このたびの平成30年 7月豪雨、9月台風並びに北海道大地震により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
木曾の花嫁さん「木曽駒に揺られてお嫁入」時代行列の中でも花嫁行列は注目の的。
木曽路は明るいうちに次の宿場へ・・・よく見ると様々な職業の人たち
文化文政時代の中山道を旅する旅人や近くのお百姓、町娘やお役人・・・
妻籠宿の鯔背なかわら版屋。今でいう新聞の役目を果たしていた。当時は庶民にとって重要な情報源でもあったのです。昭和の時代劇映画なら長谷川一夫か大川橋蔵の役どころですね~
中山道の「妻籠宿」
妻籠宿は中山道の木曽11宿のひとつで、鳥居峠を挟んで馬籠宿に続く山間部の宿場です。
もと板葺で二階に手摺をもつ旅籠屋形式の町家が街道に面して連続しています。本陣は、絵図をもとに復原され、脇本陣である林家住宅(重要文化財)は木曽を代表する近代和風住宅であります。町と住民が一体となって町並保存に取り組み、歴史的環境を活かしたまちづくりに成功した先駆地になります。
晩秋の一大行事「文化文政風俗絵巻之行列」
いよいよ11月23日は恒例の「文化文政風俗絵巻之行列」の開催です。
すでに宿内には幟旗も立ち、火曜日には宿場の端に木戸が設置されました。
当日は風俗行列の雰囲気が、深まる秋の風景に溶け込んで、より一層妻籠の町並みを素敵に見せてくれるでしょう。
130名前後の人々が宿場の風俗を再現!
130名前後の人々が、宿場役人・武士・浪人・鳥追い女・無宿・早駕籠・目明し・飛脚・虚無僧・女旅・男旅などに扮して、文化文政時代に中山道を歩いたであろう旅人の姿を再現します。
この行列は、昭和43年に妻籠宿の保存工事が始まったのを記念して、この年から行われるようになり、毎年11月23日の「勤労感謝の日」に実施されています。130名前後の人々が、宿場役人・武士・浪人・鳥追い女・三度笠・早かご・目明かし・飛脚・虚無僧・娘旅・男旅などに紛し、文化文政時代の宿場の風俗を再現します。
当日は、午前10時30分に、宿場の北方にある南木曽町総合グラウンドを出発します。旧中山道を歩いて、正午には宿場の中心に至り、午後1時までは昼食の時間です。街道に面した板の間[妻籠では出居(でい)と呼びます]に腰かけて、輪っぱ弁当を広げる者、竹の皮に包んだ握り飯をほおばる者、あるいはキセルをふかす人などがいてそのさまは保存された町並みにマッチして、さながら「江戸時代」です。
この昼食時間を利用して、地元の伝統芸能である「さいとろさし」や「妻籠陣屋太鼓」の演奏も披露されます。 なお、この行事のメインになってきた「花嫁行列」は、仲人の先導で馬に乗った花嫁・長持ちと続き、カゴに乗った子供とともにアマチュア・カメラマンに人気があります。 昼食を終わった行列は大妻籠地区まで行き、また宿場の中心まで戻ります。この時間を見計らって、収穫祝い(和智野神社)の餅まきが行われます。
※「さいとろさし」とは、竿の先につけたトリモチで小鳥を捕らえる仕草を滑稽に芸能化したものです。昭和30年生まれ位迄の方なら、子供のころ実際にやられた経験があるのでは⁉
主催/(公財)妻籠を愛する会 風俗行列実行委員会 TEL0264-57-3513
先駆者紹介
小林俊彦氏(現・財団法人 妻籠を愛する会理事長)
妻籠宿の保存と風俗絵巻之行列
妻籠宿には自動車は通らず,電柱もガスボンベも自動販売機も看板も見えない。
この景観がいい(写真下)。
小林俊彦氏は夕方近くなり妻籠宿の家々の灯りがともる瞬間が何とも言えない感動を覚えるそうです。みなさんお見逃しなく!
明治以降,宿駅制度の廃止で宿場の機能を失い,国道と鉄道がこの集落を迂回したため,妻籠宿は取り残されて限界集落になろうとしていました。周囲に山紫水明の資源がありながらも,山は国有林,川の水利権は電力会社の所有。薬研の底と言われた土地の耕地は限られ,これと言う産業もない。
子弟は学校を卒業するとこの地を離れ,名古屋,大阪,東京ヘと流出。残るのは,傾き朽ちたボロ屋の集落だけとなったのでした。町の再生に向けた対策を町長から特命で命ぜられた小林俊彦氏(現・財団法人 妻籠を愛する会理事長)は,スクラップ&ビルドの世の中に反し,明治百年記念事業(因みに今年は明治百五十年)の一環として妻籠宿保存事業に全力を注入しました。囲炉裏の焚き木にしかならないと言われたボロ屋でも,きちんと残せば,江戸時代の庶民の生活の証が文化財となり得ます。これを信じて一途に取り組んだのでした。
「あいつは一体,何を始めたずら?」
いくら説明しても理解できない住民を強引に口説き,「文化文政の頃の格好をして中山道を歩いてみれば判る」と言って,きこり,馬子,御岳参り,山駕籠やまかご,百姓,武士,七里,男旅,女旅等にふんした60余人が大妻籠から妻籠宿外れまで歩いたのが昭和43年11月23日。これが文化文政風俗絵巻之行列の始まりです。それから51年。どの年の11月23日(勤労感謝の日,新嘗祭)も,妻籠宿では晴天に恵まれ,天が御祝いをしてくれています。
この行事で配る瓦版も五十一版となりました。当初は人名表であったものが,第3回から本来の瓦版スタイルとなり,現在は風刺画などを掲載しています。
交通アクセス
最寄り駅・インターから
●中央自動車道中津川インターから
中津川インターから木曽福島方面へ約30分。
南木曽大橋を渡った直後の信号を右折し、500mで妻籠入口です。
●JR南木曽駅から 南木曽駅時刻表 おんたけ交通時刻表(馬籠・保神行き)
タクシー 10分 (南木曽観光タクシー TEL:0264-57-3133)
バス 10分
徒歩 40分
電車
東 京
東京駅→ (のぞみ) →名古屋駅→ (特急しなの) →南木曽駅 約2時間40分
新宿駅→(特急あずさ)→塩尻駅→(特急しなの)→南木曽駅 約3時間52分
大 阪 新大阪駅→(のぞみ)→名古屋駅→(特急しなの)→南木曽駅 約1時間55分
車
東 京
八王子I.C.→(中央自動車道)→岡谷JCT→(長野自動車道)→塩尻I.C.→(19号線)→(256号線)→妻籠宿 約4時間
八王子I.C.→(中央自動車道)→中津川I.C.→(19号線)→(256号線)→妻籠宿 約4時間
八王子I.C.→(中央自動車道)→飯田I.C.→(256号線)→妻籠宿 約4時間
大 阪
大阪→(名阪高速)→小牧JCT→(中央自動車道)→中津川I.C.→(19号線)→(256号線)→妻籠宿 約4時間
高速バス
東 京
新宿→(JR東海バス)→馬籠→(神坂P.A.)(徒歩20分)→馬籠宿→(定期バス)→妻籠宿 約5時間5分
大 阪
大阪梅田→(阪急バス)→駒場→(路線バス)→馬籠→(神坂P.A.)(徒歩20分)→馬籠宿→(定期バス)→妻籠宿 約5時間5分
この日が過ぎると、妻籠の宿場に静けさが戻るとともに本当に「旅を愛する人」のものとなります。
風俗行列が終わると秋も深まり、軒先に吊るした柿もすっかり食べ頃となり、うっかりしていると鳥たちが啄ばみ無残な姿に・・・いよいよ冬将軍の到来です。
そして錦絵のような晩秋の景色はいつしか白銀の世界へと移り変わります・・・。
紅葉から雪景色に変わろうとしている晩秋の3連休に、どうぞ皆さん、木曽路「妻籠宿」へお越しください。山里ならではの食のおもてなし妻籠名物の「五平餅」「蕎麦」などご用意しております。
そして、お泊りは「妻籠宿」の目と鼻の先にある南木曾温泉郷へ・・・昔々、小生が木曾の職人さんたちと一緒に携わった檜大浴槽のかけ流し天然温泉などもありますよ~、きっとお楽しみいただけます。
鎹八咫烏記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
協力(敬称略・順不同)
公益財団法人 妻籠を愛する会 長野県木曽郡南木曽町吾妻2159-2 TEL:0264-57-3513
妻籠観光協会 観光案内所 長野県木曽郡南木曽町吾妻2159-2
TEL:0264-57-3123
(一社)長野県観光機構 〒380-8570長野市大字南長野字幅下692-2 長野県庁内
電話: 026-234-7165
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号電話番号(代表)03(5253)4111
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参考
木曽の民謡:嫁入り歌
木曽御嶽山麓の開田村に伝わる今でも結婚式で必ず歌われる民謡。結婚式はこの歌によって進められたという。従って仲人はこの歌を歌えないとつとまらなかったという。お嫁さんが実家を出るとき、嫁ぎ先に入るとき、祝い酒を酌み交わすときなど全てこの歌によって進められたという。この歌の原型は、江戸時代天保年間(1830-44)のはやり歌「お江戸日本橋」という。
娘をやりて出てみれば ソレ
笠の端がほのかに見えつ隠れつ コチャエ
ほのかに見えつ隠れつ
お前さんはどこの誰が娘 ソレ
天竺の七曜の星の小娘 コチャエ
七曜の星の小娘
長野県商工会婦人部連合会編「信州ふるさとの歌」より
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