このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
若狭の一宮
若狭彦神社(上社) 若狭姫神社(下社)
若狭一の宮は神社の記録によれば、奈良時代初期にあたる養老5年(721)に創建されたといわれています。若狭一の宮は上社と下社の総称ですが、ふつう上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」と呼んでいます。彦神社は和銅7年(714)遠敷郡下根来村白石に創られましたが、霊亀元年(715)現在の地に遷社したとされています。
御祭神は、彦神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)、姫神社は豊玉姫命(とよたまひめみこと・乙姫)です。共に、海上安全、海幸大漁の守護神として信仰されています。
若狭彦神社(下社)社叢
若狭姫神社は若狭彦神社とともに若狭一の宮と称されています。養老5年(721)に創建されてより社地の変遷がないので、安定した環境が保たれたのか?裏山には若狭地方の代表的な暖地性広葉樹林の社叢が発達して神社の荘厳さを保っています。
裏山の社叢は、中央から右側はイノデ、タブ群集、左側端および上部はヤブコウジ、スダジイ群集となっています。
社叢を段層別にみると20mくらいの高木層には、タブノキ、スダジイ、カゴノキ、ムクノキ等がみられます。10~15mの亜高木層には、ヤブツバキ、ヤブニッケイ、ウラジロガシ等があり、2mくらいの低木層には、ヤブツバキ、スダジイ、ヒメアオキなどがみられる。林床にはシダ類が多く、特にベニシダ、フモトシダ、ヒメカナワラビ、オニカナワラビ、イノデ、オオバイノモトソウなどが多く見られます。
この社叢で特記すべき植物はカゴノキとムクノキの自生と思われるものがあることであろうか、特にカゴノキは直径90㎝の巨木で、樹下には稚樹もみられることです。
裏山に登り社の右側を行くと小道があり、登るに従ってタブの巨木が頭上をおおいます。それは恰も古代の若狭の人々が経験した自然環境をしのばせてくれるようです。
神社の境内には遠敷の千年杉として名高いスギの巨樹がみられ、千古厳然として聳立する様は群集となっていて見事です。
カゴノキ とは
鹿子の木
クスノキ科ハマビワ属。常緑高木。千葉県以西の本州、四国、九州、沖縄、台湾、朝鮮南部に分布します。高さは15-20メートルほどになり、樹皮が薄くまるくはげ落ちて鹿の子模様になるのでこの名がついた。しかし、直径10センチ前後までの若木では、ほとんど樹皮は剥がれず、皮目が目立つものの、普通の樹木の樹皮であり、カゴノキとはわかりにくい。直径20センチほどになると全面が剥がれはじめ、美しい鹿子模様となります。葉は、枝先に集まって互生し、葉身は長楕円形または、倒卵状披針形、縁は全縁である。革質で、表面は緑色、裏面は粉白色。初めは両面に毛があるが、後に無毛になります。葉柄には毛が残る。雌雄異株。花芽は球形で、葉腋に3~4個つく。柄は無い。8-9月に薄黄色の小集団花を咲かせます。実は翌年の夏に赤く熟す。
木材としては木理はやや精。
比重は0.70。直径80cm。散孔材。心材は赤褐色、辺材は淡黄白色。
心辺材の区別は明瞭。やや重く、強さは中位。加工のときに不快な匂いを発します。
材の表情は魅力的でない。楽器(鼓の胴)、小細工物などに使われます。
ムクノキとは
ニレ科。
落葉高木。本州、四国、九州、沖縄、朝鮮、中国、インドシナに分布する。散孔性。 高さ20m。
直径1m。心材は黄褐色。辺材は淡黄色。
肌目は荒い。比重は0.67前後。おおむね 中程度の材。心材の耐久性は小。切削・加工はやや困難。表面仕上は中。勤性に富み 従曲性のある材。果実は甘く、ムクドリが木に群がり好んでたべる。縄文時代前期の鳥浜貝塚などの遺跡からも、ムクノキの実が出土しているという。ムクドリばかりでなく、古代人にとっても貴重な甘味料でした。皮肌を生かして皮付丸太として床柱、壁止めなどに用いら れるほか、堅く丈夫なので、建築材のほか、野球のバットやてんびん棒などの器具材に用いられます。葉を乾燥したものは桐だんすなどの家具、象牙、角、骨などの仕上げ研磨に使われます。
彦神社の本殿は、文化10年(1813)造営で正面、側面、向拝が3間の三間社流造桧皮葺の建物で、山を背景に建てられています。神門(中門)は天保元年(1830)の造営で、四脚門形式の切妻造桧皮葺、随神門は江戸時代後期の造営、八脚門形式の入母屋造桧皮葺です。
姫神社は、本殿は享和2年(1802)造営の正面3間、側面3間、向拝1間の流造桧皮葺の建物です。本殿を囲む瑞垣(透塀)の内部には千年杉で有名な神樹が聳(そび)え、千古の神域を一層森厳にしています。神門(中門)は、享和3年(1803)の造営、随神門は寛保3年(1743)の造営で、ほぼ上社と同じつくりとなっています。
若狭彦神社(上社)本殿・神門・随神門
若狭彦神社(上社)の祭神である山幸彦「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」は兄、海幸彦の道具で釣りをしている時、誤って針を無くしました。針の行方を聞くため海神のいる竜宮城へ行った山幸彦は若狭姫神社(下社)の祭神である豊玉姫と出会い、そのまま結婚してしまいました。
何年か経ち、やはり海幸彦の針が気になってしようがない山幸彦が海神に相談したところ。のどにその針が刺さった鯛が見つかり、無事針が見つかりました。 竜宮城から戻り、海幸彦に針を返した山幸彦は豊玉姫と幸せに暮らしたそうです。 若狭彦神社(上社) 若狭姫神社(下社)
この二つの神社で共通する点は、境内に、本殿・神門・随神門といわれる3つが一直線に配置されていることです。全体的には、彦神社は本殿の前面屋根が短く簡潔なところから厳粛な神殿といわれるのに対し、姫神社は本殿の屋根が流れるように伸びていますので、やさしく美しい感じを受けます。 姫神社の社叢はカゴノキ、ムクノキなど暖地性広葉樹林で、県の天然記念物に指定されています。
住所 福井県小浜市遠敷65-41
JR東小浜駅より徒歩15分
舞鶴若狭自動車道小浜ICから車で8分
若狭姫神社の遠敷明神および若狭彦神社の祭りが、遠敷祭りです。若狭彦・姫神社は、若狭一宮であり、遠敷明神が養老5年2月10日に遠敷の地に鎮座されたので、3月10日にお祭りを行い、若狭彦神が霊亀元年9月10日に鎮座されましたので10月10日にお祭りを行っています。言い伝えの古い由緒ある神社のお祭りです。いずれも太陽暦になってから1ヶ月繰り下げて行われるようになりました。最近では、土・日曜日にあわせて、行われています。 遠敷明神の祭神は,豊玉姫命であり、彦神社の祭神は,彦火火出見尊といい神話「海幸・山幸」で名高い神々です。祭は、五穀豊穣を願い、棒振りや大太鼓が地区内を練り歩き、賑やかに行われています。
時期:毎年10月上旬の土曜日、日曜日
住所:福井県小浜市遠敷池田
舞鶴若狭自動車道 小浜ICから車で13分
北陸自動車道 敦賀ICから車で60分
真言宗御室派「明通寺」
山門(仁王門)
真言宗御室派の明通寺は、大同元年(806)、征夷大将軍坂上田村麻呂の創建と伝える古刹で、谷川に沿った斜面に境内を構えている。
本堂は正嘉2(1258)年上棟・文永2(1265)年供養、三重塔は文永7年(1270)上棟であり、共に福井県唯一の国宝建造物です。
明通寺山門(仁王門)は、入母屋造桟瓦葺の三間の楼門で、上層と下層に分かれ下層には仁王像を安置しています。下層は正面を三間(約6.2m)、側面を二間(約3.3m)とし、上層は正面を三間(約5.6m)、側面を二間(約2.7m)としており、若狭地方では比較的大規模な楼門である。主要な材料は欅である。また、基礎は石積基壇で礎石を持っています。
建立年代を特定する資料は発見されていないませんが、江戸時代後期の再建と思われ、保存状態も良好である。若狭の社寺らしく和様(簡素なつくりで、柔らかな曲線を持つ)を基調として整った山門です。市を代表するものと考えられています。
うっそうと繁った杉木立に囲まれて、ひっそりと木洩れ日を浴びながら、しかも威風堂々としてたたずむ国宝の本堂と三重塔をもつ明通寺。JR小浜駅から7.5km離れた、松永川の上流、カジカの声がする幽谷にあり、藤原時代の仏像4体は、重要文化財に指定されています。
薬師如来坐像(国宝)
木造薬師如来座像(平安後期、像高144.5㎝)
平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての過渡期的な作風の一例と推測されます。
寺伝では、平安初頭、勅命をたまわって北陸巡行の途にあった坂の上田村麻呂将軍が、霊夢の導きによって、老翁の命ずるままに棡の老樹から老翁が掘りだした霊像が、即ち当寺本尊の薬師如来、その両側に待立する降三世明王、深沙大将の3体であると、伝えられています。その度、3度に及ぶ火災によってすべてを焼失し、現存する本尊の薬師如来も、その後の造像にかかわるものです。
住所 福井県小浜市門前5-21
舞鶴若狭自動車道 小浜ICから車で13分
北陸自動車道 敦賀ICから車で60分
曹洞宗「発心寺」
若狭守護武田元光が1522年に建立した禅曹洞宗の寺。のち荒廃するも京極忠高によって再建。伴信友の碑や山川登美子の墓があります。青い目の修行僧が雪中の寒修行をする姿は冬の風物詩となっています。住所 福井県小浜市伏原45-3
JR小浜駅より徒歩15分
舞鶴若狭自動車道 小浜ICから車で8分
真言宗高野山派「妙楽寺」
養老3年(719)に僧行基が本尊を彫り、延暦16年(797)に弘法大師が本尊を排して堂舎を建立したといわれる名刹。桜並木の参道から山門をくぐると、境内には俗界と一線を画す静寂が広がります。
鎌倉時代に建立された本堂(国指定重要文化財)は若狭における最古の建造物で、24面を持つ珍しい木造千手観音菩薩立像が安置されています。
木造千手観音菩薩立像(国指定重要文化財、平安中期、像高146.4㎝)
ヒノキ材の一木造で平安期半ばころの10~11世紀作と思われていますが、養老3年(719)、僧行基が若狭巡歴の時、岩屋山に登り、千寿
千眼の霊像を刻んで、岩窟に安置したと伝えられる仏像です。 本面である正面のほかに、両側に大ぶりの脇面を持ち、頭上の面も合わせると、二十四面の千手像であることから、世に珍しい実例のひとつとされ、現在、本像のように、二十四面の形を伝えるものは数少ないようです。
妙楽寺山門
住所 福井県小浜市野代28-13
舞鶴若狭自動車道 小浜ICから車で8分
北陸自動車道 敦賀ICから車で70分
真言宗高野山派「羽賀寺」
鳳凰が飛来し、この地に羽根を落としたという典雅な伝説が寺名の由来。霊亀2年(716)に、女帝・元正天皇の勅命により行基が創建したと伝えられています。
数ある寺宝の中でも平安初期の木造十一面観音菩薩立像(国指定重要文化財)は必見。元正天皇の御影といわれ、その尊顔は心のやすらぎを覚える柔和さです。
木造十一面観音菩薩立像(国指定重要文化財、平安前期、像高146.4㎝)
ヒノキ材の一木造で10世紀作と主和手、寺伝では勅願の御施主・女帝元正天皇の御影としています。 当初の色彩が極めてよく残っており、肉身部は黄白肉色、宝冠は代
赭(たいしゃ)色、眉や眼は墨描、天衣には朱や緑が使用されています。また、右手が非常に長く、その長さが膝までに達する様子は、9世紀半ば頃の貞観彫刻の例をならったものと推測されています。
住所 福井県小浜市羽賀82-2
舞鶴若狭自動車道 小浜ICから車で10分
北陸自動車道 敦賀ICから車で80分
熊野那智神社
熊野那智神社は、上田区岩井谷の集落から、北北西約1.6㎞。霊峯、飯盛山頂の西南に当たる険峻な急崖に、東面する大巨巌が開口する洞窟と、その前面の僅かな小平地にまたがって鎮座され、社前には栃の巨木が神木として巨岩と対峙しています。
『中名田郷土誌』に、延暦17年(798)坂上田村麻呂による社殿の改築。天長3年(826)十一面観音の併祀に伴う女人登拝の解禁を説くが、恐らく当社の起源はこの巨岩洞窟を神座とする原始信仰に発し、やがて小祠の建立、尊像の奉安と信仰対象の変遷を辿り、とりわけ平安時代中末期以降は、熊野修験の活動、熊野信仰の伝播と相まって、熊野権現の勧請をみたのでしょう。
市域には、山上・山腹等に鎮座の神社も多いが、当社のように奥深い秘境の巨岩洞窟内に建営の神社は、他に類例を見ないうえ、原初の石神信仰から社殿祭祀への変遷を確認できる好例であり、また険しい旧参道の傍にある山伏屋敷跡の伝承は、往昔の修験活動を物語るなど、巨岩と洞窟が生み出した古代信仰をとどめる当社境内は、その景観と共に貴重な存在です。
熊野那智神社の神仏習合遺産
上田区岩井谷の集落から、霊峯飯盛山に向かう中腹に本神社は立地しています。東面する巨岩の磐座に喰い入るように鎮座し、原始からの巨岩信仰を示す境内地として市史跡に指定されています。山麓には山伏屋敷の伝承や行場である滝などもあり、中世以後は修験道とも密接に関わりをもち現在まで伝えられてきました。
社殿由緒書によれば、延暦12年(793)に坂上田村麿呂により開基された多古木山長田寺(田村薬師)の奥の院として、寺院四至の北限である飯盛山腹に延暦17年(798)に創建されたことを伝えさらに、天長3年(826)には社殿を拡張、本殿に十一面観音を併祀したといいます。また、寛永15年(1638)に荒廃した社殿を復興して遷宮式を行い、熊野那智大権現と称したといい、古来の巨岩信仰、山岳信仰と密教文化の受け入れ、熊野と修験道信仰という神仏信仰の受容をよく示しています。
小浜の霊峯としては、多田ヶ岳がもっとも知られ、その山麓には地方では特異ともいわれるほどの密教文化財を伝世させています。一方、市内のもう一つの霊峯である飯盛山においては、山麓登山口に当地中名田地区の田村薬師と奥院、加斗地区の飯盛寺、口名田地区の勝願寺(馬頭観音堂)などがあり、地域には行者信仰や行者講などが現在も根付いていることから、より修験道信仰が強かった山ということでありましょう。
現在、本殿には本尊秘仏である十一面千手観音菩薩坐像を含め不動明王立像、蔵王権現立像の3体の木造破損仏(平安時代後期)が安置されるとともに、当社の由緒や信仰を示す数多くの文化財を伝世させています。本来ならば個々の文化財価値としては、その保存状況から値しないものかもしれませんが、一括文化財としては地域の神仏習合信仰をみせる貴重な文化遺産と位置付けられます。
参考
海の女神・豊玉姫(対馬)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3438072
熊野三山
熊野本宮大社
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2803424
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2808217
熊野那智大社
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2862097
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2868434
熊野速玉大社
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2901670
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2908032
那智山青岸渡寺
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2878605
編集後記
昨日と本日の2回にわたり小浜市の神社仏閣について掲載してきましたが、残念ながら数多くある中の一部しか取り上げることしかできませんでした。またいつか機会をつくり御紹介したいと思います。
次号は予告はしましたたけれど、のびのびになっていた小浜シリーズ最終話として「小浜の見どころ・観光」について御紹介するつもりです。
さて、気になる台風の動き。気象庁の発表では、現在台風21号は室戸岬を抜け四国に上陸、さらに北陸・近畿地方は今日いっぱい暴風雨が続くとの事、くれぐれもご注意ください。中部、関東、東北地方にお住いの皆さんは台風のスピードが速いので、常に予報の確認を!
台風の目は、現在四国にあるのに、すでに名古屋も凄い風が吹き始めました!
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
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