先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
日本の景観の改善はドミナンスで
「穏やかなドミナンス」富山市の還水公園
ここは全体のほんの一部であるが、水と緑YR系のダルトーンの我が国では稀な美しい全体の環境である。左端に世界一のスタバがあるが、景観全体を眺めるにふさわしい場所とデザインである。景観とは見る見られる関係のことの典型的な例である。
景観のドミナンス実施例を提示するにあたり、改めてドミナンスについて内容を深めたい。
ドミナンスはあらゆる分野で活用される可能性を持つ言葉である。環境・景観・空間デザインに限らず、あらゆるものやことを全体的に把握理解するために活用出来る「キーワード」である。日本人の好きな空気を読むことの視覚化でもあり、理屈抜きで感覚人間以外にも分かりやすい。わが国の景観施策の行き詰まりを解決するには、法規や上からの手法では99%にわたるわが国の混乱の極みの解決には不十分であり、必要なことは誰もが素直に心から納得し、共有出来る「そだね〜」と広い心で思える前向きな手立て、それがドミナンスにはある。
色彩調和論ではドミナントカラー配色と言い、全体を同じ色相で統一した多色配色をいう。最近仮想通貨の市場でも、全体のシェアを表す指標などにもドミナンスは使われる。
私としては、混乱する価値観、機能、美的要素など、国土、都市、地域の景観を観察把握し改善する時に、規則や数値をドミナンスが補完出来ると考える。またドミナンスは全体景観の調和を阻害する要素を感覚的に指摘できる。
景観には基本的要素である地勢、植生、気候と、風土と人工の組み合わせ、造形、構成、色彩、匂い、音、振動、気温等々を感じる5感要素も加わるので、ものごとの総合判断力が問われ、養われる。それを第6感で総合判断する。一見緩いようだが実は日本人に必要な総合判断力の賜物はドミナンスである。
景観のキーワード「ドミナンス」に辿り着く確信を持ったのは、取り上げた富山の穏やかな都市景観もそのひとつである。大学時代からデザインに関わり、クラフトや家具・インテリア・ディスプレーから都市環境・土木に至るまでトータルデザインを目指して来たが、意を強くしたのは1989年の世界デザイン博覧会三会場の景観演出計画を担当させて頂いた時である。自分としては都市計画先進地名古屋への景観提案のつもりであったが、実際に活かせたのは名古屋市高速道の色彩と、商店街再開発の先駆けであったオズモールと、当時では先進的取り組みであった内環状一号線6.9キロの景観デザインで、歩道の人と自転車の分離、信号・照明・サインをひとつに統合した柱、地区ごとの歩道橋の色彩とモニュメントの実現くらいである。
「グレートーンのドミナンス」
無彩色は環境の基本である。四季や天候の変化に同調調和し、自然の美しさを阻害せず、余分な色情報を発信しない。大事な交通表示も視認し易いのである。私が初めて公共環境に関わった白い街名古屋の高速の色彩である。上の照明柱から脚柱までシルバー・白・既存のオリーブグリーン・コンクリート色を現場で検討し、柱の色は偶然工事中の現場の、丸鋼管の脚注の下塗り塗料が、連結していくコンクリートの角柱に近いと判断し、どちらも現状のライトグレーに合わせた。とろが途中でマスコミが「何故赤や動物や蝶の絵を描いたりしないのか、せっかくのチャンスにもったいない」と来た。半世紀以前の当時は、まだ日本では公共環境のあり方などにマスコミでさえ問題意識がなかった。その延長が今でも各方面で健在であるのが我が国の景観である。
「のんびりとしたインボルブ ドミナンス」
名古屋内環状1号線6.9キロの道路景観のデザインは、当時の市長が硬い感じは好きでないと担当から聞き、歩道も車道も優しく包まれた感じの造形と色彩景観とした。地下鉄開通と第一回名古屋女子マラソンのコースとなった。
景観のドミナンス2例
先ず美しい都市計画的景観のドミナンスの例と、日常のくらしの延長の美しいドミナンスの例として最近見た富山の2例をあげる。
1 世界一のスタバがあると聞き早速行って見てなるほどと感心した。景観全体がとても上手く進められている富山市の環水公園に、日本の人工景観の基本である白黒グレー、自然素材色の四角いモダンなカフェがあるだけであった。取り巻く景観は水と緑とYR系のダルトーンの建築物と歩道が調和する、ゆったりとした景観には地域全体にモダンで穏やかな優しいドミナンスがあった。計画全体は何気なく無理なく調和しているように見えるが、住民と行政の意思疎通と協調心が感じられ、来園者の心を満足させる風景であった。
「穏やかなドミナンス」
ここは全体のほんの一部であるが、水と緑YR系のダルトーンの我が国では稀な美しい全体の環境である。左端に世界一のスタバがあるが、景観全体を眺めるにふさわしい場所とデザインである。景観とは見る見られる関係のことの典型的な例である。
2 射水市を車で移動中の偶然の遭遇であった。橋を渡った瞬間に何かを感じ引き返した。そこにはなんとも魅力的なレトロなドミナンスが広がっていた。建物もまちまちでエイジングが目立っており、スペイン人設計の赤茶の不思議に魅了的な橋などもいくつもあり、住民の人の良さが伝わる静かな素敵なところなのである。まさに環境が人をつくること、そして景観には人を幸せにするパワーがあることを実感した。
「レトロ調ダルトーンドミナンス」
射水市は新旧和洋経年変化の混在する、水と緑の穏やかな夢見がちなレトロ調のドミナンスであった。住民の対応も何気なく自然で心休まる魅力のある街である。
赤系と青系ダルトーンと水と緑が美しい、電柱さえ気にならない親密混在景観である。
景観のドミナンスと地域計画
景観のドミナンスは地域景観の基本をなす支配的ムードである。 地域に手を加える都市計画、地域デザイン、建築などの計画を始めるにあたり、今まであまり大事にされてこなかった地域の特徴であるドミナンスを、風土・歴史・伝統などから引き出すことである。そして以下のような手順で位置付けし、計画の目指す基本をおおらかに決めて進めることで地域の独自な個性を引き継ぎ守れる。
1:天空大地の特徴を見る (地勢、風土、山川草木など)
2:ランドマークを見る (象徴的伝統文化財など)
3:集落の形状を見る (屋根の形、傾斜、素材、色使いなど)
4:特産物を見る (農、漁、工、産物、職業、文化など)
5:人柄を見る (寄り合い、風習、祭事、方言など)
2のランドマークを見る例として、初めて岡崎市の大樹寺に参詣した時、山門をくぐり振りふと返ると、真っ直ぐ遥か3キロ彼方に岡崎城の天守が今より遮るものものもなく、はっきりと見えた。その瞬間に徳川家康が得意とした都市計画のDNAの基本を見た思いであった。また家康の名古屋の都市計画の思想も、日本一大きな尾張名古屋は城で持つにあり、進行中の城復元を機に再評価し活かしたい。
大樹寺山門から岡崎城を望む
岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は「ビスタライン」と呼ばれ、歴史的眺望として約370年間守られてきました。
山門は、寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立(県指定文化財)
またその1〜5の例として
「墨色の伝統色のドミナンス」例。
JR岐阜駅前再開発に委員長兼デザイナーとして関り、現地調査の折、旧家の二階から岐阜城のある金華山が簾越しに見えた時、「昔は皆そうしたものだよ」と聞き、岐阜の奥深い文化を計画に活かした。景観はそこに住む人々の共有する心のふるさとの表現なのである。
「墨色の伝統色ドミナンス」JR岐阜駅前再開発駅広場夜景
岐阜の伝統的建物のダークトーンを生かした大型交通拠点、JR岐阜駅広場の落ち着いた色彩環境。右手のJR岐阜駅
と三方向の市街地への導線などもデッキによってうまく繋がり、U字型の雄大なデッキから地上の広場を見下ろせる、
上方向は車導線から隔離された都心の意外な小ビオトープの森の休息環境である。
岐阜の伝統環境を生かした大型交通拠点JR岐阜駅広場のドミナンスは、墨色の落ち着いた色彩環境として成功したと思っている。ともすると一般的に安易に明るく白っぽい環境にする傾向があるが、当初も暗いのは困るという向きがあった。何故日本人は明るく明るくと言うのか、本物の美しさは日本人が美しく見える陰翳にあると著名な作家も書いている。照明なども必要なものが見えれば良いと言うのは世界の常識だし、日本文化の極致である。特に戦後の暗い時代に何かが欠落した心を埋める為なのだろう。
落ち着いたドミナンスが混雑する環境には心にも良いと実践した。市内の伝統的建物、特産物、四神相応もベースに、人と車両導線の明快な分離、エコ環境もある他にない杜の広場が出来た。廃棄物でつくった濃グレーの床タイルは、以前のガム吐き捨て習慣をも考慮したのであったが、その悪習もなくなり、夜も照明で床は明るい茶系にみえる落ち着いた環境が出来た。広場の図は信長が孫に与えた硯箱の蒔絵からのヒントであるが、イエズス会のシンボルであると指摘があり、光と水で変化するものに多少変えた。
ここは人々のウエルカムとハグの平和の交流広場で、U字型デッキから見下ろす中心である。広場全体はできるだけ直線を避け交番などの建物も県警にお願いしRの造形にしている。形や色彩や材質と機能、そして水や植物が程よく構成され、大交通拠点ではあるが何か穏やかで、忙しない感じもなく古代の大伽藍のように概ねできた。
周囲のビルへ繋がるU字の歩行者デッキは活動的な誘導景観である
明るい色彩を使わなくともグレーは照明で明るく見える。案内表示も見分けやすい
「洋の東西伝統融合のドミナンス」
中世武家社会と西洋文化の出会いと伝統産業の織りなす岐阜らしい現代空間をつくった。
この広場は様々なイベントの中心であり、武士の乗る騎馬もパフォーマンスができる。
再開発のドミナンスをつくる岐阜の色彩要素
続く・・・
【寄稿文】 林 英光
環境ディレクター
愛知県立芸術大学名誉教授
参考
大樹寺
「厭離穢土欣求浄土」の言葉を胸に、家康公が再起を誓った地。
松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(1475)4代親忠により勢誉愚底上人が開山しました。
松平8代の墓、国の重要文化財の冷泉為恭ふす間絵、歴代将軍の位牌、家康73歳の時の木像などが祀られています。
また、国の重要文化財である多宝塔は、天文4年(1535)に家康の祖父・松平清康が建立しました。
1層は方形、2層は円形のこの二重の塔は、蟇股(かえるまた)・拳鼻(こぶしばな)などの彫刻模様に室町末期の美しい様式を見ることができます。
かつて、桶狭間の戦いで敗れた家康公が逃げ帰り、自害を試みた際に、住職から「太平の世を目指す」教えを受け、思いとどまったという、歴史的に大きな役割を果たしたお寺です。
岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は「ビスタライン」と呼ばれ、
歴史的眺望として約370年間守られてきました。
基本情報
住所 〒444-0015 愛知県岡崎市鴨田町字広元5‐1
電話番号 0564-21-3917
営業時間 9:00〜17:00
料金 ■宝物殿・大方丈拝観
大人400円、障がい者350円、小中学生200円、幼児無料。
団体割引(15名以上)一人350円
アクセス 名鉄「東岡崎駅」より名鉄バス「大樹寺」下車、徒歩5分
駐車場 91台
協力(敬称略)
一般社団法人 岡崎市観光協会
〒444-0045 愛知県岡崎市康生通東2丁目47番地
TEL 0564-64-1637
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