ZIPANG-2 TOKIO 2020「国宝 大善寺~秘仏 薬師三尊像 五年に一度の御開帳~10月14日(金)まで」

このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。  


国宝・大善寺のご本尊である薬師如来は、病苦を除く仏として古くから信仰されてきました。本像を中心に日光菩薩像、月光菩薩像を配し、三像ともにサクラ材の一木造です。 薬師三尊像は秘仏として厨子の中に納められ、通常は拝むことは出来ません。しかし本年10月、五年に一度扉が開かれ、お姿を拝むことが出来ます。


国宝 大善寺薬師堂

本堂の中に、薬師三尊像を安置していますので「薬師堂」とも呼ばれます。この薬師堂には、弘安9年3月16日(AD1286)の刻銘があり、元寇(弘安の役)の数年後に建てられ、築730年以上にもなります。勿論山梨県では一番古い建物です。

大きさは24m四方で、5間の正面は、中側の3間は両開きの扉が付き、両外側は、上部が縦桟の連子格子になっています。両側面の正面寄りと、裏面中央には、出入り口があります。また幅広の縁側が四周を取り巻いています。上を見ると流麗な線を持つ檜皮葺きの屋根は、落ち着きを見せ、鎌倉時代の建築の力強さをよく現しています。
 

内部は内陣下陣に分かれ、内陣には須弥壇を設けて厨子(国宝)を置き、薬師如来をお祀りしています。その両側には日光菩薩、月光菩薩、更に十二神将を配しています。

昭和29年12月に解体復元修補が行われています。

国宝 大善寺 本堂 一棟、付属 厨子 一基  昭和30年6月22日指定

1300年特別御朱印


ご参拝される方へ期間中のご案内

【拝観・ご見学】

・庭園のご見学はできません。(客殿、庫裡内は立入不可)

・抹茶、グラスワイン、ぶどうジュース拝観はお休みいたします。 (既にご予約の方はご対応いたします)

【御朱印】

・弁財天の御朱印は書置きのお渡しのみとなります。

・通常の薬師如来の御朱印も、混雑時は書置きのお渡しとなります。

【そのほか】

・民宿大善寺はお休みいたします。

・9時までは駐車場へ入れません。

駐車場台数に限りがありますので、なるべく公共交通機関をご利用ください。 多くのお客様がお薬師さまをお参りいただけますよう、駐車場は1時間以内のご利用にご協力お願いいたします。

また、臨時トイレのご用意がありません。 数も限られていますので、あらかじめお済ませの上、ご参拝をお勧めいたします。



大善寺縁起

養老二年(AD718)僧行基が甲斐の国を 訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れました。


行基はその夢を喜び、早速夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが、今日の柏尾山大善寺です。

木造薬師如来及び両脇侍像
平安時代 国重要文化財

当山のご本尊である薬師如来は病苦を除く仏として早くから信仰されてきました。本像を中心に日光菩薩像、月光菩薩像を配し、三像ともにサクラ材の一木造です。


薬師如来像は、大きめの頭部に対して両脚部は幅を狭く表し、太い両腕を体部に引き付けた力のこもったお姿をしています。お顔はやや面長な輪郭に大ぶりな目鼻立ちで、表情は穏やかな中にも厳しさがあります。


また、右手は昭和5年に修理し、平成に入り、往古の伝承に基づき左手の葡萄を復元しています。

日光菩薩像、月光菩薩像は、体躯に均整がとれ、引き締まった身体は薄い衣を通して充実した量感で、お顔は丸顔で頬がふっくらとし、大きく弧を描く眉と切れ長の目に対して口は小さめです。両像は非常によく似ていますが、日光像はふくよかで優しいお顔に対して、月光像は厳しく、衣の襞も日光像は丸みを帯びて柔らかにみえますが、月光像はやや表現が固く感じられます。


薬師三尊像は秘仏として厨子の中に納められ、通常は拝むことは出来ません。しかし、五年に一度扉が開かれお姿を拝むことが出来ます。
像高:薬師如来像 86.7cm(上)
像高:日光菩薩像 102.6cm(下・右) 月光菩薩像 101.8cm(左)


十二神将仏像 国重要文化財


日光菩薩立像、月光菩薩立像 国重要文化財



以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が 栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと伝えられています。

甲州葡萄の発祥地「勝沼ぶどうの丘」


武田勝頼と大善寺

天下統一を競った武田信玄亡き後の勝頼は、織田、徳川の連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正十年(AD1582)三月三日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、途中この柏尾山大善寺で戦勝を祈願して、一夜を明かしました。

しかし、武田家再興がかなわないと見た家臣の大半は夜半に離散し、また、岩殿城主小山田信茂の裏切りに合い、勝頼主従は天目山を目指しましたが、織田、徳川の連合軍に行く手を阻まれ、ついに三月十一日、勝頼以下一族と家臣は自決し、新羅三郎義光以来五百年続いた甲斐源氏も滅亡しました。

その一部始終を目撃した理慶尼が記した理慶尼記は、また武田滅亡記ともいわれ、尼の住んでいたこの大善寺に今なお大切に保管されています。

勝頼の家臣たちは、勝頼を最後まで裏切ることなく守り、戦死しましたが、その子供たちは、後に徳川家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されました。勝頼の「宿」となった薬師堂にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が今でも大切に安置されています。

文殊菩薩立像
江戸時代

毘沙門天立像
江戸時代

木造十二神将立像
鎌倉時代 国重要文化財




近藤勇 柏尾坂の戦い

旧幕府軍と新撰組は、1868年(慶応4年)薩摩藩兵を中心とする新政府軍と鳥羽・伏見の戦いで敗れ、大坂から江戸へ帰還しました。その後、近藤勇を隊長とする「甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)」として新政府軍の東進を阻止する目的で、甲府城の接収を命ぜられ、甲州街道を西へ進みます。

甲州勝沼柏尾坂の戦い (中央に近藤勇、右側奥に大善寺の山門が描かれています)

しかし、板垣退助率いる新政府軍3000の一隊はわずか一日の差で甲府城に入城しました。近藤は援軍要請のため土方歳三を江戸へ向かわせる一方、自身は西進し3月5日勝沼に布陣。大善寺に本陣を置こうとしたが、大善寺には徳川家縁の寺宝があるという理由から諦め、大善寺の西側に先頭、山門前及び、東側の白山平にいたるまで細長く配置されたとされています。当初300名いた隊員は次々と脱走し、このときわずか121名だったといわれています。

戦闘は3月6日正午頃から始まりましたが、わずか2時間程で甲陽鎮撫隊は江戸へ敗走することになりました。


柏尾山 大善寺(ぶどう寺)


参詣案内

柏尾山大善寺は、真言宗智山派のお寺です。大善寺は、真言密教の祈祷や一般の修行、研修の場としてもご使用しております。<祈祷・修行> 


また、寺の縁起に由来した、国宝建造物、国の重要文化財の仏像等、沢山の寺の宝物を御覧いただけます。

・甲州東郡七福神巡拝第一霊場
・甲斐百八番霊場第十八番札所
・甲斐八十八霊場第七十七番札所


周りには、名所旧跡が多く、武田家ゆかりの地、芭蕉の句碑、ぶどうの丘等見るべきところが沢山あります。春には桃の花、秋には葡萄で賑わう桃源郷でもあります。 


《注目》

藤切り祭(5月開催)

藤切り祭は富士山信仰の原形を残す唯一の祭典です。

修験道系の祭典ですが、1つの祭典の中に仏事から神事までの流れが明確に残っており、神仏分離令(明治元年)、修験道禁止令(明治5年)の苦難を乗り越えて現代まで続く非常に貴重な神仏習合期の祭典です。

世界宗教と民族宗教が共存できた例は日本と中国の一部にしか確認されていませんので世界的にみても非常に珍しい祭典といえると思います。 平成25年に国の選択無形民俗文化財に指定されました。

明治後期から大正の頃に撮影されたとされる祭りの様子を写した現存する最古の写真。右側に現在と同様の御神木が確認できる。


大蛇を形どった藤の根を争奪する勇壮な祭り 

藤切会式は、千三百年前、修験道の開祖役小角(役行者)が、三十年間山に篭り苦行をし、法力を得て人々を救うと同時に、大蛇を退治し地域の人々を災厄から救った故事に習い、役小角の徳を慕い、その御利益にあずかろうと行なわれています。


藤切り祭りの流れは、5月2日・藤取り、6日(平日の場合は5日)・旗立、8日は14時の天狗祭りにて、大蛇を御神木に祀り、16時には練り行列で薬師堂に向かい護摩祈祷を行います。


続いて修験者は入峰(にゅうぶ)の所作に入ります。


山伏問答、笈渡しの儀、修祓、投げ藤、宝弓の大事、宝剣の大事、斧祓の大事、薬師三尊に捧げる舞である稚児の舞(『鉾廻の儀』)を奉納します。


その後修験者は、白根三山をあらわしている薬師堂前の三つ岩に移動し、これを登り降りすることで山や谷での修行を表現します。そして大蛇退治に向かうのですが、先発の修験者は大蛇があまりにも凶暴だったために命からがら逃げかえってきます。白根三山で役行者と出会った先発の修験者は、役行者と法力比べを行い、その法力に驚き、役行者に大蛇退治を委ねます。


先発の修験者は山越えのため薬師堂の左側から裏山を回り、柴燈護摩の煙で大蛇を燻り出し、弓矢で大蛇の目を射て、最後に役行者が大蛇を退治します(高さ3間半もある御神木から七尋半の大蛇を形どった藤の根を切り落とす)。


藤蔓は、果実豊作、開運成就、魔除けに効験あり(「破邪顕正の守護藤」)とされ、今日でも人々は競って奪い合い、家内安全の守りとしています。


「仏事」と「神事」が共存する珍しい祭り


境内案内


池泉鑑賞式庭園

江戸時代(寛永末)につくられたこの庭園は、高野山の普門院、鳥取の興禅寺と共に江戸時代の日本三名園と云われています。池泉鑑賞式の庭園で、滝、築山石組みを行い、下側に池泉を掘った典型的な江戸初期の庭園です。庭の西側に巨岩を置き、東側には滝が流れ、鶴石、亀石を配した池があり、客殿からの眺めは、まさに蓬莱山に入った気持ちがします。


交通アクセス


車 中央自動車道勝沼ICより 国道20号を東京方面へ 2分

電車 JR中央線勝沼ぶどう郷駅下車 タクシーで 5分 

駐車場 普通車 40台 ,観光バス 3台


鎹八咫烏お勧めの「周辺の見どころ」

大善寺から御坂峠を越えると河口湖。その先には裾野を広げた雄大な富士山が・・・

根場「西湖自然の里」には、昔懐かしい20棟の茅葺屋根の家を見ることができます。
昭和41年の台風で茅葺屋根の家は全て流出したが、その後官民あげての努力により復元した。
大善寺から車だと、御坂峠を越え河口湖の北岸・大石を経由して西湖の看板が立っている所を西方面に向かうと根場があります。所要時間は60分位です。
富士山を借景に茅葺屋根の家を撮る!贅沢な写真ですね~

毎年1月末~2月初めに開催される「西湖樹氷まつり」高さが約10mにもなる樹氷は迫力満点です!
冬の山梨もいいものです!辺りの空気はピーンとはって富士山の頂は真っ白「これが富士山だ!」と叫びたくなるくらい見事な眺めです。

これまで富士山は山中湖からの眺めが一番と思っていましたが河口湖や西湖からの眺めもいいですね~。やはり富士山はどこから眺めても「日本一の山」ですね!


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使


協力(順不同・敬称略)

大善寺(国宝)〒409-1316 山梨県甲州市勝沼町勝沼3559 TEL 0553-44-0027

公益社団法人やまなし観光推進機構
〒400-0031 山梨県甲府市丸の内1-6-1山梨県庁別館2階 電話番号:055-231-2722


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



ZIPANG-2 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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