千変万化、一日として同じときはないといわれる熊野古道です。
熊野古道の魅力を感じたいなら是非!語り部と一緒に歩きませんか?
熊野古道にはただ単に歩くだけではわからない歴史や自然景観などその魅力がいっぱいです。
語り部と一緒に歩くと、世界遺産に登録された史跡や文化をはじめ、古道沿いに咲く草花や山里の暮らしなども紹介しながら熊野古道を歩いてくれます。
昨年、和歌山県が調査した「熊野古道の健康効果」についてもじっくりとお話いたします。
こころに残る旅となること、間違いなしです!
少人数のグループ、個人でもご遠慮なくお申し込みください。
日曜語り部
毎週日曜日の朝9時20分熊野本宮大社前発、発心門王子行きのバスには、語り部が乗車しておりますので、語り部と歩いて熊野古道の魅力をぜひ実感してください。
ご案内するコースは、発心門王子~熊野本宮大社、約4時間のコース。平坦な道が多く比較的歩きやすいです。ゆっくり歩きますので、団体ではついていけるかどうか心配な方も安心です。
参加費 お一人様1,000円
実施日
毎週日曜日・祝日
参加方法
熊野本宮大社前発9:20分の龍神バスで発心門王子へ移動となります。
9:00頃より語り部が「本宮大社前」バス停で待機しておりますので、
お声をかけて頂いて参加受付となります。
バス代460円は別途必要です。
※熊野本宮大社前で指定のバスにご乗車のお客様がいない場合は、その時点で中止となります。
<ご注意>
お泊りのお宿で発心門王子まで送っていただく場合は前日までに熊野本宮観光協会までご連絡下さい。
(TEL:0735-42-0735)
終了時間 14:00(予定)
その他 途中で昼食をとります。お弁当は各自ご用意ください。
古代から中世にかけ、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まり、上皇・女院から庶民にいたるまで、多くの人々が熊野を参詣しました。
「蟻の熊野詣」と例えられるほど、多くの人々が切れ目なく熊野に参詣したと伝えられています。
八咫(やた)の火祭り~祀りから祭りへ~
この火祭りは、本宮町の長い歴史と現代の感性を織り交ぜた新しいお祭りです。
時代行列の古式ゆかしい「祀り」から太鼓、踊り、花火という勇壮でパワフルな
「祭り」へと変化していきます。
古代、奥深い熊野の山に迷った神武天皇を熊野の神の使いである
『八咫烏』が正しい道へ導いたという言い伝えがあります。
この言い伝えにならい、この祭りは、「人々を幸福に導く」という意味を込めて
『導きの祭り』としています。
今年(平成30年)の「八咫の火祭り」は熊野本宮大社が、「御創建2050年」に
当り10月13日(土)に行います。
なお来年はいつも通り8月最終土曜日に行います。
熊野古道ウォークコース
「熊野参詣道」として世界遺産に登録
田辺から熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)、田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう大辺路(おおへち)、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路(こへち)が、「熊野参詣道」として世界遺産に登録されています。
最も多くの参詣者が歩いたとされる熊野参詣道・中辺路。その難行苦行の道のりを終え、最初にたどり着くのが熊野本宮大社。最初に熊野本宮大社を望む「伏拝王子」の名は、やっとたどり着いた熊野本宮大社を伏して拝んだ、との由来からと伝えられています。
本宮町内には、熊野本宮大社、熊野本宮大社旧社地 大斎原、熊野本宮大社の神域の入口とされる「発心門王子」などがあり、初心者でも手軽に歩ける熊野古道ウォークコースがあります。
近年は「パワースポット」としても注目される熊野を、熊野本宮語り部の会の案内でみなさんも歩いてみてください。
発心門王子~熊野本宮大社
本宮町内の発心門王子から熊野本宮大社のコースは、約7kmのゆるやかな下りでコースも広く、歩きやすい人気コースです。
本宮大社前から路線バスで発心門王子へ行けるのでアクセスもよく、休憩所なども整備され、石畳の残る古道や棚田や茶畑が美しい集落の中の道など、雰囲気も良いコースです。
歩行距離:6.9km 歩行時間:約2.5時間 所要時間:約3.5時間
熊野本宮大社 旧社地「大斎原」
神が舞い降りたという大斎原。近年はパワースポットとして多くの人が訪れています。
熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。 音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。
ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。
大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見えます。その背後のこんもりとした森が大斎原です。熊野本宮大社から徒歩10分ほどなので、ぜひ訪れてみてください。
また、大斎原は桜の名所としても知られ、鮮やかな春の色に彩られた姿も見ものとなっています。
熊野信仰と小栗判官伝説について
熊野信仰と小栗判官伝説について
信仰と歴史の道「熊野古道」は古くから人々の熱い信仰に寄って支えられてきました。
長い歴史の中、数々の伝承や伝説が残され、今も語り継がれています。
信仰の道・歴史の道 熊野古道
文化庁指定となっている3つの古道(奥の細道、中仙道、熊野古道)のうちの1つ、熊野古道は、三重県の伊勢路、和歌山県田辺市街地から本宮への道の中辺路、紀伊半島の海岸筋を通る大辺路、高野山から奈良県十津川村などを経て本宮町まで至る小辺路があります。
熊野詣は、京都から往復約1ヶ月(およそ600km)の長い道のりでした。
京都の下鳥羽から 大阪の淀川を下り、摂津の国(現在の大阪市北区天満橋付近)に上陸し、熊野九十九王子の第一王子窪津王子に参拝し、その後南に向かって和泉の国、紀伊の国 に入り、紀伊田辺から中辺路へ、中辺路終点地・本宮にて熊野本宮大社に参詣し、本宮から川船で熊野川を下り、新宮の熊野速玉大社に詣で、その後、熊野那智 大社に詣でる行程を経ていました。
帰路は、那智の妙法山に登り、大雲取越(那智勝浦町-新宮市熊野川町)、小雲取越(新宮市熊野川町-本宮町請川)の険しい道を通り、再び本宮町に戻り、来た道を戻るという道筋が通常の順路だったといわれています。
熊野信仰
平成11年6月、熊野本宮大社によって建立された日本一高い大鳥居。この大鳥居をくぐると明治22年まで熊野本宮大社が鎮座していた大斎原です。
熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖域であり、「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言われているほどである。 本宮の地に神が祀られたのは、およそ2000年前、第10代崇神天皇の世といわれている。熊野詣が盛んであっ たのが、平安時代の中期から鎌倉にかけてと伝えられており、延喜7年(907)の宇多法皇以来、法皇上皇の熊野御幸がはじまり、白河上皇の9度、鳥羽上皇21度、後白河上皇34度、後鳥羽上皇の28度と多くを数え、弘安4年(1281)3月、亀山上皇の御幸をもって終結をつげている。 江戸時代に入り、元和5年 (1619)、紀州藩主徳川頼宣が熊野三山の復興に力を入れ、再び「蟻の熊野詣」の最盛期を迎えることができたといわれている。身分や階級を問わず、多くの人々が熊野に憧れをいだき、救いを求め、蘇りを願って異郷の地とも思える山深いこの地を目指しました。
いにしえの人が険しく厳しい旅をしてまでこの熊野の地へ詣でる理由は、熊野の魅力はなんなのか。その昔の熊野詣は難行苦行の連続であり、苦行の果てに自らが体得し、悟りと不思議な力を知りえたといわれている。また、熊野の自然は、四季の変化に富み、実に美しく、山高く水清く、各所に湧き出す温泉、この地にたどりついた人々は、 この世の極楽浄土を見た思いだったのかもしれない。 地の果てとも言われる熊野三山が、熱狂的な信仰をあつめた要因の1つは、「熊野権現」は神仏一体であり、貴賎男女の隔てなく、浄不浄をとわず、なんびとも受け入れたことであるといわれている。 人は絶望の淵から再生を念じて熊野を目指したのであろう。中世の人々の心を掻き立てた熊野は実に不思議な地である。長い歴史の中で数多くの蘇生のドラマをプロデュースし、今も甦りの地として人々の祈りが続いているのである。
文:熊野本宮語り部の会 民宿小栗屋主人 安井理夫さん
また、熊野には癒しと蘇りの力があるとされる有名な伝説が残されています。
小栗判官と照手姫物語に記されるその不思議なお話について、本宮に数々残された史跡をご紹介しています。
小栗判官伝説
つぼ湯は熊野詣の湯垢離場として世界遺産に登録されました。
世界遺産に登録された入浴できる温泉です。天然岩のお風呂を板で囲っただけの、2~3人が入るといっぱいになるつぼ湯は、30分交替制なので、グループでお入り頂けます。また、この湯は、日に何度か色を変える事から「七色の湯」と呼ばれている不思議な温泉です。
公衆浴場の番台で番号札を受け取り、(混みあう時は)順番を待って入浴してください。
その昔、常陸の国(現在の茨城県真壁郡協和町)に、城を構える小栗氏と言う一族が居た。「鎌倉大草子」によると、今からおよそ600年前、1415年、関東で上杉禅秀が乱を起こした際、小栗氏は上杉方に味方し、足利持氏に敗れた。城主満重とその子助重(小栗判官)は、小栗一族の住む三河の国を目指して逃れようとした。相模の国に潜伏していたとき、権現堂にて盗賊に毒を盛られた。しかし、照手姫 に救われ、荒馬に乗って藤沢に逃れ、遊行上人に助けられる。
その後、病が重くなり、遊行上人の導きと照手をはじめ多くの人々の情けを受けて熊野に詣で、権現の加護と湯の峰の薬湯の効き目により全快し、小栗城15代当主となるが、後に、足利成氏との戦いに敗れ滅亡する。
小栗ゆかりの常陸の国の社寺の巫女が、滅ぼされた小栗氏の霊を慰めるため、1つの英雄談として物語を作り上げ、史実から伝説化され語り伝えられたのではないかと思われる。
文:熊野本宮語り部の会 民宿小栗屋主人 安井理夫さん
小栗の語り部 安井 理夫さんプロフィール(本宮町商工会より)
民宿小栗屋 主人
熊野本宮語り部の会 会員
和歌山 ふるさと名人 紀の人賞受賞
生まれ育った地が小栗判官蘇生の地であり、小栗判官物語の研究と伝承に尽力されている。
語り部をする時は、「熊野信仰」に焦点をさだめて話をするように心がけているという。
湯峰で生まれ育ち、教職を引退された後、父親の始めた民宿を営んでいる。
もともとは父が小栗判官物語の研究に熱心な人で、民宿の屋号を「小栗屋」とするほどであった。
小栗の話は昔から湯峰でも有名だったが、誰も小栗判官という人物について詳しい事は知らなかった。
小栗にまつわる場所や、それが小栗とどのような関係なのか?
そんな好奇心から始まった父の小栗の研究は40年近く続き、安井さんがその研究をも引き継いだのだ。
そして、各地に伝わる小栗の物語を集めようと「をぐりフォーラム」を結成し、全国の小栗ゆかりの地と情報交換を始めた。
小栗は常陸の国(現在の茨城県あたり)に住んでいたとされるから、その範囲は関東から熊野にわたる。
熊野詣において湯垢離場として栄えた日本最古の湯
湯の峰温泉
湯の峰温泉は四世紀ごろに熊野の国造、大阿刀足尼(おおあとのすくね)によって発見され、後に歴代上皇の熊野御幸によってその名が広く知られる様になりました。
開湯1800年。
日本最古の湯として愛される湯の峰温泉は、今も昔ながらの温泉情緒を残し、湯の町の風情を感じる事が出来ます。古の人々は熊野詣の旅の途中、湯の峰で湯垢離を行い、聖地での禊ぎと旅の疲れを癒しました。
日によって七回も湯の色が変化するといわれている天然温泉の岩風呂「つぼ湯」は参詣道の一部として世界遺産に登録されています。湯の峰温泉公衆浴場と併せてお楽しみいただけます。
周辺には、九十九王子のひとつである湯峯王子や、小栗判官伝説の史跡などみどころが各所にあります!
「熊野古道」と「八咫(やた)の火祭り」について、さらに詳しくはこちらをご覧ください
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2797721
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2803424
協力(順不同・敬称略)
熊野本宮観光協会 〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮100-1
<世界遺産熊野本宮館内> TEL:0735-42-0735
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111
熊野本宮語り部の会の皆さんからのメッセージです。
「たくさんの方と一緒に歩けて大変喜んでおります。
山の中だけでなく、山里の中をのどかに歩いたり、その風景ごとに歴史や物語があります。 そして、熊野古道は一日として同じときはありません。」
熊野古道を知り尽くした八咫烏のような熊野本宮語り部の会の皆さんが、きっと、普段では味わうことのできない非日常的な空間へと誘ってくれることでしょう・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
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