このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
2018年11月15日(木)~2018年11月17日(土)/六本木ヒルズ
嬉野茶と朝ヨガで佐賀を体感する「サガヨガ茶会」も同時開催!
嬉野の茶畑
佐賀について
日本列島の南西部に位置する九州。その九州北部にある佐賀は、東は福岡県、西は長崎県に接しています。北は玄海国定公園に指定された風光明媚な海岸線を誇る玄界灘に面し、南には最大干満差6mの広大な干潟の広がる有明海に接した肥沃な佐賀平野が広がっています。のんびりとした田園風景が広がる農業や水産業の盛んな県です。佐賀には世界的に有名な陶磁器、豊かな自然に育まれた高い品質の食べ物、のんびりとくつろげる温泉やお祭りなど歴史的な伝統ある豊かな文化など魅力的な見どころがたくさんあります。
嬉野温泉
嬉野(うれしの)温泉の歴史は古く、肥前国風土記(712年)に「東の辺に湯の泉ありて能く、人の病を癒す」と記されています。地名の由来はユニークで、その昔神功皇后が戦いの帰りにこの地に立ち寄り、川中に温泉が湧いているのを発見。その湯が負傷した兵士の傷を癒したのを喜んで「あな、うれしの」といったことからこの地名がついたとか。 嬉野は江戸時代には長崎街道の宿場町として栄え、文政9(1826)年にはシーボルトも訪れたそうです。伝統ある大旅館も立ち並び、風情と歴史を感じさせる温泉街です。 温泉は、温度85~90度、泉質はナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉、リューマチや神経痛、胃腸病に効くと評判です。湯ざわりもなめらかで、一度、その湯ざわりを味わうと、嬉野から離れなくなると言われるほど。湯あがりには、嬉野温泉特産のとろけるような温泉湯豆腐がおすすめです。
●交通
JR駅からの場合… JR佐世保線武雄温泉駅から、JRバス嬉野温泉行き乗車、嬉野温泉駅下車。JR佐世保線武雄温泉駅から、タクシー利用で25分
マイカー利用の場合… 長崎自動車道嬉野ICから車で3分
●問い合わせ先 嬉野温泉観光協会 TEL 0954-43-0137
やきもの
伊万里焼・有田焼【伊万里市・有田町】
佐賀といえば、「やきもの」。そのイメージを決定づけるのはやはり伊万里・有田焼。日用食器から観賞用の美術品まで揃えた品揃え、白く美しい磁肌、華やかな絵付、使いやすさ、高い耐久性でたくさんのファンを魅了し続けています。
唐津焼【唐津市】
唐津焼は、楽焼、萩焼と並ぶ「日本三大茶陶器」のひとつ。茶陶とも呼ばれ、昔から茶人に愛されてきました。使うほどに味わい深く、艶やかになっていくのが魅力です。
武雄焼【武雄市】
現在の唐津焼の基礎を築いたといえる武雄焼。素朴で温かみのある落ち着いた色調が特徴。肥前一円の庶民の日常雑器を焼成します。現在約90ヶ所の窯元があります。
佐賀といえば、「やきもの」。そのイメージを決定づけるのはやはり伊万里・有田焼。 そもそものはじまりは、豊臣秀吉の朝鮮出兵。足かけ7年におよぶ無益な戦いは秀吉の死で幕を閉じますが、このとき多くの大名が朝鮮半島から陶工を日本に連れ帰ります。佐賀藩の鍋島直茂(なべしまなおしげ)も例外でなく、陶工を日本へ連れて帰ります。
そして元和2(1616)年、陶工の李参平(りさんぺい)が有田の泉山で白磁鉱を発見し、日本最初の磁器が焼かれたといわれています。 朝鮮半島から連れて来られた陶工たちは、有田に定住し、李朝様式から中国様式、染付、白磁、青磁といったさまざまな手法を次々に消化しながら、磁器の製法に磨きをかけていくことになります。 正保3(1646)年には酒井田柿右衛門(さかいたかきえもん)らが、赤、緑、黄などの絵の具で文様を描く赤絵付けに成功し、日本初の色絵磁器を生み出したとされています。 17世紀後半、当時、中国で最高技術を誇っていた景徳鎮(けいとくちん)窯が衰えたため、慶安3(1650)年オランダの東インド会社が有田焼を買い付けた背景もあり、古伊万里はヨーロッパの王侯貴族を中心に広がっていきます。有田皿山で作られた製品が伊万里港から積み出されたために、有田焼は通称「伊万里焼」或いは「伊万里」と呼ばれるようになりました。これが有田焼が伊万里焼と呼ばれる由縁です。
ヨーロッパでの古伊万里は、それ自体を愛でるというより、宮殿を装飾するインテリアとして用いられていました。特にドイツのアウグスト強王は驚異的な古伊万里のコレクターで、手に入れるため、自分の兵隊を売り払ったほど。アウグスト強王はやがて、マイセンで磁器開発を命じます。これが現在のマイセン窯にあたります。 古伊万里は多くの磁器に影響を与え続けたのです。
こうした400年の歴史の中で完成された伊万里・有田焼は一般的に「古伊万里」「柿右衛門」「鍋島」の三様式に大別されます。日用食器から観賞用の美術品まで揃えた品揃え、白く美しい磁肌、華やかな絵付、使いやすさ、高い耐久性でたくさんのファンを魅了し続けています。県内では様々な施設でその美しさに触れることができます。
肥前吉田焼の歴史
吉田には四百数十年の歴史が潜む
吉田焼の創業年暦は定かではありませんが、嬉野の陶磁器の歴史を紐解くと、天正5年(1577年)に龍造寺隆信公が大村の有馬氏攻略の際、吉田村を流れる羽口川の上流、鳴谷川の川底に、白く光る石を発見したそうです。これが我が国最初の陶鉱石と言われています。
寛永年間(1624~44年)藩主鍋島直澄が隠居後、その遺業として吉田山の陶磁器業者を督励しました。享和年間(1801~4年)に入ると、副島弥右衛門が制限外の窯数を増し、事業を拡張して吉田焼の繁栄を促しました。
しかし、明治維新後は次第に衰微し始めたために、明治13年(1880年)に精成社を創立し、改良を図りました。その後、市場を中国や朝鮮に向け輸出用として日用食器の製造に励みましたが、時代の流れと共に国内向けになり、現在に至っています。
現在も、歴史と伝統を誇りに、肥前吉田焼の窯元は日々技術の向上に励んでいます。
肥前吉田焼・志田焼の特徴
志田焼は人物や動物を戯画的に表現した染付の絵付皿が特徴。 肥前吉田焼は生活向けの食器類を焼いてきたことから窯元によって伝統的な青磁から現代的なデザイン、伝承や物語をあしらった意匠のものなど様々。作品も湯呑み、茶碗、酒器からコーヒーカップ、花瓶まで幅広く、非常にリベラルな作風と言えます。
嬉野のもう一つの名産、400年の歴史ある肥前吉田焼
嬉野は、約400年続くやきものの里としての顔も持っています。有田焼の大外山と呼ばれる吉田地区には、山里の静けさの中に窯元協同組合に加盟する8軒の窯元・商社が点在し、窯元巡りを楽しめます。
古くから食器などの生活雑器を中心に焼いてきた歴史があり、明治・大正期には中国や朝鮮への輸出も盛んでした。現在は国内向けにつくられ、確立した様式はないため作風はとても自由。400年の歴史と伝統を誇りに、それぞれの窯元で染付や赤絵など多彩な技法を駆使し、親しみやすいやきものづくりに励んでいます。
各窯元の作品は「肥前吉田焼窯元会館」でも展示販売されているので、ぜひお立ち寄りを。吉田焼の歴史を紹介するほか、湯のみやお皿の絵付け体験、陶土で器づくりにチャレンジできる手びねり体験ができます。
うれしの茶や紅茶と合わせて、器探し・世界に一つの器づくりをどうぞ。
グリっと丸い高品質のうれしの茶
なだらかな山間のまち・嬉野は、茶の栽培に適した地。一番茶が育つ4月中旬ごろには、茶園を包む朝霧の水分が新芽の育成にほどよく、朝晩の寒暖差は茶の育成にメリハリを与えて香りやコクを育みます。そんな恵まれた環境で育った「うれしの茶」は、全国茶品評会の蒸し製玉緑茶部門で5年連続日本一、また高品質な茶の生産地に贈られる「産地賞」を受賞するなど品質の良さはお墨付きです。
うれしの茶の主流は、高温で蒸した後に乾燥させてつくる「蒸し製玉緑茶」で、勾玉のようにグリっと丸い形をしているのが特長の一つ。一方、嬉野を発祥とする「釜炒り茶」も存在し、これは約500年前に、明(中国)の陶工がやきものと同時に製法を伝えたもので、生産量が少なく希少価値の高いお茶とされています。
ここ最近は、和紅茶人気の高まりから「うれしの紅茶」への注目度もアップ。20年ほど前から栽培が始まり、今ではレモングラスやショウガ入りの紅茶も登場するなど進化を遂げています。
嬉野温泉公衆浴場シ-ボルトの湯
嬉野温泉街には「シーボルトの足湯」や「湯宿広場」の足蒸し湯などもありますので、茶畑やお茶屋巡りとともに楽しむことができますよ。
明日の後編は『“うれしの茶寮「ochaba」“を六本木に期間限定オープン !』の詳細です!
続く・・・
「美濃瑞浪三十三霊場のご案内」の途中ですが、速報が入りましたので、二回にわたり佐賀県「嬉野(うれしの)」をご紹介いたします。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
一般社団法人 佐賀県観光連盟〒840-0041 佐賀県佐賀市城内1丁目1-59TEL: 0952-26-6754
佐賀県庁〒840-8570 佐賀市城内1丁目1-59 Tel:0952-24-2111
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
0コメント