれています。茣蓙帆の船は、蝦夷往還の小廻船でしょうか。立ち並ぶ商家、はねだしの屋号もくっきりと画かれ、沖の口役所、江差奉行所、津花の浜小屋、背面の福祉、仏閣、往来の人々の動き、豊部内川の河口での造船の様子を知ることができます。


江差追分と江差追分会館

追分節は、江戸時代から信州中仙道で唄われた馬子唄がルーツだそうです。
一種のはやり唄として全国各地に広まり、越後に伝わったものは船歌として船頭たちに唄われるようになって、今から200有余年ほど前に北前船によって江差に運ばれてきたといわれています。


さらに江差では、座頭佐之市がケンリョウ節と追分を融合させて独特の音調をもつ江差追分を誕生させたといわれ、それが多くの唄い手によって磨かれ、唄いつがれてきたのです。


「江差追分」は北国の厳しい自然と生活の中から生まれた人間讃歌であり、先人から引き継いだ、この地方文化の華を正しく保存伝承するため、昭和57年に町民や追分愛好者の厚意によって「江差追分会館」が建設されました。


地元の全国大会優勝者や師匠等が唄う本場の江差追分を追分会館の百畳敷ホールで聞くことができます。


江差屏風絵を描いた豪華な緞帳が印象的な舞台では、4月末から10月までの毎日、江差追分と地元北海道民謡の実演を行っています。


畳敷き桟敷席の広さは約百畳。ゆったりとくつろいで、本場の江差追分を心ゆくまで堪能してください。毎年、 GWと姥神大神宮渡御祭期間中には餅つき囃子などの郷土芸能の特別実演もあります。


信州「追分馬子唄」

追分桝形の エー茶屋でヨー ホロと鳴いたが アリャ忘らりょか(ハイーハイー)

浅間山さん エーなぜ焼け エーしゃんすヨー 裾に三宿 エー持ちながらヨー(ハイーハイー)

小諸出てみりゃ エー浅間の エー山にヨー 今朝も煙が エー三筋立つ(ハイーハイー)

碓氷峠の エー権現 エー様は 主のためには エー守り神(ハイーハイー)

浅間山では エーわしゃない エーけれど 胸に煙りが エー絶えやせぬ(ハイーハイー)

浅間根越の エー小砂利の エー中で あやめ咲くとは エーしおらしや

西は追分 エー東は エー関所ヨー 関所越ゆれば エー旅の空(ハイーハイー)

江差追分「小室節」に歌われる小諸市から見た浅間山 提供:小諸市教育委員会

正調「信濃追分」

(アキタホイ)

浅間山さん(サホイ) エなぜ焼けしゃんすヨー(アキタホイ) 裾に エ三宿(サホイ) 持ちながら
「ハ 来たよで戸が鳴る 出てみりゃ風だよ オーサソーダソーダ」

(アキタホイ)

右は更科(サホイ) エ左は吉野ヨー(アキタホイ) 月と エ花との(サホイ) ここが追分  「ハ 行くよで来るよで 面影さすよだ オーサソーダソーダ」

(アキタホイ)

追分桝形の(サホイ) エ茶屋でヨー(アキタホイ) ホロと エ泣いたが(サホイ) 忘らりょか  「ハ 来たよで戸が鳴る 出てみりゃ風だよ オーサソーダソーダ」

(アキタホイ)

さらばと云う間に(サホイ) エはや森の陰ヨー(アキタホイ) かすかに エ見ゆるは(サホイ) 菅の笠
「ハ 行くよで来るよで 面影さすよだ オーサソーダソーダ」

(アキタホイ)

小室出て見よ(サホイ) エ浅間の山にヨー(アキタホイ) 今朝も エ三筋の(サホイ) 煙立つ  「ハ八坂砂山 下駄はいてヨジヨジ オーサソーダソーダ」


『ふるさと江差の街並み景観形成地区条例』とは


条例の概要

町では、歴史を生かすまちづくり事業とも関連の深い、歴史的街並み景観の形成のために必要な事項を定めた「ふるさと江差の街並み景観形成地区条例及び同施行規則」を全町を対象に制定し、平成8年4月1日から施行しました。 この条例の目的は、江差らしい歴史的、文化的遺産を生かした個性的な街並み景観を創ることにより、訪れる人にも町民一人ひとりにとっても魅力的なまちづくりを進め、町民生活環境の質的・精神的・経済的な向上を図ろうとするものです。



景観基準について

関係地域の住民や権利者、「歴史を生かす街並み景観審議会」及び「江差町都市計画審議会」の意見を聞いた中で別図(歴史を生かす街並み整備モデル地区図)のとおり「歴まち中歌姥神地区」を「歴史を生かす街並み景観形成地区」として指定し、景観形成基準も別表のとおりに定めています。




いにしえ街道

「江差の5月は江戸にもない」と言われたほど、かつて江差はにしん漁や檜材貿易でたいそう栄えた町でした。海岸線沿いの下町には、当時の趣を感じさせる商家や社寺、問屋蔵が今も多く残されています。明治期から歴史を持つ壱番蔵(旧函館米穀土蔵)を拠点として、まちを東西に走る「いにしえ街道」では昔ながらの町並みを再現。着物での散策体験をはじめ年に一度の花嫁行列、「江差・北前のひな語り」と題したお雛様の展示など催しも盛りだくさんです。


「いにしえ街道」花嫁行列。毎年ゴールデンウィークの5月3日のみ、二組限定で開催!



旧檜⼭爾志郡役所庁舎

「旧檜山爾志郡役所庁舎」は、平成4年(1992)に指定されました。


北海道では、明治12年(1879)に郡区町村編成法が施行されて郡が行政区域と して扱われるようになり、江差には明治13年(1880)に檜山郡と爾志郡を管轄す る郡役所が設けられました。


しかし旧来の建物を使用していたので手狭であり、明治20年(1887)に当時の 北海道庁が新築の建物として建てたのが「旧檜山爾志郡役所庁舎」です。


木造寄棟屋根2階建ての主屋と平屋1階建ての付属屋が渡り廊下で繋がった構造をしていて、バルーンフレーム工法や2階のバルコニーなど洋風建築として建てら れています。しかし、屋根には能登瓦が葺かれ、土台には福井市で産出される笏谷 石が用いられるなど、江戸時代から北前船の交易品として江差に運ばれて用いられ てきた建築用材が使われていることが特徴です。


北海道では、明治30年(1897)に郡役所が廃止されて各地に支庁が置かれまし たが、この建物は檜山支庁庁舎として利用され、その後は檜山支庁の移転に伴って、 昭和3年(1928)からは江差警察署庁舎、昭和46年(1971)からは江差町役場分 庁舎などとして利用されてきました。


道有形文化財に指定後の平成8年(1996)から平成10年(1998)にかけて保存 修理工事が行われ、その後に一般公開されています。
 


江差姥神町横⼭家

「江差姥神町横山家」は、昭和38年(1963)に指定されました。


横山家は、天明6年(1786)に能登国(石川県)から移住した商家で、代々江差 で商いを行なってきました。表通りに面した母屋から海側に向けて文庫倉・二番倉・ 三番倉・四番倉・ハネダシと5棟の蔵が建ち並んでいて、トオリニワと呼ばれる通 路で行き来できるようになっています。


文化財の指定は建物だけではなく、横山家に伝わった生活用具等149点も一括 して指定されています。


江差にしかないもの、あります。

国指定重要文化財にも指定されている旧中村家住宅や横山家など、いにしえ街道沿いにある歴史的建造物はぜひ見学していただきたい場所。

北前船が往来していた江差の海側の建物には、ハネ出しという独特の建築技法が使われていて、直接艀船が乗りつけられるようになっていたのです。この「ハネ出し」(下の写真の外壁左奥)が見られるのも江差ならではなんですよ。

旧中村家住宅

中歌町に残されている旧中村家住宅は、江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に、海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたものです。


家屋は、当時江差と北陸を往復していた北前船で運んできた笏谷石(しゃくだにいし)を積み上げた土台に、総ヒノキアスナロ(ヒバ)切妻造りの大きな二階建ての母屋、さらに母屋から浜側まで文庫倉、下の倉、ハネ出しまで続く通り庭株式で当時の問屋建築の代表的な造りとなっています。


大正4年(1915)に近江商人の大橋宇兵衛から支配人をしていた近江出身の中村米吉が譲り受け、昭和46年に重要文化財に指定され、さらに昭和49年に中村家より町に寄贈。昭和55年(1980)から昭和57 年(1982)にかけて保存修理工事が行われました。昭和57年に修復が完成し一般に公開しています。


明治/1889頃 土蔵造、桁行4.5m、梁間7.3m、二階建、地下一階、切妻造、妻入、南端主屋に接続、東面庇付、桟瓦葺


最後になりましたが江差町の日本遺産について紹介いたします。


江差町の「⽇本遺産」ストーリー  

平成 29 年 4 月 28 日、江差町が申請していた「江差の五月は江戸にもない -ニシンの 繁栄が息づく町-」というタイトルのストーリーが「日本遺産」に認定されました。


平成 29 年度は全国から 79 のストーリー申請があり、江差町を含む 17 のストーリーが 認定されました。北海道では第 1 号の認定です。 認定されたストーリーのタイトルと概要は、次の通りです。 


江差の五月は江戸にもない -ニシンの繁栄が息づく町-


江差海岸線に沿った段丘の下側を通っている町並みの表通りに、切妻屋根の建物が建ち並び、暖簾 (の れ ん )・看板・壁にはその家ごとの屋号が掲げられている。緩やかに海側へ下っている地形にあわせて蔵が階段状に連なり、海と共に生きてきた地域であることがうかがえる。


この町並みは、江戸時代から明治時代にかけてのニシン漁とその加工品の交易によって形成されたもので、その様は「江差の五月は 江戸にもない」と謳われるほどであった。


ニシンによる繁栄は、江戸時代から伝承されている文化とともに、今でもこの地域に色濃く連綿と息づいている。



【余滴】

近江商人の活躍 

近世の初めのころになると、近江商人たちは、全国的に商業活動をしたばかりでなく、遠くは東南アジアの国々まで足をのばしました。この近江商人の故郷は、近江八幡、五個荘、日野、愛知川、能登川、柳川、薩摩(現:彦根市)など湖東地方を中心として全県下に分布しており、その発祥の歴史は鎌倉時代にまでさかのぼるといわれています。 


1602年(慶長7年)津軽の鰺ケ沢に出店を開設し活躍していた柳川(現在の彦根市)出身の田付新助は、共に活躍していた同郷の建部七郎右衛門と一緒に、1610年(慶長15年)北海道の松前に渡り、福山に出店を開いて、本州との交易に従事しました。 


その後、薩摩(現在の彦根市)出身の宮川権右衛門や八幡(現在の近江八幡市)の商人であった岡田弥惣右衛門、西川伝右衛門たちが、松前に出店を開いています。 


松前を中心として北海道全域に商業活動をした商人たちは、1804年~1817年(文化年間)には、国後島にまで進出し、19か所に及ぶ地域にそれぞれ出店を設け、漁場の組織的な開発や漁法の改良、産業の育成振興に大きな貢献をしました。 


このようにして目覚ましい活躍をした八幡、柳川・薩摩の商人たちは、両浜商人と呼ばれ、松前藩との間に場所請負人のとりきめを交わし、幕末まで大いに活躍しました。 


一方、枝村(現在の豊郷町)出身の藤野喜兵衛は松前に渡り、努力して開業し、1806年(文化3年)には松前藩から数か所の場所請負を許可されました。そして1817年(文化14年)千島、国後島を手始めに根室、花咲、目梨、色丹島、択捉島を請け負って活躍し、北海道や北方領土の産業の発展に尽くしました。 


松前に拠点をもち各地で活躍した商人たちは、次第にその数を増し、商いも大きくなりました。北海道で買い入れたさけ、にしん、こんぶなどの海産物は、自分たちの持ち船(松前船といわれる)によって京都、大阪へ運びました。 


その輸送経路は、日本海から敦賀港を経て琵琶湖を利用するものと、日本海から瀬戸内海を経由するものがありました。そして北海道へはこの逆コースによって衣料品、小間物、雑貨、荒物などの物資を運び、往復取引によって繁栄したのです。 


明治維新後、1869年(明治2年)場所請負制度が廃止されたことによって、両浜商人たちは次第に出店を閉鎖しましたが、江差を中心として活躍していた五個荘商人、能登川商人(現在の東近江市)たちは、時代の動きに左右されることなく1904年~1905年(明治37年~38年)ころには北海道全域に500余りの出店を作りました。 


このように、近江商人の活動は商業活動にとどまることなく、田畑の開墾、銀行の設立、商品取引所の開設、織物工場の建設、炭鉱の開山など、北海道の開拓と文化の向上に尽くした功績は、今日でも高く評価されています。

近江八幡市の町並み(新町通り)


追憶

近江(現:滋賀県)には、6年程滞在したというか?住んだというか?今思うと、彦根、長浜、木之本、八日市、近江八幡、日野、水口、甲賀、信楽、栗東、草津、守山、大津、高島、今津を拠点に琵琶湖を中心とした滋賀県全域で人生の修行をさせて頂いたという感じです。

確か昭和40年代のあと少しで5月になろうという時期でした。薩摩(現:彦根市)では、急に午後から雪が降りだして、夕方にはみるみる60㎝ほど積り(同じ滋賀県でも彦根市は米原や湖北・木之本に比べると比較的雪が少ない土地ですが、その年は50年に1度あるかないかの積雪でした。)小生の運転する車は埋もれてしまい身動きが取れなくなったのです。


また別の年には、豊臣秀吉も通った関ケ原から伊吹山のふもとを抜け長浜に入る途中、やっと車と車がすれ違える位の道幅で、銭湯用のおが屑(その頃はおが屑を燃やしていたんですね)を積んだ誰が見ても積載量オーバーの大型トラックと接触しかけ両車とも路肩に高々と積み上げられた除雪壁に仲良く連れ立ち突っ込んでしまったのです。あっという間の出来事でした。舞い上がり降り注ぐ白い雪と、相手車両から空高く舞い散る黄色いおが屑が伊吹山を借景に観たこともない不思議な光景を出現させ、渋滞中のドライバーたちも暫しその光景に見とれているようでした。

そのうち、駆けつけたクレーン車でしたが、そこには既に上下線共渋滞車両が埋め尽くし、ニッチもサッチもいかず、現場までも到達不能!結局、付近のドライバー達総出の人力でトラックをひっぱり上げる羽目に…(恰も、壮観絵巻江差の地引き網の如く日本男児の熱き血潮を覚えました)  道路が開通するのに5時間以上かかったのです。

今でも思い出す度に身体がかーっと熱くなり、渋滞を招きご迷惑をおかけした人々へのお詫びと、いざとなれば人の情の凄まじきエネルギー、そして近くの知人宅に泊めてもらったことに対する感謝の念がこみ上げてきます。
このことで、近江の人たちの相互扶助の精神、団結力は凄いと言われる事がよくわかりました。
(県外においてはこの団結力がさらに発揮されるとか・・・)


今回、江差と近江との深く強い絆を知り江差がより近く感じる思いがしてなりません。


続く・・・


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使


協力(順不同・敬称略)

江差町役場 〒043-8560 北海道檜山郡江差町字中歌町193-1TEL:0139-52-6716

滋賀県庁 〒520-8577 滋賀県大津市京町四丁目1番1号TEL:077-528-3041

(一社)近江八幡物産協会
〒523-0864 滋賀県近江八幡市為心町元9番地(白雲館内) TEL:0748-32-7003

旧相馬邸 〒040-0054 函館市元町33-2 電話/0138-26-1560

文化庁 〒100-8959東京都千代田区霞が関3丁目2番2号電話番号(代表)03(5253)4111 


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



ZIPANG-2 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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