このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
44年目を迎える高崎まつりと高崎山車まつりを同時開催します。
「山車」と「神輿」と「花火」の競演、また高崎まつりならではの「巨大だるまみこし」や「創作だるまみこし」は他の祭りにない魅力です。
高崎山車まつり
高崎の山車
高崎の山車は、享保二年(一七一七)頼政神社の祭典から記録にみえ、それが明治二年(一八六九)ごろまで続きました。その時は、飾り屋台と言われるもので、明治二年には二十四台ありました。
明治維新により、頼政神社の祭りがすたれ、せまい屋台小路を通る必要もなくなると、それ以後は、二段の櫓を組み迫りがつき、梶取りのついた大型の山車がつくられました。
やがて市内に電車が走り、電線が張られると大型の山車は運行できなくなり、他町へ売られてしまいました。そして明治末、大正、昭和の初期にかけ、再び数多くの小型の山車がつくられました。
本町一丁目の例でみても、一台目が、明治五年(倉賀野町へ売却)、二台目が大正十年(田町へ売却)、三台目が昭和三年につくられ現在まで引き継がれています。江戸期の飾り屋台を入れると少なくとも四台以上の山車がつくられてきたことがわかります。こうして高崎の山車は現在まで三百年近い歴史を有することになります。
山車といえば、笛、太鼓のお囃子です。高崎のお囃子は「神田ばやし」の影響をうけていますが、曲名は同じでも相当違っています。おそらく、江戸祭りのお囃子と在来の囃子が時の経還とともに融合し、変化していって現在のようになったと思われます。しかし、高崎のお囃子は山車巡行に良く合った自慢できるお囃子です。そして、各町内がそれぞれ囃子組を持ち、子供達が太鼓を叩くのも、高崎まつりの特色です。
戦後は長谷川流と、長谷川流から派生した秀山流との二大流派に大別され、競い合っています。秀山流は竹笛を使い、調子が高いこと、曲のメロディが少し違うということですが、基本的には長谷川流と同じ曲調だといえます。
何といっても高崎の山車まつりの最大の特徴は、三十八台のそれぞれに特徴のある伝統の匠の技が活きた山車を保有していることです。これだけの台数を持っているところは全国にあまりみあたりません。近年の主な山車巡行を見ても、昭和三年の御大典に二十七台、昭和三十年の高崎まつりに二十六台、昭和三十六年の市制六十周年に三十五台、昭和四十五年の市制七十周年に三十四台、昭和五十五年の市制八十周年に三十四台と多数の山車が出場し、その様子は実に壮観でした。
最近では昭和五十年から始まった高崎ふるさと祭り、高崎まつりへと変わった昭和六十年以降、平成二年の市制九十周年には、全市三十六台の山車が出場しました。平成十二年の市制百周年には、二台の山車が新たに加わり全市三十八台が出場しました。現在は、輪番制により毎年約半数が出場しています。今年は、南地区、東地区(中央地区含む)から二十二台の山車が集結します。
高崎の山車巡行は、その規模、内容において関東一と言えます。どうか、豪華絢爛、華やかな山車巡行をご覧ください。
山車の謂れは元々、日本では神様とは高い山の頂きに住まわれるものとする原始信仰があり、山のように高く美しく飾りつけた山車は神様が見つけやすい様に目立たせる為の手段で、背丈を高くするのは"お山"に見立てているのだとか…
今号では、前号に引き続き日本の誇る伝統の祭り「高崎まつり」より「高崎山車まつり」をご紹介いたしました。いくつもの伝統の祭りを一度に楽しむことのできる百花繚乱の祭り「高崎まつり」どうぞ現地にてお楽しみください。
交通アクセスは前号をご参照ください。
協力
一般社団法人高崎観光協会 〒370-0849 群馬県高崎市八島町222 高崎モントレー2階
電話:027-330-5333
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
0コメント