このたびの平成30年 7月豪雨により、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
「まゆはきを俤にして紅粉の花」
(まゆはきを おもかげにして べにのはな) 芭蕉
花笠踊り発祥の地「おばなざわ花笠まつり」。あれ、黒木華さんじゃないですよねぇ・・・
大正ロマン「銀山温泉冬景色」
雪は雪の味がする。なのに、ばっけ味噌の香りがすると、冬はいつしかベールを脱ぐ、
新緑の頃にもう一度訪ねてみよう・・・銀山温泉
~芭蕉ゆかりのおもてなし、尾花沢~雪とすいかと花笠と大正ロマンは銀山温泉
市の花【ツツジ】庭園や盆栽などで多くの人々に親しまれているツツジは、風雪に強く、純朴で忍耐強い尾花沢市民の人柄を象徴しています。
尾花沢市は、山形県の最北東に位置します。標高は70mから1,500mと起伏に富み、奥羽山脈や出羽丘陵などの山々に囲まれた盆地を形成しています。
・面積:372.53平方キロメートル(県面積の約4%を占める)
・東経140度25分、北緯38度37分
短い日照時間と低温、多湿、多雪のため、春の融雪が遅く、農耕期間が短いのが尾花沢盆地の特徴です。
冬の季節風が月山や御所山等の稜線にさえぎられ、雪を多く降らせるため、平野部でも積雪量が2mに及ぶことがある豪雪地帯です。
短い夏を謳歌する尾花沢の人々。もう待ちきれない「おばなざわ花笠まつり」今にも、田園のあちらこちらから祭り囃子が聞こえてきそうだ!
おばなざわ花笠まつり
尾花沢市は花笠踊りの発祥地
大正8年灌漑用水の「徳良湖」を築堤の際唄われた歌が現在の「花笠音頭」の元歌となり,働いていた工夫がかぶっていたスゲ笠で振りを付けたのが花笠踊りの始まりと言われています。
花笠踊り発祥の「徳良湖」周辺には盛り沢山の観光スポット・体験施設が有ります。
「徳良湖温泉 花笠の湯」では日帰り入浴ができます。
毎年8月27日、28日両日に行われる「おばなざわ花笠まつり」は、元来は尾花沢村鎮守諏訪神社の祭典です。
諏訪神社の尾花沢鎮座は、古代まで遡ることができますが、江戸時代には尾花沢代官が郷村触れをだして参詣を推励するなど大いに賑わいました。
「押分けられぬ程の賑わい 笠の波うねる詣の諏訪の海」文政十二年(1829)にまとめられた前句付集「古吟集壱万句寄」にみえる句で、祭典の賑わいを謳っています。
諏訪神社
諏訪神社拝殿は、寛政三年(1791)の建築ですが、その頃から 「祭り囃子」も行われたようです。 囃子は、京都の祇園囃子の系統を継ぐ といわれますが、祇園囃子の完成は十九世紀の中頃には、ほぼ現在の姿になったと思われます。
「祭囃子」は、三味線・笛・太鼓の三部構成となっており、囃子屋台に乗って賑やかに町内を巡回します。
現在の「おばなざわ花笠まつり」は27日の諏訪神社祭典と28日の「花笠踊り大パレード」の二部構成となっています。
27日は、神輿渡御、囃子屋台巡行、豊年踊りなどで、梺町・中横町・上町に新町の四組割で行われる。
28日は、徳良湖築堤工事の「土搗き唄」に由来する花笠踊り音頭の興行で、踊りは地区ごとに特色があります。現在は伝統5流派の踊りが伝承されています。「上町流」、「原田流」、「寺内流」、「安久戸流」など、それぞれの地名をつけた豪快な踊りで観衆を楽しませせてくれます。大きな笠がダイナミックに廻る笠回しは圧巻です。
どこまで続く「おばなざわ花笠まつり」大パレード
尾花沢まつり囃子
花笠まつりの初日(毎年8月27日)は諏訪神社祭。
その祭り囃子は優雅な宮廷の流れをくむ「おげんけい・やえん・すころ」の組曲。市の無形文化財。尾花沢の鎮守諏訪神社の還宮式を祝う催物のひとつとして奉納されたといわれています。
伝統5流派の花笠踊り伝承
【 源 流 5 流 派 の 特 徴 】
■上町流(かんまちりゅう)
力強く笠を持ち、体と笠のキレのある動きが特徴。男性的なおどりです。
■安久戸流(あくとりゅう)
最も原型を伝承しているといわれています。落ち着いた動きが特徴。
■名木沢流(なきさわりゅう)
笠回しがやわらかく、工夫たちの仕事の様子が感じられるおどりです。
■寺内流(てらうちりゅう)
笠がくるくる舞っているような、スピード感と華麗さのあるおどりです。
■原田流(はらだりゅう)
小さく流れるような笠廻しで、女性的なしなやかさのあるおどりです。
【 正 調 花 笠 音 頭 】
1. 揃ろた揃ろたよ 笠踊り揃ろた 秋の出穂より まだ揃ろた ヤッショウマカショ
2. 花の山形 紅葉の天童 雪をながむる 尾花沢 ヤッショウマカショ
3. おらが在所へ来て見やしゃんせ 米のなる木が おじぎする ヤッショウマカショ
4. 朝の六時から 弁当箱さげて 徳良通いは 楽じゃない ヤッショウマカショ
5. ついて固めて でかしたつつみ 水も漏らさぬ 深い仲 ヤッショウマカショ
6. おらがお国で 自慢なもの なすときゅうりと 笠踊り ヤッショウマカショ
おばなざわ花笠まつり 8月 27日・28日 2日間
花笠大パレード 8月28日(月)午後3:00~
芭蕉翁も通ったおくの細道。急な坂道で大変ですね~。当時はもちろん舗装なし・・・
駐車場について:
新庁舎建設の為市役所隣り駐車場は使用できません 。
尾花沢小学校・尾花沢中学校・文化体育施設をご利用ください
特別ご案内
これまで観たことも聞いたこともないツアーの紹介です。つい視野の狭さを露呈(´;ω;`)
なんと、おくの細道紀行中
松尾芭蕉翁が歩いた
「山刀伐峠(なたぎりとうげ)」を芭蕉風の衣装をまとい、わらじを履いてガイド付きで歩くツアーです。
大変な道のりです。これで法螺貝を肩に掛け、滝行や絶壁に登るような行程が入ると、
まさに山伏修行。
全国各地から大勢の人たちが参加されるんですねぇ。しかも女性が多いのですって?(女性がリードする時代なのか〜眩しい!疲れてる男性しっかりしろっ!と、自分に言い聞かせております…ハイ
きっとこの日は、よい句が浮かんだことでしょう~
芭蕉翁はこの道を歩いて我が故郷「大垣」にたどり着いたのか~昔々の人たちは大変でした・・・
奥の細道むすびの地「大垣」に建つ芭蕉翁の銅像です。
元禄2年(1689)3月27日(陰暦。現在の暦では5月16日)、江戸の深川を出発し、陸奥、出羽、北陸の各地をまわる旅に出ました。そして8月21日、美濃・大垣に到着。それは、156日間、476里余(1869.382km)に及ぶもので、尾花沢をはじめ各地での芭蕉翁を師と慕うお弟子さんたちのフォローがあったればこそなしえた気がいたします。
【結句】 蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ (はまぐりの ふたみにわかれ ゆくあきぞ) 芭蕉
早く申せば、
〜〜 蛤の蓋と身が分かれるように、(再会した弟子や知人と)別れて(再び)二見ヶ浦に向かう(芭蕉)秋も過ぎつつある 〜〜
と、簡単ですが、実はもの凄く深いものが隠されているのですね〜
大垣こそは私の生まれ故郷。(勿論、芭蕉も知らない㊙モグリの弟子に入門鎹八咫烏) それ故か、芭蕉のこの句にはぐぐっと、万感胸に迫りくるものがあるのです。
それも、大垣が"奥の細道"締め括りの場面となるのですから… 旅の途中で分かれた弟子の曾良との再会をはじめ、芭蕉の帰りを待つ門人たちが集まっており、懐かしく、愛おしく、切なく、虚しく、哀しく…旅の疲れは凝縮された人生そのものの疲れと重なり合った瞬間ではなかったのか…?
二見とは芭蕉が敬愛する歌人の西行が住んでいたと伝わる二見ヶ浦に向かうことを示唆しており、このシンプルな句は、大変錬られたものと感じられる部分があるのです。
それは芭蕉が、深川の庵を立つときに詠んだ句が…
「行く春や鳥なき魚の目は涙」でした。この上句"行く春や"…が 、
大垣での下句"行く秋ぞ"に""結びの句として見事に対応しているのです。
"行く春や"にはなにか、未知の旅路に期待と不安がない混ぜになった、半ば勇んだ覚悟が感じられ、"行く秋ぞ"には今流行りの"終活"というもんでしょうか…季節の巡りによる上昇のエネルギーと秋の気配から下降に向かう抗えないさだめを感じとり、私たちに"もののあわれ"を伝えている様な感じなんですね〜(失礼しました!団塊世代の戯言でした)
協力(順不同・敬称略)
(一社)尾花沢市観光物産協会
〒999-4228 山形県尾花沢市上町6丁目1-16パレットスクエア内TEL:0237-23-4567
尾花沢市役所 〒999-4292 山形県尾花沢市若葉町一丁目1番3号Tel.0237-22-1111
公益社団法人 山形県観光物産協会
山形県山形市城南町1丁目1番1号霞城セントラル内TEL/023-647-2333
日原もとこ 東北芸術工科大学名誉教授 風土色彩文化研究所主宰 まんだら塾 塾長
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
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