このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風21号並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
あなたは知っていますか?ヨーロッパに一番近い町~稚内~を・・・
稚内は宗谷海峡を挟んでロシアと国境を接していることから、江戸時代以降、今日まで警備の要衝であることと同時に、樺太(サハリン)との交流・交易の拠点として位置付けられてきました。
そのため江戸時代に国境警備のために駐屯した津軽藩や会津藩士の墓や史跡、戦時中に建造された軍事施設や、探検家間宮林蔵の渡樺の地、稚内港北防波堤ドームのような樺太との人・モノの交流のための建造物や史跡が宗谷湾岸の国道40号から238号沿線に点在しています。
現存するこれらの建造物や史跡を探訪することにより、それぞれの時代の稚内の役割や歴史を体感することができます。
「稚内港北防波堤ドーム(北海道遺産)」
宗谷湾を望む北埠頭のシンボル。強風と荒波を防ぐ全長427mの世界でも珍しい半アーチ形ドームは円柱70本の柱廊風のゴシック建築を模した重厚なデザインで2001年には北海道遺産に指定されています。
設計者は北海道大学を卒業して3年目、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた当時26歳であった土谷実氏です。
北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤です。
樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。
半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年にその独特の景観がよみがえり、高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式です。
毎年、8月には稚内市主催の「稚内アートフェスティバル」が行われます。
「稚内アートフェスティバル2018」は、台風のため中止となりましたが来年頑張ろう!
アントニオ・ガウディが初めてコンクリートを使用したバルセロナのグエル公園のプロムナードを思い出させる「稚内港北防波堤ドーム(北海道遺産)」。手前の道路の右側はどうなっているのか知りたいですね~
実は、こうなっているのです。締め切りに間に合わなくて写真をお見せできないのが残念です。
波止場までのプロムナードもでき、ライトアップした「ブルーライト稚内」の夜景は言葉では言い尽くせないほど美しい。稚内市民の憩いの場所です。
野外ステージでのイベント・コンサートが始まると、本州からも観客が押し寄せますよ。
まさに新旧一体の融合空間です。
稚内の歴史的建造物の保存とまちづくり
取組の背景、取組概要と創意・工夫について
樺太との交易で栄えた稚内の栄華を伝える建造物 が、次々と解体されていくことに危機感を持った有 志が、「古き良きものを守る」という意識のもと、 現存する歴史的建造物を保存し、この街の歴史文化の広報活動等を行い、活力ある地域づくりを目的に設立されました。
稚内赤レンガ通信所 草刈り
赤レンガ通信所の草刈りを総勢9人で行ったそうで、お陰で赤レンガがすっきりと映えていますね。
歴史的建造物の保存活動のほか、会員が独自に調査・研究を進めることで講演会・見学会・市民
講座等の内容を充実させ、市民に地域の歴史を知って興味を持ち、郷土愛を育んでもらえるような活動を行っています。
恵北にある旧海軍の送信所跡地である稚内赤れんが通信所の一般解放が5/19(土)・5/20(日)の午前10時~午後3時までの2日間に渡って行われ、天候にも恵まれて多くの市民が参加されました。
映画「北の桜守」で初めてこの建物のことを知った人もいたようで、ようやく桜が咲いた稚内赤れんが通信所で見学したり撮影したり楽しんでいました。
気軽に参加できるイベントも開催し、子どもから大人まで参加できるように工夫しています。
また、調査・研究結果を基にしたガイドブックには載らないような裏話を含めた独自のストーリーが
財産となって、各施設のガイドとしての要望も徐々に高まっています。
活動の成果や波及効果等
当会が保存活動を行うことによって、解体を免れ た歴史的建造物が市内に数カ所あります。修復活動 にも携わり、その後一般公開され、多くの観光客が 訪れるスポットになり、歴史を後生につないでいま す。
建造物を修復する過程では、現代の建物ではあま
り使われなくなった伝統的な職人の技をベテラン技
術者から若手技術者に伝えられる場面も多々あり、
技術の継承と技術者の育成にもつながっています。
稚内市の歴史的建造物たち
㈱北見商会社屋・佐賀宅
1911年(明治44年)竣工
1685年(貞享2年)松前藩が宗谷場所を開設以来、請負の権利の売買が歴史を繰り返し、1888年(明治21年)に北見商会が設立された。
本店は松前群福山に置かれ、函館に代理店、稚内村に支店を置いた海産物商であった。
1894年(明治27年)に道北最古の株式会社の1つとなる。
この社屋は稚内大火直後の1911年(明治44年)に建設されたと考えられる。
当時は枝幸からその洋風な外観を見学に来たとも言われている。
北防波堤ドーム【北海道遺産】
1936年(昭和11年)竣工
海上からの高さ14m、円柱72本、長さ427m
道庁技師 土谷実氏設計。他に類を見ない構造形式で、優雅さ、雄大さ、新境地を開いた画期的な工法が当時高く評価された。
1970年(昭和45年)の補修、1978年(昭和53年)から2年掛けた全面改修、1997年(平成9年)から5年掛けた耐震補強工事が行われ、2001年(平成14年)には北海道遺産に認定された
声問中学校体育館(現 石崎食品第二工場)
1953年(昭和28年)竣工
旧声問中学校は1947年(昭和22年)に稚内町立稚内中学校声問分校として開校、翌年声問中学校となる。
1953年(昭和28年)に当時の煉瓦造による耐寒と耐火を兼ねた市のモデルスクールとして現在の位置に新築された。
1970年(昭和45年)に稚内市立東中学校に統合され廃校に、1984年(昭和59年)火災により校舎を焼失し、体育館が残る。現在は石崎商店の第二工場として利用されている。
旧海軍望楼【稚内市有形文化財】
1902年(明治32年)竣工
国境の備えとして旧帝国海軍が建設。
当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海峡、津軽海峡、東シナ海のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知することは、戦略上極めて重大であったことから、同望楼の海上監視にも、任務の重要性が課せられていた
日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わったが、1922年(大正9年)沿海州で起きた尼港事件では無線通信基地として、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として使用された。
1968年(昭和43年)市の有形文化財に指定された。
旧秋田木材発電所(現 西岡牧場倉庫)
1913年(大正2年)竣工
1903年(明治43年)秋田木材は幕別川流域の国有林払い下げを受け、伐採林を声問川口に集材して原木を本州各地に送り始めました。
1912年(大正元年)に声問に木工場を新築し、翌1913年(大正2年)火力発電所を設置する。1914年(大正3年)からは、同発電所から稚内市街へも電気が送電されたが、1925年(大正14年)秋田木材は閉鎖される。※1927年(昭和2年)の記述もある
旧海軍大湊通信隊稚内分遺隊幕別送信所庁舎
1937年(昭和12年)竣工
1902年(明治35年)大岬(現 宗谷岬)において運用開始された海軍望楼にその起源を辿ることができる。
1928年(昭和3年)から2年掛けてクサンル(現 稚内市緑2丁目3)に局舎を移し、1931年(昭和6年)からは幕別(現 恵北)に機能を分化、1937年(昭和12年)には「稚内海軍通信隊幕別分遺隊」となり終戦まで使用することとなる。
真珠湾攻撃の命令電報「ニイタカヤマノボレ」を中継したとされている。
道北最大級のレンガ造建築物である。
旧瀬戸常蔵邸
稚内の水産業を担った故瀬戸常蔵氏の邸宅と番屋であり、その規模と戦後の木造住宅にしては稚内において価値の高い和風建築である。
平成23年度から建物の補修工事が始まり、稚内の開拓からの歴史を保存継承されていくことが期待されている。
国土交通省「手づくり郷土賞」受賞!
稚内市歴史・まち研究会 会長 富田 伸司
受賞者コメント
宗谷海峡(ラ・ぺルーズ海峡)を挟んでロシア と国境を接している稚内には、当時をしのぶ建造物や史跡が多数現存しています。このたびは、当会の地道な活動を評価いただき大変光栄に思っております。今後は、調査教育に根差したこれまでの保存活動に加え、観光資源としての魅力を発揮できるよう、活動を継続していきたいと思います。
余滴
稚内市歴史・まち研究会の皆さん、「手づくり郷土賞」の受賞おめでとうございます。
熊田副会長もお疲れ様です。日頃の地道なご努力が実を結んだのですね。
小生も見習いたいものです。
皆様の益々のご活躍を名古屋の地から祈念いたしております。
引き続き、北の国境・ヨーロッパに一番近い町「稚内」の見どころを一般社団法人 稚内観光協会にご協力頂き、ご紹介して参りたいと思っております。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
稚内市歴史・まち研究会 北海道稚内市末広5丁目5番6号(株)宮田組内
電話 0162-33-2220
一般社団法人 稚内観光協会 〒097-0022
稚内市中央3丁目6-1 キタカラ1階
TEL:0162-24-1216
稚内市役所 〒097-8686 北海道稚内市中央3丁目13番15号 電話 0162-23-6161
国土交通省〒100−8918 東京都千代田区霞が関2-1-3 (代表電話) 03-5253-8111
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