佐世保黒島ガイドとともに潜伏キリシタンの島として有名な黒島を観光。黒島天主堂は世界遺産リストに挙げられている貴重な教会。
熊本県天草市崎津集落
禁教期に潜伏キリシタンが組織的に信仰を続ける中で、アワビやタイラギの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬するなど漁村独特の信仰を育み、在来宗教と信仰空間を共有した集落であり、キリスト教解禁後は﨑津諏訪神社の隣に教会堂を建築した。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示している。
長崎県五島市江上天主堂
禁教期に外海の潜伏キリシタンが、海に近い谷間に開けたわずかな平地に移住して固有の信仰形態を続けた。解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期以来の指導者の屋敷を家御堂としていたが、やがて、湧水があり防風に優れた場所に木造の教会が建てられた。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示している。(江上天主堂)
昭和30年6月30日、我が国が世界文化遺産へ推薦を行っている「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について,第42回世界遺産委員会が世界遺産一覧表へ記載することを決定しました。
昨年の福岡県における「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群に続く世界遺産一覧表への記載決定です。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
世界遺産一覧表への記載決定に当たっての林 芳正 文部科学大臣談話
林 芳正 文部科学大臣
バーレーンのマナーマで開催されている第42回世界遺産委員会において、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、人類全体の貴重な遺産として世界遺産一覧表に記載されることが決定されたことを大変喜ばしく思います。
当初の推薦がイコモスからの厳しい指摘を受けて取下げとなって以降、地元関係者の皆様方は「潜伏キリシタン」が独特の文化的伝統を育んだことを物語る資産として推薦書を作り直し、登録へ向けて粘り強く取組んでこられました。
文部科学省としては、地元の関係各位と連携しながら、人類の共通の宝である貴重な世界遺産の保護に万全を期し、後世に確実に引き継ぐとともに、その価値を積極的に発信してまいります。
世界遺産について
世界遺産条約(世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約)
(1)条約の目的
文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として損傷,破壊等の脅威から保護し,保存することが重要であるとの観点から,国際的な協力及び援助の体制を確立すること。
(2)経 緯
昭和47(1972)年 第17回ユネスコ総会において採択
昭和50(1975)年 条約発効
平成 4(1992)年 我が国において条約締結のための国会承認及び条約発効
平成29(2017)年 1月31日現在で締結国数193ヵ国
世界遺産一覧表への記載プロセス
① 各締約国は,世界遺産一覧表への記載推薦の候補を記載した「暫定一覧表」を提出する。
② 各締約国は,「暫定一覧表」の記載物件のうち,「世界遺産一覧表」に記載する準備が整ったものを世界遺産委員会へ推薦する。これに対し,世界遺産委員会が,「世界遺産一覧表」への記載の可否を決定する。
我が国の世界遺産一覧表記載物件(文化遺産18件,自然遺産4件)
我が国の暫定一覧表記載物件(文化遺産7件,自然遺産1件)
〔平成4年〕
①「古都鎌倉の寺院・神社ほか」(神奈川県) ②「彦根城」(滋賀県)
〔平成19年〕
③「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」(奈良県)
〔平成21年〕
④「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」(北海道・青森県・岩手県・秋田県)
〔平成22年〕
⑤「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」(新潟県) ⑥「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)→(平成30年推薦)
〔平成24年〕
⑦「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-(拡張)」(岩手県)〔平成28年〕
⑧「奄美大島,徳之島,沖縄島北部及び西表島」(鹿児島県・沖縄県)【自然遺産】
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
本資産は,16世紀にキリスト教が大航海時代を背景に極東の国日本へ伝来し,その後の江戸幕府による禁教政策の中で「潜伏キリシタン」が密かにキリスト教への信仰を継続し,長崎と天草地方の各地において厳しい生活条件の下に,既存の社会・宗教と共生しつつ,独特の文化的伝統を育んだことを物語る貴重な証拠である。
潜伏キリシタンの文化的伝統が形成される契機となる出来事が考古学的に明らかにされている原城跡,潜伏キリシタンが密かに信仰を維持するために様々な形態で他の宗教と共生を行った集落(平戸の聖地と集落・天草の﨑津集落・外海の出津集落・外海の大野集落),信仰組織を維持するために移住を行った離島部の集落(黒島の集落・野崎島の集落跡・頭ヶ島の集落・久賀島の集落・奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)),潜伏キリシタンの伝統が終焉を迎える契機となった出来事が起こり,各地の潜伏キリシタン集落と関わった大浦天主堂から構成される。
大浦天主堂(オオウラテンシュドウ)
幕末の開国にともなって造成された長崎居留地の中に、在留外国人のために建設した中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の国内現存最古の教会。聖堂内を飾るステンドグラスには、約100年前のものもある。
直前に列聖されたばかりの日本二十六聖人に捧げられた教会で、正面は殉教の地である西坂に向けて建てられている。
設計指導者はフランス人宣教師のフューレ、プティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別された。この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となった。
1875年と1879年の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されている。
また1933年に国宝となるが原爆で被害を受け、1953年、日本最古の現存教会建築として国宝に再度指定された。
頭ケ島の集落(カシラガシマノシュウラク)
禁教期にそとめの潜伏キリシタンが、仏教徒の開拓指導者のもと、無人島に移住・開拓し、自分たちで組織的に信仰江を続けた。解禁後、カトリックへ復帰し、海に近い谷間の奥にある仮御堂跡に自分たちの教会堂を建てた。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示したいる。(頭ヶ島天主堂)
野崎島の集落跡(ノザキジマノシュウラクアト)
禁教期に移住した潜伏キリシタンが、表向き海上交通の守り神である沖ノ神嶋神社の氏子を装うことで在来宗教と並存しながら自分たち自身で組織的に信仰を続けた。解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期に宗教儀礼を司った女性指導者の屋敷の側に教会堂を建てた。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示している。(旧野首教会)
外海の大野集落(ソトメノオオノシュウラク)
禁教期に潜伏キリシタンが自分たち自身で組織的に信仰を続けている中で、氏子となった神社に密かに自分たちの信仰対象を祀り、オラショ(祈り)を唱えるなど在来宗教と信仰の場を共有していた集落である。禁教期の信仰の場であった神社近くに、解禁後、教会堂が建てられた。禁教期固有の信仰形態とその終焉を示している。(大野教会堂)
原城跡(ハラジョウアト)
原城は1496年、東肥前までも勢力を延ばし当時26万石ともいわれた 領主・有馬貴純によって築かれたといわれ、周囲4キロの三方を有明海に囲まれ 難攻不落の天然の要害で、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸からなり、 別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城であった。 晴純の代に至り、有馬氏の全盛時代となったが、次第に衰退 義直時代には、佐賀の龍造寺により再三侵略されたが、 島津氏の救援で島原沖田畷にて勝利をおさめ、 島原半島の南部をかろうじて維持できた。 有馬晴信が1612年に岡本大八事件に連座し配流・切腹となり、 子直純が再度有馬の地をおさめたが、2年後日向に転封となった。 その後、1616年大和五条より松倉重政が入封、 一国一城の令によって島原城(森岳城)を築城したので、 日之江・原城は廃城となった。 1637年、この廃城となっていた原城に一揆が籠城した。 世にいう「島原の乱」である。 昭和13年5月30日、国の史跡文化財に指定。 原城本丸には南島原市出身の彫刻家・北村西望による 祈りをささげる天草四郎像や、西有家町の民家の石垣に埋もれていた 天草四郎の墓石が移されている。 また、この台地は約9万年前に起こった阿蘇火山の大噴火による 火砕流がつくったものであり、この地層の中には、 雲仙火山のものとは全く性質が異なる白い軽石が含まれている。
「写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可 をいただいています。」
協力(順不同)
(一社)長崎県観光連盟 〒850-0035長崎市元船町14-10 橋本商会ビル8階 TEL :095-826-9407
長崎県文化観光国際部観光振興課 〒850-0035長崎市元船町14-10 橋本商会ビル8階
TEL :095-822-9690
特定非営利活動法人 長崎巡礼センター
〒850-0058 長崎市尾上町1−88 2階 TEL.095-893-8763
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関三丁目2番2号電話番号:03-5253-4111(代表)
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
0コメント