このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風21号並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
櫛引八幡宮では一年間を通していろいろなお祭りが執り行われます。
お祭りは時代を超えた日本文化の結晶であり、伝統・文化を継承させる場でもあります。
櫛引八幡宮「年間行事」
「たげめごい」子供たちによる奉納えんぶり
伝統を舞う・・・
元旦祭
【旧暦】ー 【新暦】1月1日
年のはじめに1年間の健康・家内安全を祈願します。
厄祓(厄除け)(節分)
【旧暦】ー 【新暦】2月3日
人生の重要な節目に、肉体的・社会的立場・家庭環境の変化にともなう災厄をお祓いします。
今年も開運招福祈願祭「豆まき神事」は寒い中大勢の方たちが参加されました。
御篭祭(おこもり祭)
【旧暦】1月14日 【新暦】3月1日
当宮祭儀の中でも特殊な祭儀であり、ご参列いただいた方は御本殿にて御参拝いただくことができます。
夜8時より執り行います。
悶破稲荷祭
【旧暦】ー 【新暦】4月10日
境内社:悶破稲荷神社の1年に1度の大祭です。
五穀の豊穣と商売繁盛などを祈願します。
お浜入り神事
【旧暦】ー 【新暦】5月14日
御神威の再生・よみがえりの神事であり、八幡大神様が御神輿にて小中野の御前(みさき)神社に渡御するおまつりです。
春季大祭
前夜祭:【旧暦】4月14日【新暦】5月28日
祈年祭:【旧暦】4月15日【新暦】5月29日
2日間にわたる春の大祭であり、稲をはじめ五穀の豊穣と、商業・工業・漁業等あらゆる殖産工業や文化の発展を祈願するおまつりです。
前夜祭は午後6時に祈年祭は午前11時に執り行います。
取子礼祭
【旧暦】5月5日 【新暦】6月18日
取子例祭とは旧の5月5日 こどもの日に行うお祭りなのです。
夏越大祓・焼納祭
【旧暦】ー 【新暦】6月30日
夏越大祓:1月からの半年間の罪・穢れ(けがれ)を祓い、心と体を清めて新たな半年間に向かう為の行事です。
焼納祭:古いお神札やお守り等に感謝の祈りを込めて忌火でお焚き上げします。
スポーツ流鏑馬大会
【旧暦】8月11日 【新暦】8月11日
開始直前の役者の皆さん。一番緊張するときです。女性の射手も凛々しい姿で…
秋季大祭
前夜祭:【旧暦】8月14日 【新暦】9月23日
例大祭:【旧暦】8月15日 【新暦】9月24日
馬場洗:【旧暦】8月16日 【新暦】9月25日
3日間にわたる櫛引八幡宮最重要のおまつりです。
1年間で最大のおまつりであり、神事武芸 流鏑馬・弓道大会・少年相撲大会・文芸大会の他、各種演芸会・奉納会が行われるとともに、お祓いを受ける方やご参拝する方々で賑わいます。
七五三詣
【旧暦】ー 【新暦】11月15日
七五三詣「碁盤の儀」(自立と勝運を願って)
平安の昔から行われ、皇室で行われる「着袴(ちゃっこ)の儀」に受け継がれる行事です。
古く平安時代からのお祝いの儀式であり、家族そろって神社にお参りし、子どもの成長を大神様に感謝し、今後の健やかな成長をお祈りします。
「男女三歳で髪置」「男女五歳で袴着」「女子七歳で帯解」のお祝いがあり、これが七五三の由来です。
(10月頃より七五三のお参りを随時受付いたします)
収穫感謝祭
【旧暦】ー 【新暦】11月23日
稲をはじめ五穀の豊穣とあらゆる殖産工業や文化の発展に感謝するおまつりです。
たくさんの収穫物がご神前にお供えされます。
すす払い
【旧暦】ー 【新暦】12月15日
新しい年を迎えるために社殿に1年間溜まった埃や塵を掃除する行事です。(午後3時より)
大祓式
【旧暦】ー 【新暦】12月31日
7月からの半年間の罪・穢れ(けがれ)を祓い、心と体を清めて新しい年を迎えるためのおまつりです。
一般の方々もご参列いただけます。詳しくは社務所までお問い合わせ下さい。
【櫛引八幡宮 社務所】 0178-27-3053
一年間における櫛引八幡宮の主な行事のみご紹介いたしました。
まだまだご紹介不足のところはございますが、ひとまずこれにて櫛引八幡宮編の最終話といたします。
ご協力ありがとうございました。
それでは最終話の最後は大変に御目出度いお話をご紹介いたします。
この日は4件の挙式が行われたそうです。
お嫁さんの白無垢姿とても綺麗ですね~
歴史ある神社での挙式は、伝統のセレモニー「巫女の舞」などもあり皆さんの心に残る挙式になります。興味のある方は、足を運んでみて下さい。
余滴
一戸から九戸まで戸(へ)の付く地名の由来
青森県東部から岩手県北部にかけて一戸から九戸という大変に珍しい数字に戸(へ)の付く地名があります。その由来について簡単にご紹介します。
馬の木戸(きど)説
鎌倉時代のこと源頼朝は、南部氏を甲斐の国(山梨県)から糠部(ぬかのぶ)という地に転封しました。その地の環境から南部氏は領内の各地に牧場をつくり、軍馬を生産したのでした。自然と人々が集まり近くには集落ができました。数字と戸(へ)の付く地名は、元々は牧場の木戸に付けられた番号であったという説です。
柵戸(きのへ)説
奈良・平安時代のことです。蝦夷征伐にやってきた軍隊の駐屯基地では、周辺に柵を巡らして食糧を生産し自給自足で戦っていたようです(当時は、想像するに補給が困難なのと、戦いは人海戦術で長期戦だったのでしょうかね~)。
この柵のことを柵戸といって、それぞれに番号を付けていたものが、地名となったという説です。因みに一戸から七戸までの町村の距離は何と、計ったように約20㎞になります(恐らく、牧場として管理し易いように均等割に計画されたものでしようか?)。
ただし、四戸については当時の細長い地形のせいか現存していませんが(本当にそれだけなのかな~、病室などの4という番号は縁起を担いで使われないのと同じ理由ということも考えられないだろうか?)とは言えその名残として人名の姓だけは残っているようです。
次回以降は、長崎市、対馬市、高山市、名古屋市、天竜市、稚内市、沖縄県等…順不同にてご紹介いたします。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力
南部一之宮 櫛引八幡宮 〒039-1105 青森県八戸市八幡字八幡丁3 TEL:0178-27-3053
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