このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
鉱山の神 モロクロガミ
【日本神話】
鉱山の神は金山彦・金山姫ですが、イザナギの嘔吐物から誕生したと伝わるほか、ほとんど活躍は描かれません。
宮司さんの話では、土で埋められた鉱山の内部は枝分かれしており、入口上部には菊の紋章の飾りがあったそうです。
【対馬の伝承・異伝】
対馬は日本で最初に銀が発掘された地(日本書紀、674年)で、鉱脈の分布と関連しているのか、主に厳原町の西部に鉱山の神を祭る神社があり、樫根には古代鉱山の坑道が残っています。 モロクロガミ(諸黒神)は対馬固有の神で、坑道の漆黒の闇を意味する、あるいは矢立山の別称・室黒岳に由来するとされています。
「異国からやってきた神」という伝承もあり、朝鮮半島系の鉱山の技術者が安全祈願のために祭ったか、あるいは坑道の闇で誕生した神なのかもしれません。
奈良時代から平安時代にかけて対馬で産出する銀は大宰府に納められましたが、地下を掘り進んで鉱石を採掘する作業は、落盤や出水、酸欠など常に危険と隣りあわせで、落盤事故なども記録されています。江戸時代には対馬藩により銀山の開発が行われ、朝鮮貿易の代価として藩の財政を支えました。
阿連(あれ)の鉱山跡
阿連は観光地としてはまったく無名ですが、農業・漁業・林業がバランスよく営まれている「生活の原型」のような集落で、個人的にとても魅力を感じます。
とんでもなく沢が深いので、道に迷うとたいへんなことに(-_-;)
たどり着けないかも、と不安に思っていたら、山仕事中の阿連の橘 一門(たちばな かずかど)宮司さんとばったり遭遇。案内していただきました。ありがとうございます!
どどん!古代坑!
実はここは谷(沢の底)になっており、上部に石を積んで浸水を防いでいます。
硬い岩盤を、深く掘り下げているのです。
昭和の東邦亜鉛が閉山する際、危険なので古代~現代のほぼすべての坑道入口を土嚢で塞いでいます。 内部をフラッシュ撮影してみました。
宮司さんの話では、内部は枝分かれしており、入口上部には菊の紋章の飾りがあったそうです。
他にも数ヶ所、こうした坑道の跡があり、このあたりが対馬最古(つまり日本最古)の鉱山跡と聞いていた、とのこと。
坑道の上。すでに谷なのですが・・・
深く掘り下げてます。
帰りは尾根道を歩きましたが、すごい急傾斜(-_-;)
「足元、気をつけてね」(宮司さん)
「はい・・・。落ちると軽く死にますね(志半ばで)」(私)
こうして阿連の古代鉱山の探索は無事終了したのですが、阿連の自然の恵みをご紹介。
原木しいたけや、写真は昔ながらのニホンミツバチの養蜂。
日本書紀の養蜂の記録は7世紀。1400年ぐらい前ですかね(古っ)。
炭焼き。里山です。
海に面しており、田んぼも畑も広いです。
自給自足できそう。
「対馬の四季―離島の風土と暮らし」(出版:農山漁村文化協会。)
戦後まもなく、農業改良普及員として阿連に着任した月川雅夫さんの著書です。
「島流し」と同僚の哀れみを受けながら阿連に来たら、戦後の食料難の本土とは比べ物にならない「自然と共生する豊穣の世界」があったことに感動するお話。
食べ物がとてもおいしそうです。
読書の秋におすすめ。
阿連にはオヒデリさまという神事が伝承されており、その舞台のひとつ、雷命神社。
水神と太陽神が神婚して里に豊穣がもたらされるという、まるで柳田國男の世界が展開されます。
社殿を圧倒しているイチョウの大木。黄葉が楽しみです。
モミの大木もあったのですが、台風の時に竜巻が発生し、折れてしまったとか。
オヒデリさまは改めてご紹介したいと思います。
心癒される阿連の風景。
神話と伝承と豊かな自然に恵まれた、心のふるさとのようです。
日本最古の対馬銀山は厳原町樫根にあったとされますが、同町阿連の山中にも古い時代の鉱山跡があります。沢の底を掘り下げ、排水のため石を積み、手堀りで岩盤をくり抜いています。対馬の歴史の1ページとして、調査研究が待たれます。
阿連の鉱山跡アクセス(険しい道のりなので要ガイド)
銀山上神社
神社番号 32 式内社
アクセス
厳原町久根田舎(くねいなか)の久根川沿いに県道24号線が走り、御所橋を渡ると鳥居が見えてきます。
厳原町久根田舎(いづはらまち・くねいなか)の「銀山上神社」です。
ここと、樫根(かしね)の銀山神社の祭神は、「諸黒神(もろくろがみ)」。
通常、鉱山の神様は「金山彦」なのですが、「諸黒神」は対馬固有の神様のようで、ネットで調べても何も出てきません。「漆黒の闇」を意味する、何ともドスのきいた名前です(-_-;)
7世紀の対馬銀山で誕生したか、採掘の技術者集団が祭っていた神様なんでしょうね。
周辺の雰囲気・環境など
厳原町久根田舎は、対馬最高峰・矢立山(649m)を源とし、西海岸の久根浜に流れる久根川中流域に位置する集落です。古名は「大調」(おおつき)で、調(税金の代わりに納める特産品)として朝廷に銀を献上していたことにちなみます。
山に囲まれた静かな農村で、石屋根など伝統的建築物が残るほか、安徳天皇にまつわる伝説があり、山中に宮内庁の御陵墓参考地があります。
久根田舎地区にも生活の中に生きている石屋根倉庫の文化
久根田舎《安徳天皇御陵墓参考地》
久根田舎(くねいなか)には、源平の合戦で「壇ノ浦」に沈んだはずの幼い安徳帝が実は生き延びていて、対馬で晩年をすごしたという伝承が残されており、宮内庁の正式な安徳天皇御陵墓参考地に指定されています。
神社のプロフィール
社殿は立派で、苔むした参道が美しく、銀山神社(番号14)とともに式内社「銀山上神社」「銀山神社」の論社とされています。境内に、式内社論社の都々地神社(矢立山遥拝所)があります。
銀山神社
神社番号 14 式内社
周辺神社 小茂田濱神社(12)
アクセス
厳原町樫根地区の佐須川と樫根集落の間、ゲートボール場の横に鎮座しています。
周辺の雰囲気・環境など
厳原町樫根は、佐須川流域に位置する集落で、古代の坑道が残されています。近くには国指定史跡の矢立山古墳群(7世紀後半)があり、鉱山との関係が指摘されています。集落奥の法清寺には、千手観音像や木像仏が安置され、この地が古い時代から栄えていたことを感じさせます。
T字形を呈する横穴式石室が特徴的な矢立山古墳群(7世紀後半)
福岡市博物館九州仏展にて紹介された対馬「法清寺観音堂」如来立像ほか。木彫像はその魁偉な風貌から「蒙古仏」とも呼ばれてきた。
厳原町樫根(かしね)の古代坑。
地下世界は出水や落盤など、海同様に危険に満ちた世界で、安全祈願・神頼みをしなければ仕事ができません。そんな銀山の作業の無事を祈るための神社もあります。
神社のプロフィール
式内社「銀山上神社」「銀山神社」 の論社です。鎌倉時代の元寇において、元軍の目的は銀鉱山だったとも言われており、佐須地区は大きな被害を受けます。境内に宗家初代・宗助国の太刀塚があります。
【寄稿文】 西 護
一般社団法人 対馬観光物産協会 事務局長
協力(敬称略)
一般社団法人 対馬観光物産協会 〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷672番地1
観光情報館ふれあい処つしまTEL 0920-52-1566 / FAX 0920-52-1585
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