このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風21号並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
櫛引八幡宮は、鎌倉時代より南部藩(青森県南部・岩手県北部)の総鎮守として、多くの人々に尊崇されてきました。現在の社殿は南部重直が慶安元年(1648に)建立したものであり、また、所蔵の国宝・赤糸威鎧をはじめとした宝物、国指定重要文化財の御本殿など、八幡宮全体が文化財となっています。
境内の国宝館には、国宝の「赤糸縅鎧兜」が所蔵されており、これは別名「菊一文字の鎧兜」と呼ばれ、奈良・春日大社の鎧兜と現存甲胄の双壁をなすと言われています。
国宝「赤糸縅鎧兜」は、別名「菊一文字の鎧兜」と呼ばれています。
拝殿のファサードには十二支の絵馬が奉納されています。
御神木の杉
それでは、昨日に続き境内のご案内と建物のご紹介から
境内のご案内
※右回りでご参拝ください。
建物のご紹介
ご本殿
御祭神:誉田別尊(ほんだわけのみこと):八幡大神(はちまんおおかみ)
江戸時代/三間社流造・銅板葺 慶安元年(1648年)建立 【国指定重要文化財】
「南部一之宮」にふさわしく、当時の規矩にかなった正規の構造手法が認められるものであり、その構えは壮大でかつ優美であり、屋根の流れの曲線の美しさは特筆に値します。
江戸時代前期のものでありますが、桃山時代の遺風が察しられる名建築です。
御祭神
御本社・御祭神
八幡大神(ハチマンオオカミ)-別奉称 誉田別尊(ホンダワケノミコト)
脇宮御祭神
天照皇大神(アマテラススメオオカミ) 天津児屋根神(アマツコヤネノカミ)
未社・摂社御祭神
大国主神 (オオクニヌシノカミ)
建御名方神 (タケミナカタノカミ)
惶根神 (カシコネノカミ)
伊弉冉神 (イザナミノカミ)
水波能賣神 (ミズハノメノカミ)
白山比神 (シラヤマヒメノカミ)
素盞雄神 (スサノオノカミ)
猿田彦神 (サルタヒコノカミ)
倉稲霊神 (ウガノミタマノカミ)
武甕槌神 (タケミカヅチノカミ)
伊弉諾神 (イザナギノカミ)
鳴雷神 (ナルイカツチノカミ)
生保馬神 (イクヤスマノカミ)
泥土煮神 (ウヒジニノカミ)
火産霊神 (ホムスビノカミ)
大山祗神 (オオヤマズミノカミ)
櫛引八幡宮 本殿 彫刻
櫛引八幡宮本殿の素晴らしい彫刻をご紹介します。是非お越しください。
さすがに見事な彫刻です!
昔話(櫛引八幡宮ものがたり)
左甚五郎とメドツ
「メドツ」とは「メドチ」とも言われ、東北地方、青森県で古くから伝わる河童の一種。
子供が川辺で遊ぶ際に、危険だからよく注意をしなさいという意味で「メドツが出るから近づくな!」 と、脅かし気味に注意しているのだそうですよ。
そうですかやはり、飛騨の匠「左甚五郎」(日光東照宮の眠り猫等で有名)の手によるものでしたか。飛騨は故郷の一つ(故郷はいくつもあります)で八幡様により親しみを感じてきました。
八幡様の池に住むメドツ(河童)です。この姿を拝見して小生今は八咫烏ですが、子供のころのあだ名は「河童」だったことを思い出しました。
拝殿
桁行15間・向拝3間・入母屋造・銅板葺 昭和59年(1984年)竣工
現在の拝殿は昭和59年11月に竣工したものです。
末社 春日社
御祭神:天津児屋根神(あまつこやねのかみ)
江戸時代/一間社春日造・銅板葺 元文4年(1739年)勧請【国指定重要文化財】
本殿に向かって左側、先の神明宮と対称の位置に奉られている小さな社殿ですが、小規模ながらも正規の一間社春日造の形式であります。
櫛引八幡宮の境内には「夫婦杉」や「三本杉」を初め御神木として「杉」の木がパワースポットの一つになっています。
日本書紀によると、「杉」は素戔嗚尊がこの世に生み出された四樹種の一つになります。
ご参考までに杉について…
杉
スギ科。
常緑針葉高木。日本特産で青森県以南の日本各地に分布しています。 土質の種類を問わずによく育つので全国各地に生育していますが、一番よい場所は、西日のあたらない谷間や北及び北東に面した山谷、山腹です。 さらに、土壌が深く、肥沃で適度の湿気を有する所を好み、乾燥地には不向き。
スギは日本の文化
スギの語源には諸説があり、「すぐ木(真っすぐな木)」という説が有力です。スギには杉の字をあてるが、中国で杉木というと、スギ属とは別のコクヨウザンのことをいいます。 弥生時代の登呂遺跡の水田跡からは、あぜ道に使われたおびただしい数のスギの矢板が発見されているように、日本人とスギとの関わりはきわめて深い。 西欧の「石の文化」に対して、「木材文化」といわれる日本の文化を支えてきた有用樹種がスギです。 有史以来、伐採とともに盛んに植林が行われたため、もともとの天然分布は定かではない。 東北地方の太平洋側から四国・九州に分布するスギをオモテスギ、日本海側から北陸・山陰地方に分布するスギをウラスギといって区別することがあります。 鹿児島県屋久島に生育するスギの大木は、とくに屋久杉といわれ、樹齢2000~4000年と推定されるものも数多い。大きいものでは樹高50m以上にもなり、国産樹種のなかでは高さ・寿命とも第1位の座を占めています。
日本の森林
材は、建築土木用のほか、家具調度・経木・割箸・酒樽など、生活用材としても広く利用されてきました。 日本森林面積は2515万ha、その中で1040万haが人工林、その中の58%が杉で、杉と桧で約8割を占めている 造林の北限は札幌あたりで、函館付近でもかなり良いスギ林ができています。
花粉アレルギーの主な原因
特に有名な林業地をあげると、奈良県吉野、三重県尾鷲、静岡県天竜川筋、大分県日田、鳥取県智頭などがあり、それぞれが樹、葉や材質等に特長を持つ品種をいくつか育成しています。 花は雌雄同株(同じ樹に雌花も雄花もつくもの)。雄花は前年の秋に生まれ、越冬して翌年の3月上旬頃に開きます。円筒形で先が丸く長さは1㎝弱、直径0.3㎝くらいで、黄褐色をしています。そして、その円筒に雄ずいという切れ目がらせん状にたくさんついていて、そのすき間に45ヶの丸いヤクという袋があり、これが縦に割れて、中の花粉をたくさんまき散す。これが、春先の花粉アレルギーの主な原因となるものです。 スギは、風媒花で風に花粉を運ばせて、小枝の先にある帯紫色の小さく丸い雌花に実をつけ、実は長さ23㎝の卵形をしており、10月頃成熟します。松かさのようになっていて、1つ1つのウロコは木質でくさび形をしており、その下に35ヶの種子を隠しています。種子は長さ5㎜、幅は2㎜くらいでルーぺでみると両側に風にのるための狭い翼を持っています。
名は体を表す
葉は互い違いにつき、細い針のような形をしており、つけねに向かって太くなり枝につながるのでその境がわかりにくくなっています。又、枯葉になっても葉だけが落ちることはまずありません。 長さ0.41.2㎝くらいですが、若い木では2㎝にもなることがあります。 スギという名のごとく幹はまっすぐで枝ぶり全体でいうと円錘状のシルエットになります。成長の衰えたものは先が円くなって卵形に近くなります。枝下が長く、枝は一般に細めです。樹皮は、赤褐色から暗褐色で縦に長い割れ目が入り、繊維質で細長くはがれてしまいます。
辺材と心材&板目と柾目
木口から見ると辺材は白色に近く中央の心材は淡紅色から暗褐色で、時には黒っぽいものもあり、辺材と心材の区別は大変はっきりしています。年輪幅の広い狭いやその整い方などは、それぞれの樹の成長状態によって様々です。板目から見ると木理展型的な山型をしていて肌目はややあらい。又、柾目から見て、細かくて細い平行線がたくさん並んだような材は、年輪が密ということで、堅くて均一で良い材と評価され糸柾と呼んで珍重されています。
建築用材として
スギ材特有の匂いも大きな特長の一つです。材質は、天然木であるか否かによってかなり違い、またそれぞれの成長経過によって随分左右されます。比較的軽く軟らかく、加工や乾燥も容易でかつ一程程度の強度があるというのがスギの特長です。 又、縦(繊維方向)に加わる力に対して強く、木理がまっすぐである事や乾燥や加工がしやすいという点で、建築用材として柱などに適用しています。さらに、水や虫にも比較的強いので外壁や雨戸にも使うことがあります。
スギの名の由来
スギの名の由来は貝原益軒の「大和本草」に「木直也故にすぎといふ、すぎはすぐ也」と記されており"まっすぐの木"がすぎの木になったという訳です。古事記などに出てくるマキの木はスギを主とし、他にヒノキやコウヤマキも含んで、「マキ」と呼んでいたようです。
建物のご紹介の途中ですが、本日はこれにて終了として、続きは明日といたします。
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力
南部一之宮 櫛引八幡宮 〒039-1105 青森県八戸市八幡字八幡丁3 TEL:0178-27-3053
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