このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
六郷満山とは
六郷満山とは、国東半島の6つの郷(来縄・田染・伊美・国東・武蔵・安岐)の谷々で発展した寺院群で、活動の目的から3つのカテゴリー(本山→学問、中山→修行、末山→布教)に分かれていました。
国東半島は宇佐神宮・弥勒寺に伝わった天台宗の実践の場として、九州ではいち早く仏教が栄えた地域であり、宇佐・八幡神の影響を強く受けながら、厳しい地形での修行を好む山岳宗教との融合を経て、独特の六郷満山文化を花開かせました。
そのため、六郷満山では神仏習合の文化が色濃く、神社と寺院とが一体となって存在していたり、神社の規模が寺院と同等であったりします。また、寺院によっては後背の耶馬(岩峰)の中に多くの修行の場(岩屋・無明橋など)が設けられています。
木造不動明王立像と二童子立像(いずれも国重要文化財)
真木大堂ご本尊の阿弥陀如来坐像と四天王像(いずれも国重要文化財)
大威徳明王像(国重要文化財)
昨年より当Webサイトにおいて掲載している、
大分県宇佐・国東地域に広がる
神と仏の神秘・・・〜2018年 六郷満山開山1300年〜
今号では、六郷満山の寺院から真木大堂をご紹介いたします。
大分県北東部に拳のように突き出した“仏の里”国東半島。
宇佐の八幡信仰と古代仏教とが融合した「神仏習合」が今も残る地でもあります。
平安時代から中世にかけて半島には来縄(くなわ)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、武蔵(むさし)、国東(くにさき)、伊美(いみ)の6つの郷が開け、山あいには天台宗と結び付いた65ヶ寺ともいわれる数多くの寺院が作られ、これらは総称して六郷満山と呼ばれ、独特な仏教文化が花開きました。
真木大堂は六郷満山本山本寺8ヶ寺の一つとして36坊を有し六郷満山寺院最大の寺院であった馬城山伝乗寺の故地として今も多くの仏像を守り続けています。
そして、仏様たちは千年もの時を越え今も優しく力強く“仏の里”を見守り続けています。
真木大堂の歴史
現在、真木大堂の名で知られる馬城山伝乗寺(まきさんでんじょうじ)は、大分県豊後高田市田染真木にあり、国東半島に点在する天台宗の寺院と同様に、八幡神の化身であるとされる仁聞菩薩により養老2年(718年)に開基されたと伝えられています。
当時は六郷満山65ヶ寺のうち本山本寺8ヶ寺のひとつとして36坊を有した六郷満山最大の寺院として、僧達が修行に励む長講所であったと伝えられています。
江戸時代の建物である本堂とは別に、昭和40年代に新造された収蔵庫内には、平安から中世にかけて花開いた六郷満山文化の栄華を色濃く残す本尊阿弥陀如来坐像、不動明王立像、大威徳明王像、二童子立像、四天王立像の9体の平安仏が残されています。
真木大堂境内
収蔵庫
旧本堂から移された9体の仏像が安置されています。本尊阿弥陀如来坐像をはじめ木彫り日本一の不動明王立像、日本一の大威徳明王像他すべての仏像が国の重要文化財に指定されています。
旧本堂
永い間仏像を安置してあった真木大堂旧堂で江戸時代のものとされています。本尊他仏像は収蔵庫に移されていますが、正面には国東半島では極めて珍しい木造の仁王像が今もお堂をお守りしています。
仁王像の肩越しの朱塗りの扉には皇室の御紋章があります。これは、今から約700年前六郷満山寺院に対して鎌倉幕府から蒙古来襲の折に異国降伏の祈祷を行うよう指示があり、国難を救うため馬城山伝乗寺では長期にわたり異国降伏の大祈祷が行われました。
そのおかげをもち元を退けた恩賞として弘安8年10月16日に将軍家を経て朝廷より菊花の紋章が下賜されたと伝えられます。
古代公園
国東半島には六郷満山文化の遺産として国東塔、宝筐印塔(ほうきょういんとう)、庚申塔(こうしんとう)、五輪塔、板碑、石仏等多くの石造文化財が残されています。
これらの文化財は半島全域の寺院や山岳地に散在している為手軽に観賞する事が出来ないので主に市内田染や河内の方々のご協力により真木大堂内の園地に遷仏しています。ゆっくりご鑑賞ください。
馬城山展望台
旧本堂、収蔵庫の裏手の階段を登って行くと中腹あたりに小さな鳥居と、その右手には六所権現があります。さらに椿が並ぶ道を抜け、再び険しい山道を登った頂上には左右に狛犬が守る金比羅宮が祀られています。お寺の上に神様が祀られる神仏習合の典型的な形です。晴れた日、頂上の広場や途中の踊り場からは熊野の山や遠く屋山、田染の様子などが見えます。
途中ベンチなどもあり、ゆっくり休憩をとりながら楽しめます。
真木大堂所蔵仏像ご紹介
木造阿弥陀如来坐像及び木造四天王立像
阿弥陀如来と四天王像
9体の国指定重要文化財の仏像が安置されている収蔵庫の中心には、真木大堂の本尊である木造阿弥陀如来坐像が配置され、周囲には仏教における4体の守護神が立ちます。東西南北に立つ四天王像は、それぞれに甲冑(かっちゅう)をまとい、籠手(こて)と脛当(すねあて)をつけ、沓(くつ)を履き、武器を持って邪鬼を踏んでいます。
【いずれも国指定重要文化財】
木造阿弥陀如来坐像
真木大堂の本尊である阿弥陀如来は西方浄土の主尊であり、極楽へ導いてくれる仏とされています。仏像が作られた平安時代は日本全土に末法思想が広がり、中央の有力貴族たちをはじめ人々は極楽に行けるようにと願い、信仰の対象として各地で阿弥陀如来が作られました。
像高216cm。丈六の坐像で檜(ひのき)材の寄木造り。左手を膝に置き右手を肘から曲げた来迎印(らいごういん)をとっています。彩色は前面に布張りの下地を施し、肉身に漆箔、螺髪に群青、衣に朱色がみとめられます。現在も随所に金箔の跡が確認できます。彫りが浅く、流麗な衣文(えもん)には11世紀後半の定朝様式がみとめられますが、肩幅広く厚みある体躯、やや面長できりりと結んだ唇などには定朝以前の古い様式もみられます。 【国指定重要文化財】
木造四天王立像
持国天
像高161cm。文字通り「国を支える」守護神として東方に立ちます。顔を左下方にうつむかせ、腰を右にひねって胸前の両手で持物を握ります。
増長天
像高158cm。サンスクリット語では「増長、増大した者」とされる五穀豊穣を司る守護神で南方に立ちます。顔を右下方に向け、左手を大きく振り上げて持物を握ります。
広目天
像高166cm。「尋常でない、特殊な眼(=千里眼)を持つ」守護神で西方に立ちます。冑をかぶらず結髪し、炎髪を立てて正面を向き、右手を上げて持物を握ります。
多聞天
像高162cm。「数多くの説法を聞く」守護神で北方に立ちます。独尊で祀られることも多く、その場合は“毘沙門天”と名を変えます。日本独自の信仰では七福神 の中の一体であり、財宝・蓄財の神とされています。顔をやや左下方に向け、腰をひねり、左手掌にのせた持物をにらみます。
【いずれも国指定重要文化財】
木造不動明王立像及び二童子立像(不動三尊)
大日如来の名を受けて魔軍を撃退し、災害悪毒を除き、煩悩を断ち切り、行者を守り、諸願を満足させる不動明王が中心に立ち、両脇を矜羯羅(こんがら)、制吒迦(せいたか)の二童子を従えた三尊形式で祀られています。この形は不動三尊と呼ばれ国東半島では典型的な様式とされていますが、不動明王の大きさに比べて二童子の造りが極端に小さいのが真木大堂の特徴とも言えます。
【いずれも国指定重要文化財】
木造不動明王立像
像高255cmで榧の寄木造り。頭髪は巻髪で弁髪を左肩に垂らし、右眼を上、左眼を下に向けた天地眼と唇から上下に出した牙は忿怒相を表しています。右手に利剣を持ち、左手には分銅のついた羂索(けんさく)を執り、背後に勇壮な迦楼羅焔(かるらえん)を背負い岩坐に立ちます。迦楼羅は金色の翼を持つ想像上の大鳥で、口から火を吐き、竜を好んで食べるとされています。木彫不動としては日本一の大きさとも言われています。
【国指定重要文化財】
二童子立像
制咜󠄀迦(せいたか)童子
像高130cmで檜材の寄木造り。口を引き結び眼を伏せた厳しい表情で、こん棒を持った右手に左手を添えています。
矜羯羅(こんがら)童子
像高127cmで檜材の寄木造り。正面を向き、眼を見開いて合掌するやさしい姿です。
【いずれも国指定重要文化財】
木造大威徳明王像
像高241cm。本地は阿弥陀如来で、西方を守護して、人々を害する毒蛇・悪竜や怨敵を制服する明王で、六面六臂六足の忿怒相(ふんぬそう)で、中央の手は中指を立てて合わせる檀陀印(だんだいん)を結び、神の使いである白い水牛に跨っています。梵名の“ヤマーンタカ”は死の神ヤマ(=閻魔)をも倒す意味であり“降閻魔尊”との呼び名もあります。古くより戦勝祈願の本尊として信仰されており、その名が示す通り大いなる威徳を持つ明王とされています。頭、体の主要部分は樟材、手足部は檜材で造られており、大威徳明王としては国内最大のものとなります。平安の華やかな国東半島の仏教文化を象徴する仏像です。
【国指定重要文化財】
木造仁王像
樟材の寄木造り。馬城山伝乗寺が隆盛を誇っていた時代の守護仏で、江戸時代に建てられた旧本堂に安置されています。石彫が圧倒的に多い国東半島にあっては極めて珍しい木造の仁王様です。肩越しに見える菊花の紋章は約700年前、鎌倉時代の蒙古来襲の際、異国降伏の大祈祷の恩賞として下賜されたものと伝えられています。
○阿形(あぎょう)・ 写真右
像高225cm。筋骨隆々の忿怒相。阿は口を開けて最初に発する音で宇宙の始まりを表すとも言われています。吽と合わせて万物の根源を象徴するものです。
○吽形(うんぎょう) ・写真左
像高240cm。吽は口を閉じて出す最後の音です。阿は息を吐くこと、吽は息を吸うこととの考え方もあり、二人が行動や気持ちを合わせる「あうんの呼吸」の語源になったとも言われています。
真木大堂年間行事
真木大堂大祭
旧暦1月28日、29日。かつては牛馬市も開かれていたとされています。現在は富貴寺のご住職による法要が行われ、真木地区の住民による般若湯などのふるまいが行われています。両日とも拝観料は無料(パンフレットご希望の方は50円)です。
供養盆踊り大会
8月14日。真木大堂駐車場に櫓がたてられ田染音頭と太鼓による盆踊り大会が行われます。豪華賞品が当たる抽選会も行われます。
お供え餅つき
12月下旬。一年間の感謝と翌年の五穀豊穣・無病息災を願い地元産のもち米を使い石臼でつきあげます。つきあがった餅は真木大堂境内に飾られ、新年のどんど焼きの際にお雑煮でふるまわれます。餅つきは参拝者の方も体験できます。
除夜会
12月31日。旧年の平穏への感謝、新年の安寧を願い除夜の鐘を撞きます。どなたでも鐘をつくことができます。また、紅白餅が配られ、蕎麦もふるまわれます(無料)。お車を運転でない方は般若湯もどうぞ。
どんど焼き
1月中旬。真木大堂そばの広場でどんど焼きが行われます。お正月にお迎えした神様をお送りする行事です。お正月に使った門松、注連飾り、破魔矢、お供え物などをお持ちください。真木大堂の鏡餅で作ったお雑煮もふるまわれます。お車を運転でない方はお神酒もお召し上がりください。
※どんど焼きはお正月に門松や注連縄飾りでお迎えした神様をお見送りする火祭りで、左義長、とんど、どんどん焼き等々各地で呼び名が異なります。
真木大堂の近隣には、数々の名所があります。
例えば、平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院「富貴寺」や、鬼が一夜で築いたという伝説のある険しい石段を登ると、左手の巨岩壁に不動明王(8m)と大日如来(6.8m)が刻まれている「熊野摩崖仏」、千年以上前の姿を今も残すユネスコ未来遺産認定の「田染荘」等々沢山の見どころがあります。どこも時間をかけてじっくりと見学してみたいところばかりです。
六郷満山開山1300年の記念の特別な年に、ぜひご覧になられては如何ですか。
交通アクセス
主要な地点からの所要時間
◎大分空港から車で約35分
◎JR九州 別府駅から車で約50分
◎JR九州 宇佐駅から車で約25分
◎別府国際観光港から車で約45分
◎竹田津港フェリー乗り場から車で約50分
◎東九州自動車道別府ICから車で約50分
◎豊後高田市昭和の町から車で約15分
◎国宝「富貴寺」から車で約7分
◎国宝「宇佐神宮」から車で約30分
◎国の重要文化財「熊野磨崖仏」から車で約5分
協力(順不同・敬称略)
宗教法人真木大堂 〒879-0855大分県豊後高田市田染真木1796 電話番号 0978-26-2075
豊後高田市役所
〒879-0692大分県豊後高田市是永町39番地3(高田庁舎)電話番号0978-22-3100(代表)
国東半島宇佐地域六郷満山開山1300年誘客キャンペーン実行委員会
〒873-0504大分県国東市国東町安国寺1639番地2(弥生のムラ 国東市歴史体験学習館内)
TEL:0978-72-5007
六郷満山関連情報はこちらをご覧ください。
第一話 https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3149938
第二話 https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3158332
第三話 https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3159997
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