ZIPANG-2 TOKIO 2020~銀山温泉500年の歴史物語り~ 「 花笠おどり発祥の地 ・尾花沢(山形) ・ 大正浪漫の銀山温泉街は川辺リのそぞろ歩きと湯花香る天然温泉(その2)」

このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。   


500年もの歴史をもつ銀山温泉は、その名の通り昔は銀の鉱山として栄えた仙境の温泉です。
奥羽山脈を望む素晴らしい自然の中、銀山川をはさんで建ち並ぶ木造りの旅館。
「家並み保存条例」により守られているその景観は、まさに大正時代そのものの趣があります。

銀山温泉6月~10月末まで毎週土曜日は温泉街で本場笠回しの花笠踊りが行われる


現実か…?山奥秘境に突如不思議な世界現る‼

殆どの老舗温泉の伝統建築と言えば通常、2階建て〜3階建てだと思いますが、此処は大正モダンの和洋折衷建築3層〜4層建てからなる不思議な温泉街!


銀山川を挟んで両側に対面する宿の町並みは温泉情緒満点です。共通の造りは開放的な窓から見下ろす温泉場の景観。

歩道にはガス灯が並んでいます。銀山川には多くの橋が掛かり、橋の真中で涼む若い浴衣姿のカップルたち。

湯浴客の行き交う光景、土産物屋の賑わい等が一つの愉しみでもあり、風物詩なのです。また、窓に迫り出したバルコニーに腰掛けて、川向こうの客にちらりと目線を交わしたり、それもまた、絵になる風景ではないでしようか?


"美しい鏝絵(コテエ)"をみつけよう‼  

絵といえば、ここで見るべきものは、今はもうその職人も仕事がなくなり、残念ながら跡継ぎが絶えたと思われますが、昔の旧家は幾つも白壁の土蔵を持ち、名前は用途によって米蔵、味噌蔵、道具蔵と呼ばれました。それらは大事な財産を盗難や火災から護ったのです。

そのお蔵には屋号の紋や装飾が施されています。この温泉街でも白壁や戸袋には特徴的なチャームポイントとしての鏝絵(コテエ)※が施されているのでご注目下さい。

※鏝絵とは、漆喰壁の仕上げに関わる左官職人のもう一つの技術。高度な精密さが要求される技術で、その巨匠"伊豆の長八"の下で修行を積んだ最上舟運で栄えた大石田川港からの職人を迎えて、山形県下の旧家では、町中でも競って鏝絵を施している。 


銀山温泉の歴史


銀山温泉は、かつて江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来しています。 大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造多層の旅館が銀山川の両岸に沿って軒を並べ、昔ながらの独特な景観を味わうことができます。


野辺沢銀山歴史年表


康正二年 1456

金沢の人儀賀市郎左ェ門銀山を発見、翌年より西山で採鉱に入る。 これより五十年、銀山の人口戸数は目をみはるものあり。 (旧記戸数 16,000軒)


この間、廃鉱70年


天正二年 1574

延沢能登守上の畑に関所設ける。(天正年中) 山形両所宮々司須留守(二万石)最上義光調伏祈願の罪を似て銀山岩薬師に流され、翌年軽井沢峠にて殺さる。


天正五年

当地方の領主延沢能登守が山形城主最上義光と結ぶ。 よって、世人再度銀山に集まり銀山復興す。


天正十五年

能登守死去、遠江守跡つぐ。
正楽寺建つ。(天正年間)


慶長(年不詳)

上方より梁田八郎右ェ門銀山に来る。
1596~1614 泉州堺の十兵衛来る。
(この時期に初代小関吉佐衛門両替商始める) 温泉発見、その利用始まる。


元和六年 1620

仙台藩キリスト教を弾圧、よってアンゼリス延沢銀山に入り、後山形におもむく。


元和八年

最上家没落と共に延沢氏九州に流さる。山形は鳥居氏(二十四万石)が城主となり、当銀山もまた鳥居氏の領となる。


元和九年

カルバリヨ・ガルベス・アダミ等キリスト教布教の主力を延沢銀山にそそぐ。


寛永八・九年 1631

銀山の最盛期 寛永十一年 幕府直営の御公儀山となり、伊丹藩摩守これを支配す。


寛永十二年

人口著しく増加(旧記卅万)食糧難の為、御留山の令出さる。


寛永十四年

山形藩主保科氏(卅万石)に改る。


寛永十七年

山師土屋作之亟らの猛運動により、御留山解除。翌年三月より採鉱に着手。
米沢藩主上杉定勝野辺沢銀山への出稼禁止の令出す。


寛永十八年

これより運上山として山師、大役の請負制となり土屋作之亟以下五名にて落札す。


寛永十九年

幕府直領となり銀山に代官所置かる(代官松平清左ェ門その直領拾壱万千石)


寛永十九年~ 寛文五年

松平清左ェ門代官所(幕領)延沢より宗門多く出申候・・・「契利斯督記・吉利支丹出申国所覚より」


正保三年

1646 これまでの採鉱地西山衰退著しくなる。山師梁田羽左ェ門・宮島文三郎の両人東山採鉱。


慶安元年 1648

常信寺建つ。 採鉱地は西山より東山に移る。 土屋作兵亟高山採鉱に着手。


明暦二年 1656

頼明寺尾花沢へ移る。


寛文五年 1665

温泉街は銀山新畑村となる。時の戸数67・男159人・女99人・出家13とあり。(寛文検地帳)


寛文六年

銀山新畑村の陣屋(代官所)を廃し長瀞村に移す。 鉱産著しく減じ寛永・正保に比し1/3となる。 


寛文七年

山師作兵亟を頭に千秋作兵エ・木戸佐左ェ門・越後次郎助・白崎多兵ェ梁田示斉[*1]の活躍によりこの年よりその銀産出著しく増加す。 この一期を世に「五人山の盛り」と言う。([*1]「示」は「示」辺に「右」)


延宝七年 1677

「五人山の盛り」もこの年で終わり、銀山は衰退の一途をたどって行く。 当時の上の畑(延宝検地帳)戸数19件・馬13等・人口66人。


元禄二年 1689

延命寺建つ。(現公園入口) 東山衰退しかつ大崩潰が起り全山廃山となる。


享保六年 1721

常信寺尾花沢へ移る。


寛保年間 1741
これより温泉地として盛んになる。

山形県 尾花沢市 銀山温泉 大正浪漫の郷愁を感じるノスタルジックな町並みです!(現在)

寛政十年

1798 上の畑村長瀞米津領(壱万石)に入る。


天保二年

1831 上の畑焼窯場作らる。


天保三年

大泉寺積雪の為倒潰廃寺となる。


明治十六年 1883

山形中村林兵エ採掘。 


明治四十年

溝延菊地与八郎採掘。


大正二年

1913 延命寺大洪水の為流さる。


昭和九年

1934 江口徳治採掘。


昭和十一年

鉱渤搬出再精錬。


明治時代の「銀山温泉」

銀山温泉は奥州街道より約12km入った山間部にあり、当時は幅狭い悪路で、尾花沢からは難路1日もかかっていました。延沢銀山の衰退後、人口は激減しましたが、世間とは遮断された仙境で、人々は湯治客相手の湯端宿屋や小商いを行って生活していました。


大正時代の「銀山温泉」

かやぶき屋根の木造平屋や、二階建ての旅館が並ぶ湯治場がありましたが、大正2年銀山川の大洪水でほとんどの温泉宿が流されてしまいました。その後は温泉の湧出量が少なく、川水が進入し温度も低かったので温泉の利用は伸びませんでした。大正10年に銀山川の水を利用した発電所が作られ、その後の復興の足掛かりとなっていきました。


昭和初期の「銀山温泉」

昭和元年に源泉のボーリングで高温多量の湯が湧出し、各旅館は一斉に洋風の3~4層木造構造に建て替えを行いました。橋や沿道の整備も行い、ついに尾花沢より自動車で30分で到着できるようになりました。延沢銀山遺跡は昭和60年に国の史跡に指定されました。戦後は温泉街の洋風化も落ち着き、外観は和風に近づいてきました。昭和61年に「銀山温泉家並保存条例」を制定し、風情ある旅館を保存し観光復興に生かすことにしました。平成11年には新幹線の延伸により観光客の数が増え、今も伝統を生かした温泉街にしていくための努力を、街をあげて行っています。


◆諸国温泉効能鏡

江戸時代後期につくられた温泉番付。4段目の右から8番目が銀山温泉です。

現在の大正浪漫漂う「銀山温泉」

銀山温泉は川沿いに湧き出した源泉をそのまま内湯にして旅館が建てられたのが今日に至っています。出羽の名湯として名高く細かな湯花が混じった乳白色のお湯です。
(写真は銀山温泉組合長の能登屋)


銀山温泉夏のイベント紹介 尾花沢名産「すいか祭り」

暑い夏だからこそ朝晩涼しい銀山温泉に来て涼みませんか。 銀山温泉すいか祭り開催いたします。 

日時 8月 4日 (土曜日)  時間 19時30分頃~21時頃まで 

場所 銀山温泉街(昭和館前にて)

内容

尾花沢すいかの振る舞い

花笠踊り披露 

抽選会 (温泉街で使える商品券や尾花沢すいかが当たります)

誰でも参加できる銀山温泉夏のイベントです。

本場の花笠踊りを見ながら、甘くて美味しい尾花沢すいかを味わってみてください。

オレンジ色のガス灯が燈る夏の温泉街の景色もまた格別です。

思わず写真の撮りたくなる景色の中で楽しいひとときを過ごしてみては如何ですか!



交通アクセス


東海地方の方朗報です!

小牧名古屋-山形空港 交通よくなっています!
名古屋空港→65分 山形空港。週末は山形で贅沢な旅を。
飛行機に乗って65分で山形空港 山形空港から銀山温泉は直通バスで約60分
約2時間で銀山温泉まで行くことができるようになりました!


協力(順不同・敬称略)

銀山温泉組合
〒999-4333 山形県尾花沢市大字銀山新畑446(能登屋内)TEL.0237-28-2327

(一社)尾花沢市観光物産協会
〒999-4228山形県尾花沢市上町6丁目1-16パレットスクエア内 TEL:0237-23-4567


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。


補足資料

銀山温泉の裏のウラ、気を付けないと見逃してしまうかも知れない細かいスポットをご紹介します。 かつて延沢銀山として栄えたこの地が銀山温泉として開発されるまで心血を注いだ人物の歴史、銀山温泉を愛した文化人の想いが垣間見えます。 全てをその目で確かめてください。

齋藤茂吉歌碑

蝉のこゑ  ひヾかうころに 文殊谷
吾もわたりて 古へおもほゆ

齋藤茂吉は昭和21年1月30日から22年11月3日まで1年10ヵ月を大石田(二藤部兵右衛門家のはなれ「聴禽書屋(ちょうきんしょおく)」)で過ごしています。この歌は、昭和20年8月26日に能登屋旅館に泊まり翌日、田中家の別荘(そば処滝見館の滝側)で一休みした後に出かけて詠んだ歌です。文殊谷とは、滝附近のことを言ったようです。銀が産出した時代の活気ある賑やかさを表現したようです。歌集『白き山』にも載せられています。

他に「田中豊の像」、結城豊太郎(臨雲 元大蔵大臣)の石碑、内野五郎三(悟)の石碑が建立されています。



ZIPANG-2 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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