ZIPANG-2 TOKIO 2020「立山曼荼羅に表徴された 常願寺川水系の 水神信仰(最終話)~立山カルデラの 刈込池と竜神~【寄稿文】 福江 充」

先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国・九州地方における大雨・地震災害で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。


立山 室堂から見る雲海の富山平野

霊峰「立山」
古来より富士山、白山と共に日本三霊山として数えられ、最高峰の大汝山(標高3,015m)、主峰の雄山、富士ノ折立の3峰からなります。雄山頂上にある雄山神社峰本社(その1にて紹介)には、夏に多くの登拝者が訪れます。

『立山曼荼羅 坪井家A本』(個人蔵、富山県[立山博物館]寄託資料)
作成時期:天保元年(1830)以前


日本は、国土の約7割から8割が丘陵や山地、山岳で占められた風土・環境にあるためか、古来、山を神聖視し崇拝の対象とする山岳信仰が発達し、それは平安時代末期頃にはシャーマニズム、道教、密教などの影響を受けながら「修験道」として体系化されました。こうした修験道の影響で日本各地に何百ヶ所もの修験の霊山が成立しました。


ところで近年、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の名称で、吉野、大峰、熊野三山、高野山、熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道が登録され(2004年)、また最近では「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の名称で、富士山およびそれに関する文化財群が登録され(2013年)、今まさに山の歴史や文化の重要性が再認識されてきています。ながい歴史のなかで自然と対峙して育まれた山岳信仰は、日本の宗教や日本人の精神文化において重要な位置を占めるものと考えられます。


いみじくも、北陸は日本三霊山(富士山・白山・立山)のうちの白山・立山を抱え、また石動山や医王山などの霊山も存在し、研究フィールドとしては最適の場所といえます。北陸の霊山を中心に日本各地の山岳信仰の歴史や文化について調査・研究を行い、それをとおして現代人と山とのかかわり方を、ひいては自然とのかかわり方を模索していきたいと思います。


立山カルデラの 刈込池と竜神

常願寺川流域図


立山カルデラ


立山の弥陀ヶ原台地の南隣に立山カルデラと呼ばれる火山性の巨大な凹地がある。それは、周囲を標高2000メートルから3000メートル級の弥陀ヶ原台地、浄土山、竜王岳、獅子岳、五色ヶ原台地などに囲まれた、東西6.5㎞、南北4.5㎞、面積約23平方㎞の楕円形の凹地である。その中央部を常願寺川(富山県大山町・立山町の北アルプスを源流とし、富山市水橋で富山湾に注ぐ一級河川)の上流にあたる湯川が流れ、三方は急峻なカルデラ壁に囲まれている。 この一帯はたびたびカルデラ壁が崩壊し、土砂が堆積、あるいは大雨のたびに下流に流出するため、地形の変化が著しい。そうした最大規模ともいえる崩壊が、安政5年(1858)の飛越(飛騨・越中)大地震の時に起こった。カルデラ南壁の大鳶が大崩壊し、膨大な土砂がカルデラ内に堆積、あるいはカルデラ外に流出したのである。


刈込池と竜神

立山カルデラ内には、「刈込池」(狩籠池・狩込池などとも表記される)と呼ばれる池があったが、大鳶の大崩壊で消滅した。だが、その時にできた別の池が新たに刈込池と名づけられ、今日に至っている。 なお、かつての刈込池の跡地は古刈込池と名づけられている。


刈込池については、幾つかの文献によりその宗教的な性格がうかがわれる。

例えば、江戸時代中期の百科事典『和漢三才図会』には、天狗岳の峰に狩籠池の神である竜神を祀った社があると記す。また、明治18年(1885)に竹中邦香が記した『越中遊覧誌』には、刈込池が常願寺川上流の真川の水源地(真川は常願寺川の本流。実際の源流は北俣岳)であり、そこに神がいるとする。


さらに、明治23年(1890)に杉木有一が記した『越中国誌』には、刈込池が常願寺川上流の湯川の水源地で、そこに蟠竜が棲むとする。 これらの文献が示すように、刈込池が人々には常願寺川の水源地とみなされ、そこには竜神が棲んでいると信じられていたことがわかる。

『立山曼荼羅 坪井家A本(刈込池の部分)』(個人蔵、富山県[立山博物館]寄託資料)
作成時期:天保元年(1830)以前


『越中立山古記録』や『越中立山古文書』所収の芦峅寺文書や岩峅寺文書には、立山衆徒による刈込池での雨乞儀式に関する記載がみられる。それらより、立山衆徒や山麓の人々は、刈込池を常願寺川の水神が山中の水源地に水分神として祀られる場合は、山の神と同一視されることが多いが、刈込池の竜神も立山の山の神とみてよいだろう。


それは、前述の岩峅寺文書のなかで、岩峅寺衆徒が加賀藩に対して「立山狩籠池は立山大権現(本地は阿弥陀如来)が竜神を狩籠めなされ置いた(封じ込めた)池である」と説明していることや、刈込池にまつわる地元の伝説のなかに、この池に立山山中の悪竜悪蛇を封じ込めたとするものがあることからもうかがわれる。


こうした、霊山の水分神である竜蛇神を池に封じ込めるといった内容の伝説には、白山の開山者泰澄が悪竜悪蛇を千蛇ヶ池に封じ込めたとする伝説や、日光の開山者勝道が悪蛇を封じ込めたとする伝説がある。


そしてこれらの伝説には、前章で述べた立山開山縁起の本来的な意味と同様、古来、山中の水源地を支配してきた水分神である竜神が、外来の仏教の仏に押さえ込まれたといった意味がある。水源地とみなしており、さらにそこには水田稲作に必要な水の供給や制御を司る水神としての竜神が棲んでいると信じていたことがわかる。


それゆえ、加賀藩領内では日照りが続くと、慣例的に芦峅寺や岩峅寺の衆徒が藩や村役人の依頼を受け、刈込池で雨乞の祈祷を行っていた。


宝永6年(1709)6月頃、連日厳しい日照りに見舞われていたようで、同月28日、芦峅寺衆徒は黒崎村(富山市)の三郎右衛門から雨乞の依頼を受けた。そこで芦峅寺衆徒が刈込池で祈祷を行ったところ、その効果があって7月2日まで大洪水となり、祈祷料を得ている。 その後、同年8月10日に、今度は岩峅寺衆徒が天正寺村(富山市)十村の十右衛門から雨乞の依頼を受けている。


翌11日、衆徒六名が狩籠池へ向けて登山しようとしたが、途中、 芦峅寺一山より、8月1日以降は山仕舞い(閉山)であることを理由に無理やり追い返されたので、狩籠池での祈祷を断念している。 その代わりとして、岩峅寺衆徒は8月14日に岩峅寺前立社壇で雨乞の祈祷を行っているが、狩籠池での祈祷を妨害した芦峅寺衆徒に対する不満はおさまらず、8月18日に芦峅寺衆徒の暴挙を加賀藩寺社奉行に訴え出ている。


水神が山中の水源地に水分神として祀られる場合は、山の神と同一視されることが多いが、刈込池の竜神も立山の山の神とみてよいだろう。

水神碑(立山町西大森) 土台は安政の大転石。巨大な転石体は堤体の中。


それは、前述の岩峅寺文書のなかで、岩峅寺衆徒が加賀藩に対して「立山狩籠池は立山大権現(本地は阿弥陀如来)が竜神を狩籠めなされ置いた(封じ込めた)池である」と説明していることや、刈込池にまつわる地元の伝説のなかに、この池に立山山中の悪竜悪蛇を封じ込めたとするものがあることからもうかがわれる。


こうした、霊山の水分神である竜蛇神を池に封じ込めるといった内容の伝説には、白山の開山者泰澄が悪竜悪蛇を千蛇ヶ池に封じ込めたとする伝説や、日光の開山者勝道が悪蛇を封じ込めたとする伝説がある。


そしてこれらの伝説には、前章で述べた立山開山縁起の本来的な意味と同様、古来、山中の水源地を支配してきた水分神である竜神が、外来の仏教の仏に押さえ込まれたといった意味がある。



【寄稿文】 福江 充

北陸大学
国際コミュニケーション学部
国際コミュニケーション学科 准教授


協力(順不同・敬称略)

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ZIPANG-2 TOKIO 2020

2020年東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この機会に、世界の人々にあまり知られていない日本の精神文化と国土の美しさについて再発見へのお手伝いができればと思います。 風土、四季折々の自然、衣食住文化の美、神社仏閣、祭礼、伝統芸能、風習、匠の技の美、世界遺産、日本遺産、国宝等サイトを通じて平和な国、不思議な国、ZIPANG 日本への関心がより深かまるならば、私が密かに望むところです。

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