平成30年7月豪雨により亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
蔵の街遊覧船
20分ほど流れに乗って、船頭さんが巴波川(うずまがわ)のほとりを案内してくれます。
舟の上から、船頭さんの鯔背な『栃木河岸船頭唄』(とちぎかしせんどううた)を聞きながらタイムスリップしたような蔵の街のモノトーンの街並みを、より引き立たせる真っ青な空の下でゆっくりとご覧になれます。真夏の日差しは強いが、頬をすり抜けていく川風がなんとも涼しそうです。
栃木市は「三毳山(みかもやま)」「岩船山」「太平山(おおひらさん)」「渡良瀬遊水地」など県南のシンボル的な自然景観と「渡良瀬川」「思川」「巴波川(うずまがわ)」「永野川」などの豊かな河川を有しています。
古くは律令時代に下野国庁が置かれ、江戸時代には、日光例幣使街道の宿場町として栄え、市内を流れる巴波川の舟運を活用した商人町として発展を遂げました。喜多川歌麿ゆかりの地でもあり、現在も蔵作りの建物を中心とする歴史的な街並みが残っており、多くの観光客の関心を集めています。
また、米、イチゴ、ぶどうをはじめとする多彩な農産物を生産する栃木県内有数の農業地帯でもあり、今日では、食の地域ブランドとしても認知され、賑わいを呼んでいます。
伝建制度とは
伝統的建造物群保存地区の制度(以下、伝建制度)は、市町村の主体性を尊重し、都市計画
と連携しながら、歴史的な集落や町並みの保存と整備を行うものです。
この制度は、昭和50年に文化財保護法を改正して創設されました。戦後の国土開発や、高
度経済成長に伴う無秩序な都市開発の中で、民家などの伝統的な建物が急速に姿を消し、歴史的な市街地や農村景観が失われていきました。
昭和40年代に入るとこの状況に対する危機感が募り、みんなが懐かしいと思う風景を大事にしながらまちづくりを進めようとする市民運動が各地で起こりました。また、これに応えて、市町村が独自に条例等を制定し、地域の歴史的な風致を保護する取り組みが生じるようになりました。
「保存」を通して地区の生活や生業に新たな息吹を呼び込もう。こうした住民の意欲と地元
自治体の取り組みを、国が後押しするために設けられたのが、伝建制度です。
今日までに、この制度により、多様な集落・町並みの保存が進められています。個性的な歴史的景観を活かして活気を取り戻した地区がいくつもあります。
栃木市嘉右衛門町 伝統的建造物群保存地区
敷地の構成は、通りに店舗を構え奥に住居を置き庭等を挟み、蔵を並べ、稲荷を祭るのが一般的で、それらを北側に寄せる傾向にあります。住居は概ね真壁造りですが、店舗は土蔵造りや洋風意匠のものもあり、様式が多様にあります。蔵も土蔵や石蔵が混在し、店舗同様に様式が多様にあります。
日光例幣使道が湾曲していることで、不規則な形状の敷地があるものの、概ね短冊状に敷地割がなされています。
京都から日光東照宮へ幣帛を奉納する勅使が通った道 元和3年(1617)、徳川家康の霊柩が日光山に改葬されたが、その後正保3年(1646)からは、毎年京都の朝廷から日光東照宮への幣帛(へいはく)を奉納する勅使(例幣使という)がつかわされた。その勅使が通る道を例幣使街道と呼んだ。
例幣使は京都から中山道(なかせんどう)を下り、倉賀野(くらがの)(現高崎市)から太田、佐野、富田、栃木、合戦場(かっせんば)、金崎を通り日光西街道と合わさる楡木(にれぎ)を経て日光に至った。
この例幣使街道が通る栃木の宿は、東照宮に参拝する西国の諸大名も通り、にぎわいをみせた。
この例幣使街道の一部が今の中心街をなす大通りや嘉右衛門町通りであり、その両側には黒塗りの重厚な見世蔵や、白壁の土蔵群が残り、当時の繁栄振りを偲ばせている。
栃木市嘉右衛門町とは
栃木市は、栃木県の南部に位置する。嘉右衛門町は、市の中心部にある旧栃木宿の
北木戸の外にあたり、岡田嘉右衛門によって開発されたとされる嘉右衛門新田村を起源とする。
貞享2年(1685)から旗本畠山氏の知行地となり、畠山氏は都賀郡内の
知行地を管轄するために、元禄2年(1689)に陣屋を設けた。
嘉右衛門町の西には巴波川が南北に流れ、川に平行して南北の道が通り、この通り
が日光例幣使街道として整備される。嘉右衛門町は日光例幣使街道に沿って敷地割りされ、江戸時代から商家が軒を連ねていた。
保存地区は、東西約320メートル、南北約650メートル、面積約9.6ヘクタ
ールの範囲で、概ね天保年間(1830~43)の絵図に見られる家並みを基本とする。
保存地区では、通りに面して主屋を建て、その背後に蔵等の附属屋を並べる。主屋は、
店舗部と住居部から構成される。店舗部は通りに面し、平屋建又は二階建とする。切妻造、瓦葺のものが多く、正面に下屋を張り出す。住居部は、店舗部の背面に接続し、敷地の長手方向に沿って棟を置き、瓦葺を基本とする。このほか、店舗部の正側面に
パラペットを立ち上げて洋風の外観とするものもあり、変化のある町並みを形成する。
創業天明間の味噌屋です。建物は明治時代の土蔵で、他にも5棟が国の登録有形文化財に、その店舗の一角で味噌田楽店を併設しています。
紅殻格子(べんがらごうし) の味噌田楽店
栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区は、日光例幣使街道に沿って形成された敷地割りを良く残し、江戸時代末期から近代にかけて建築された、主屋や土蔵など伝統的建造物が残り、街道沿いに発展した在郷町の特色ある歴史的風致を伝え、我が国にとって大変に価値が高いと評価を受け、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
栃木市嘉右衛門町(栃木県)地区の概要
保存地区のあゆみ
2005~2006年
市民主体で日本ナショナルトラストによる観光資源保護調査「栃木の町並み景観調査」が行われる。
2009年
栃木市伝統的建造物群保存地区指定推進協議会及び専門部会の設置
2010年
栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区保存条例の制定
保存審議会の設置
2011年
東日本大震災により一部の伝統的建造物に被害を受ける。
2012年
保存地区の都市計画決定重要伝統的建造物群保存地区に選定
2012~2015年
戦略的創造研究推進事業の中で研究機関と市,市民で連携し伝統的建造物群保存地区における総合防災事業の開発に取り組む
2016年
地区内の旧味噌工場を市が取得
保存地区と保存の整備
栃木市は、現在までに伝統的建造物92棟の内16棟の修理を終え,3棟の新築建物に修景を行っている。※下記ご参照ください。
保存地区の活用とまちづくり
住民等の取組
栃木市「蔵の街課」とは
栃木市には全国でも珍しい「蔵の街課」という課があります。その仕事の内容を紹介すると・・・
「蔵の街課」は「蔵の街推進係」と「重伝建係」の二つの係に分かれます。
「蔵の街推進係」の業務内容は主に、
(1) 課の庶務に関すること。
(2) 蔵の街を活かしたまちづくりに関すること。
(3) 喜多川歌麿を活かしたまちづくりに関すること。
(4) 地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律に基づく事務に関すること。
「重伝建係」の業務内容は主に、
(1) 伝統的建造物群保存地区の指定に関すること。
(2) 伝統的建造物群保存地区に係る許認可等に関すること。
(3) 伝統的建造物群保存地区保存審議会に関すること。
(4) 嘉右衛門町重要伝統的建造物群保存地区の活性化に関すること。
(5) その他伝統的建造物群保存地区に関すること。
詳しいお問い合わせ先
蔵の街課 電話:0282-21-2573
FAX:0282-21-2674
メールアドレス:kuranomachi@city.tochigi.lg.jp
栃木市の「蔵の街課」が推進する、官民一体となった伝統を活かした街づくりの地道な取り組みは、昭和20年代~30年代にかけて、どこの村や町にも当たり前にあった「絆」を復活させ、もう一度見直し、必ず日本に明るい未来を約束してくれるものと思います。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使
栃木市へのアクセス
・電車ご利用の場合
JR・東武線 栃木駅から徒歩15分
栃木駅北口から市営バス「ふれあいバス」寺尾線・市街地循環線・市街地北部循環線・大宮国府線4~5分 市役所前下車 徒歩1分
東武線 新栃木駅から徒歩15分
新栃木駅西口から市営バス「ふれあいバス」市街地循環線・市街地北部循環線・真名子線・金崎線5~6分 市役所前下車 徒歩2分
・車ご利用の場合
東北自動車道 栃木ICから約10分
駐車場は市庁舎西側の立体駐車場をご利用ください。(無料・土日祝日も利用可)
続く・・・
協力(順不同・敬称略)
栃木市役所 〒328-8686 栃木県栃木市万町9番25号TEL : 0282-22-3535(代表)
栃木市観光協会 〒328-0037 栃木県栃木市倭町14−1電話: 0282-25-2356
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話:03(5253)4111(代表)
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